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囚執愛 ― 愛してる、だから奪った ―  作者: 婀娜
第二章 距離と優しさ
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第九話 裁きの庭

 ニュースの音が、静かなリビングを満たしていた。

テレビの中では、アナウンサーが冷たい声で言葉を重ねていく。


「大手証券会社・東邦セキュリティーズが販売した金融商品で、多額の損害が発生。損害額は四十億円を超える見込みです」


 画面には、圭介の顔が映っていた。

かつて“家族のために働く”と言っていた人。

笑っているはずのその顔は、どこか空っぽに見えた。


(……これが、あの人の今なのね)


 指先がかすかに震える。

怒りでも、悲しみでもなく、何かが終わった音が胸の奥で響いた。


「もう、戻れない」


小さく呟いたその声は、自分でも驚くほど静かだった。



 数日後、家庭裁判所。

灰色の壁、硬い椅子、低い天井。

そこには“感情”というものが置き去りにされているようだった。


 私は扉の前で立ち止まり、深呼吸をした。


「大丈夫です」


隣で凛が言う。

その声に、ほんの少しだけ温度を感じた。


 扉が開く。

調停室の奥に、圭介がいた。

やつれたスーツに、貼りつけた笑顔。

それでも、私を見た途端に目が濁った。


「……優香」


掠れた声。

けれどもう、何も返す言葉はなかった。


「双方お揃いですね」


 調停委員の声が響く。

紙をめくる音がやけに大きく聞こえた。


 その瞬間、ヒールの音が一度だけ響いた。

静寂を切り裂くように、凛が前へ進む。


 黒いスーツ、冷たい眼差し。

その姿を見た瞬間、空気が変わった。


「申立人・中村優香の代理人を務めます。橘凛弁護士です」


「……凛? なんでお前が……」


 圭介の声が震える。

凛は視線を一度も向けず、静かに席に着いた。


「それでは、離婚の最終確認に入ります」


 紙の上をペンが走る音。

数年分の記憶と痛みが、文字に変わって消えていく。


「本件、双方の合意により、離婚を成立といたします」


 調停委員の声が落ちた瞬間、私はゆっくり息を吐いた。

長い間胸を締めつけていた鎖が、ようやく外れていく。


凛が書類を差し出す。


「ここに、サインをお願いします」


 私はペンを握り、名前を書いた。

インクの黒が、決意の跡のように紙に広がる。


——終わった。


けれど、その隣から声が落ちた。


「……終わり? そんな簡単に言うなよ」


 圭介の顔がゆがむ。

笑っているようで、泣いているようで、狂気に近かった。


「俺は、まだお前を手放してねぇ」


 低い声が、背筋を冷たく撫でた。

私は何も言わずに立ち上がる。

凛がさりげなく前に立ち、私を守るように出口へ導いた。



 外に出ると、春の光が眩しかった。

記者の声が飛び交い、シャッター音が響く。


「中村さん!離婚は本当ですか!?」

「慰謝料の請求は——」


凛が小さく手を上げ、私の前に立つ。


「お答えできません。ご配慮をお願いします」


その一言で人の波が一瞬だけ止まった。


 私は空を見上げた。

どこまでも澄んでいて、涙が滲むほど綺麗だった。


(……もう、大丈夫)


 そう思いたかった。

けれど背中には、まだあの人の視線の熱が残っている気がした。


 ガラスの向こう、裁判所の窓に立つ影。

圭介が、こちらを見ていた。


あの目だけは、まだ終わっていなかった。



「さよなら、圭介」


 呟いた声を、春の風が静かに攫っていった。

書類の端がひらりと舞い、陽の光に透けて消えていく。


——終わりではなく、始まりの音がした。



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