第九話 調停
──ニュース速報。
「大手証券会社・東邦セキュリティーズが販売した金融商品で、顧客に多額の損害が発生。損害額は四十億円を超える見込みです。虚偽説明の疑いもあり、会社は内部調査を開始しました」
キャスターの淡々とした声。
画面のテロップには、営業部課長・中村圭介の名前と顔写真。
その下には赤字で《不適切販売か》と並んでいた。
リビングでその映像を見つめる優香の手は震えていた。
(……もう、終わりだわ。今度こそ)
*
数日後、家庭裁判所。
静まり返った調停室の扉を押し開けると、優香は深く息を吸い込んだ。
既に席に着いていた圭介が顔を上げる。
やつれたスーツに無理に貼り付けた笑み。だがその目は濁っていた。
「……優香」
掠れた声に、優香は答えなかった。
調停委員が視線を巡らせる。
「では、本件の代理人の方々、お願いします」
静かに立ち上がったのは黒いスーツの女性。
「申立人・中村優香の代理人を務めます。橘凛弁護士です」
「……は?」
圭介が顔を跳ね上げた。
一瞬、息が止まる。
「お、お前……凛!? なんでここに……!」
血の気が引いた顔で立ち上がる圭介。
凛は表情一つ変えず、淡々と一礼した。
「被申立人の代理人は?」
もう一人の男が立ち上がる。
「石田裕翔です」
二人の弁護士の名が並んだ瞬間、室内の空気が張り詰めた。
凛と石田は弁護士会同期。
冷ややかな視線が交差し、火花のような緊張が走る。
調停委員が淡々と告げた。
「それでは離婚の是非について協議を始めます」
*
圭介は苛立ちを押し殺せず、声を荒げた。
「ふざけるな! 俺は離婚なんて認めねぇ! こいつが勝手に暴れてるだけだ!」
優香は真っ直ぐに言い返す。
「暴れてなんかない。……私はもうあなたと生きられないの」
「今さら何を! 俺がどれだけ大変か分かってんのか!」
掠れた怒鳴り声。だが凛が静かに口を開いた。
「ご依頼人は“嘘と恐怖の中”で十分に耐えてきました。
これ以上婚姻を続ける合理的理由はありません」
冷徹な声に、圭介の拳が膝の上で震えた。
「……お前か?おまえなのか、……全部仕組んで……」
喉まで出かかった言葉を飲み込み、顔を歪める。
彼にはもう、否定する力すら残っていなかった。
*
窓の外では、記者たちが待ち構えていた。
「東邦セキュリティーズ損害訴訟!」
「営業部課長・中村圭介氏、家庭でも調停!」
フラッシュが白く瞬く中、優香は凛の横顔を見つめた。
(……私は間違ってない。もう迷わない)
その決意の光は、社会に切り捨てられた圭介とは対照的に、確かに未来へ向かっていた。