第六話 露見
夜九時を過ぎたリビングは、冷たい静寂に包まれていた。
優香はソファに腰を下ろし、膝の上で眠る翔の髪を撫でながら、ぼんやりとテレビを見ていた。
圭介はまだ帰ってこない。もう慣れた光景のはずなのに、胸の奥の不安だけが膨らんでいく。
そのとき、スマホが震えた。
知らない番号からのメッセージ。
開いた瞬間、息が止まる。
──ホテルのベッドに沈む圭介の裸の写真。
無防備な寝顔。傍らにはワイングラス。
そして添えられた短い一文。
《ご主人の様子です。奥様はご存知ですか?》
指先から力が抜け、スマホが床に落ちた。
心臓が喉までせり上がり、呼吸が乱れる。視界が歪み、耳鳴りが鳴り止まない。
「……嘘……でしょ……」
呟いても、映像は消えなかった。
冷たい事実が、彼女の世界を容赦なく突き崩していく。
「ママ……?」
翔が目をこすり、眠たげに顔を上げる。
優香は慌てて微笑み、震える声を押し出した。
「大丈夫よ。……ちょっとびっくりしただけ」
ぎゅっと抱きしめた小さな体温だけが、現実につなぎ止めてくれた。
*
深夜、玄関が開く音。
酒の匂いをまとって圭介が帰ってきた。ネクタイを緩め、気怠げに言う。
「なんだ、その顔」
優香は無言でスマホを突きつけた。
画面に浮かぶ“証拠”。
一瞬、圭介の目が大きく見開かれる。
だが次の瞬間、顔を歪め、怒鳴った。
「合成だ! 信じるな、そんなもん!」
優香は震える唇を噛みしめる。
「……違う。あなたの顔よ。見間違えるはずがない」
「だから違うって言ってんだ!」
圭介がテーブルを叩き、食器が跳ねた。
翔が寝室から泣き声を上げる。
優香は涙をこらえ、静かに告げた。
「翔の前で、もう嘘をつかないで」
その言葉に、圭介は一瞬だけ口をつぐんだ。
怒りも言い訳も出てこない。ただ沈黙が落ちる。
*
その夜、優香は眠れなかった。
隣で眠る翔の小さな寝息。
そしてスマホに残された写真。
何度も見返すたびに、胸の奥で何かが確実に砕けていく。
「……もう、終わらせなきゃ」
誰にも聞こえない声でつぶやいた瞬間、優香の心に静かな決意が芽生えていた。