改造人間 紫童リンネ
四ノ宮リリカは渋谷SKY上空から一部始終を見ていた。
空間に亀裂が走って、そこから伸びた触手が紫童リンネを連れ去ったこと。
星崎カンナがその後を追って亀裂に飛び込んだこと。
迷う様子はあったが、残りのふたりと妖精たちも星崎カンナに続いて姿を消したこと。
「……バカが」
苛立ちを言葉とともに吐き捨てた。
亀裂の向こうには間違いなく始祖がいる。やっとの思いで別次元を開いてまで封印を果たしたのに、そいつと同じところへ行ってどうする。戻ってこられる当てもないというのに。どうせあれはイタチの最後っ屁だ。封印は成功した。始祖がこちらの世界に戻ってくることはもうない。
見捨てるべきだったのだ。攫われたのがたとえ身近で親しい存在だったとしても。たかがひとり。始祖がもたらした大勢の犠牲を思えば、誤差と言い切って差し支えない。
──けれど、それができないから、あの子たちは魔法少女なのだろう。
それがあたしとあいつらの差だ、とリリカは思う。あたしは大人だからこそ、子供であるあいつらには絶対に勝てない。感情にまかせて動く瞬発力が涸れているから。
チッ、と舌打ちが出る。強風で髪が乱れるのがいいかげんうっとうしかった。
リリカは静かに下降を始める。
「……寝覚めが悪ィ」
ぼやきたくもなる。始祖は倒したが魔法少女も全滅した、なんてエンドは想定していなかった。敵を殺すか、できなければ自分が死ぬか、それしか考えていなかったように思う。
本当に終わったんだろうか。
実感が湧かなかった。それはそうだ。リリカの力では始祖に及ばず、ほとんど魔法少女たちの力で成し遂げたのだ。それを自分の手柄だと思い込めるほど厚かましくはない。
それでも、もう少しくらいは充足感があるものだと考えていた。
誰が倒すかは問題じゃない。あいつを殺せさえすればそれでいい。そう思っていたはずなのに。
討伐ではなく封印だったことも原因かもしれない。より倒した実感があるのはまぎれもなく前者だろう。ああでも、あの封印、異次元に飛ばすだけじゃなく存在を希釈する効果があるんだっけ。それなら、今殺すか後で死ぬかの違いでしかないはずなのだ。
結局、目の前で苦しみながら死ぬところを見たかったということなんだろうか。だとしたら。
「あたしもたいがい俗っぽかったってことか。自己嫌悪しちまうな……ん、」
隣にきらめく何かが現れた。
世界に吐き出されるようにして空中に突如現れたそれは、大きなダイヤモンドのように見えた。どのくらい大きいかというと、ちょうど棺桶くらい……そうだ、子供用の棺桶だ。あのサイズ感に似てる。
ダイヤモンドは重力に引かれて、渋谷SKYのちょうど中心部に落下し床面に激突した。床材が破損して弾け飛び、ダイヤモンドの下にはいくつもの亀裂と瓦礫ができあがる。
リリカは慎重にダイヤモンドに近づき、そして中に何が入っているかを確認すると片眉を上げた。
「……なんでこいつが降ってくる」
中にいたのは、星崎カンナの契約妖精アルトと、紫童リンネ。さしずめ、このダイヤモンドはアルトの結界魔法か。それよりも気になるのは紫童リンネの状態だった。
「……シのみ、ヤ……タスけ……イる……」
耳障りな音がした。いや、これは声だ。聞き覚えがある。けれど以前とは比べものにならないくらい、聞き取りづらい音だった。
「犬っころ。おまえどうしたその声」
ダイヤの向こう側でアルトがリリカをにらみ上げていた。ひどくつらそうだ。
パキンと高い音がして、ダイヤモンドの端が欠けた。
「……助ケ……こいツ、ヲ……シ、どウ、リン、……を、──……」
ぶつりぶつりとノイズとともに音が途切れる。たぶんアルトはいままで通りに喋っている。なのにこの聞き取りづらさはなんだ。そこまで考えて、はたと気づく。元々こいつらの発話は音を出していない。魔法少女という要が消えた今、人間と妖精は意思疎通の手段を失いつつあるのかもしれない。
とはいえ、何を求めているかは一目瞭然ではあった。
妖精アルトは紫童リンネを護っている。
「けどよ」
リリカは疑問を呈する。
「右腕がねェんだぞ」
アルトは無言でリリカを睨みつけるだけだった。あるいは伝わっていないのかもしれない。めんどくせェな。リリカは舌打ちして、はっきりとした言葉と表情で告げる。
「もう死んでるだろそいつ」
顔色は土色で、目と口は半開きで色を失っており、身じろぎひとつしない。これで死んでないなら大したものだ。
ただひとつだけ、普通の死体と異なる点はある。紫童リンネを見ると嫌でも視界に入るそれを、リリカはなるべく意識しないようにしている。相変わらず気持ち悪ィな。文句に似た感想を口の中で呟く。
「まだ息はある」
不意に今までよりも聞き取りやすくなった声が届いて、思わず真顔になる。聞き馴染みのあるアルトの声だった。ノイズが混ざっていることに違いはなく、またすぐにまともに聞こえなくなる予感のする不安定な音ではある。しかし、まっすぐに自分を見るアルトの視線の強さと相まって、固い意志を感じさせた。
「頼む」
リリカは目だけを動かして紫童リンネをじっと見た。今まで見ないようにしていたもの、その正体を改めて目に留める。
少年の右腕。本来それが収まっていたあたりに、今は因果の縁がこごっていた。複雑に絡まり合い、蠢きながら塊となって滞留している。その塊が失われた右腕として代わろうとしているようにも見えるというのはうがち過ぎか。
なんでこんなに気持ち悪ィんだろうな、とリリカは不思議に思う。こいつの因果の縁。目にするだけで得も言われぬ嫌悪感で吐き気がする。
リリカはダイヤモンドの傍らにしゃがみ込むと、手のひらを上にかざした。いつの間にかクルミ大の物体がその手の上に現れていた。干からびた木の実のようなそれは黄色く発光していて、フイイイン、と小さく震えるような音を出している。
アーティファクトはたしかに反応していた。
紫童リンネは適合できる。
はあ、と苦い息を吐いた。もしかしてと思ったらやっぱりだ。やはりそういうことか。
「腕がねェから適役ってか。悪趣味な条件だなオイ」
誰にともない悪態をついてから、しょうがねェなと腹を決めた。アーティファクトを持つ手と逆側の手、曲げた中指の関節をぶつけて結界をコンコンと叩く。ぴしり、と大きなひび割れが起きて、ぎくりとしたが態度には出さなかった。
「合図したら開けろ」
伝わったのかどうか、アルトは頷くことすらしない。わざわざ解除するまでもないくらい、ダイヤの結界はすでに限界だった。叩き壊したほうが早ェかもな、と皮肉に口角を歪めながら、ゆっくりと空手を掲げた。
結果がどうなるかはわからない。助からないかもしれないし、もっと悪いことが起きるかもしれない。迷っている自分を自覚するとともに、意外に思う。駒が増えるのだ。もっと喜びそうなものなのに。けれど、そうか。始祖はもういないのに、駒を増やしたところでどうする。その空虚感を誰よりも感じているのは、他ならぬリリカだった。
アルトの目を見つめながら、リリカは手を勢いよく振り下ろした。次の瞬間、ダイヤモンドの外殻が砕け割れ、紫童リンネの肉体が外界に晒される。
すかさずリリカはアーティファクトを持った腕を因果の縁の塊の中に突っ込んだ。なんの感触もない。当然と言えば当然だった。因果の縁に実体はないのだから。吐瀉物の中に腕を入れているような気色の悪さを覚えているのは、ひとえにリリカの問題だ。まったく最悪の気分だった。
自分の感情を無視して、リリカは次の工程に入る。
魔力を注いでアーティファクトを励起する。
目を覚ました遺物は輝きを強めると同時に、膨張を始めた。みるみる体積を増していく様を見守りながら、材料はどこからきているのかと素朴な疑問が浮かんだ。アーティファクトはあの小さな物体に収まっていたはずがないほどの膨張を続けながら、紫童リンネの肉体と融合し、失われた右腕を代替するように形作られていく。
気になるのは因果の縁の動きだった。塊がほどけてばらけたかと思うと、形成されゆく右腕の一部となるように、組織の中に編み込まれるようにしてアーティファクトと同化していく。どうしてそのような動きを見せるのかわからなかった。因果の縁には意思があるのか? なんにせよ、リリカには触れることすら叶わないのでどうすることもできない。
イレギュラーはあるにしろ、適合の様子はカグヤの時と変わらない。もう間もなく、紫童リンネは適合者として完成するだろう。そうなったところで命があるかは別の問題だが。
仮に生き延びたとしても、このガキが戦う場面は訪れないだろう。そうすると、ただ肉体の一部をよくわからないものに代替されただけで……そう、改造人間というバケモノとなっただけで、力を振るう機会もなくこの先の人生を過ごすことになる。それは果たして幸せなのだろうか。
知ったことか、と思う。死に体を救うべく手を尽くした。文句を言われる筋合いはないし、命を繋ぐことができたとしたら後はこいつの問題だ。てめェの人生の行く先はてめェで好きなように選べばいい。
どこへ向かうか、選ぶことすらできないことこそが不幸だ。
まぁいいんじゃねェの、と鼻で笑った。戦わずに済む。結構だろ。考えながら、本気でそう思っているのか自分でもよくわからなかった。仕方ないだろう。あたしだってまだ現実感がないんだ。存在しない誰かに言い訳して、リリカは天を仰ぐ。空は暗く、星は見えない。地上から上がる黒煙や空気中のチリが街の明かりを反射して、視界全体がうっすらと濁っている。
ああでも。これだけは言えるな。ふと気がついたリリカは強風で乱れる髪を押さえながら首を戻し、横たわる紫童リンネを視界に収めた。
ガキのお守りはうんざりだ。
そして、アーティファクトによって造り上げられた新しい右腕が完成した。




