離れの屋敷は住み心地が良いです.1
『レイチェル、できたぞ!』
褒めろとばかりにピットがレイチェルに向かって飛んでいく。鱗のついた尻尾をピンと上に向けフリフリと振る。
「ありがとう、ピット」
レイチェルが黄色の鬣を撫でると、空中でクルリと一回転。
使用人はいないが、一日三回侍女が食事を持ってきてくるので飢え死にすることはない。衣食住の食が確保されているので、住む場所を整えることに。
『俺が掃除出来る所ってもうない?』
まだまだやれると、レイチェルに絡みつく。屋敷は荒れに荒れていて、掃除する場所はまだまだ沢山。
昨日、屋敷に着いたのは夕暮れだったから、掃除はせずに屋敷を探索した。
とりあえず一階にある扉を端から順に開けると、台所とお風呂。それから、大きなテーブルが置いているダイニングと、客間と思しき部屋と使用人の部屋。
二階にある三部屋の内、二部屋は物置と化していて、残りの一部屋にベッドを見つけた。しかしそれは埃だらけの屋敷に相応しくない蓋付きの豪華なベッドで、大人三人がゆったり眠れるぐらいの大きさ。
でも、ポンと手で叩けば、ぶわっと埃が舞う。
ちょっとここでは眠れない。
物置部屋の中を探したところ、シーツが数枚重ねて置いてあったので真ん中の埃の付いていなさそうなシーツを取り出して、昨晩はベッドは諦め客間のソファーでそれに包まって眠った。
目覚めると玄関先に食事の乗ったワゴンが。それをダイニングに運び朝食を摂ると、寝室から掃除を始めそれが今終わったところ。
「そうね。水浸しになってもいいところをして欲しいから、とりあえず台所とお風呂かな」
ピットは小さいけれど、水の精霊。水を自由に操れる。
小さな水の渦を幾つも作り、床や壁、果ては天井まで磨きあげる。作業中は部屋が水浸しになるから入ることはできない。でも、終わったあとは、これまた水を操り水滴一つ残さない状態に。レイチェルが塔にいた時から、ピットはレイチェルの暮らす空間を常にピカピカにしていた。綺麗好きなのではない、褒められたいからだ。
『任せとけ!』
ウキウキとしながら床をすり抜け一階に向かっていく。レイチェルは見えなくなった姿に手を振り、枕をポンと叩いた。ブワッと埃が出るそれを、窓辺に持っていき先程より強く手ではたく。
次に埃だらけのシーツを洗おうと裏庭に行くも、井戸が枯れていた。小柄な身体で背伸びしてその奥を覗き込めば、微かに日が届く底には落ち葉が積もっている。
「ピット!」
呼べばすぐに飛んでくる。そして尻尾を振りながらレイチェルの言葉を待つ。
「井戸水が枯れているの。水を出してくれない?」
『任せとけ!』
そういうと、裏庭に置いてあった大きな樽の中から水が溢れ出した。
「ピット、桶じゃなくて井戸をいっぱいにして欲しいの。そうすればいつでも井戸水を汲み取れるんだから」
『だめだよ。そんなことしたら俺の出番が減るじゃないか。レイチェルは水汲みなんかしなくていいんだよ。俺がいつでも出してやるんだから』
それもそうかとレイチェルは思う。だからそれ以上は何も言わずに樽の中にシーツを入れた。樽の高さはレイチェルの腰ぐらいで、大きさは両腕で抱えられないほどもある。レイチェルは裸足で桶の中に入ると、シーツを踏んで洗い始めた。シリル国にいた時から身の回りのことは全て一人でしてきたから、慣れたもの。春の午後、水は少し冷たいけれど足を動かしていれば額に汗がうっすらと滲んでくる。
ピットと一緒に途中から踊るように踏んだ後は、桶からでるだけ。ピットが水を操って桶の水もシーツに染み込んだ水も全て消しさってくれる。シーツを部屋に運び終えベッドメイキングを済ませたところで二人は休憩をすることに。
「ピット、お茶を飲みたいからお湯を沸かしてくれる?」
『分かった! いっぱい沸かす。溢れるぐらい』
「いっぱいは要らないよー。ティーポットに入るだけって聞いてる!?」
ピットはレイチェルの上から飛び上がると、台所方面へと姿を消した。
(何に溢れるぐらい用意するのだろう)
疑問と不安に突き動かされ、黒い侍女服を翻してレイチェルも台所へと向かう。
食事を運んできた侍女はドアベルを鳴らして玄関前に置いて行くだけ。だから侍女と顔を合わせることはないと分かったレイチェルは、持って来た動きにくいワンピースではなく、使用人の部屋にあった時代遅れの侍女服を着ることに。黒いワンピースに白いエプロン、ピンク色の髪は一つに纏めて三つ編みにしている。帽子もあったけれどそれはいいかな、とエプロンのポケットに突っ込んだ。
大鍋の中でぐつぐつと煮え立つ湯に苦笑いを漏らしながら、手近にある柄杓で湯を掬い上げティーポットに注ぐ。昨晩の食事と一緒に運ばれてきた茶葉は小さな瓶に入っていてそれほど香りは良くない。でもレイチェルに不満はない。茶葉を貰えただけで充分すぎるほど。
のんびりとお茶を楽しんだあとは、少ない荷物の整理とダイニングの掃除。それが終わった頃に玄関先のベルが鳴り食事が運ばれてきた。
「わぁ、今日も豪華ね!」
お皿の上にはパンが三つ。それから、スープには野菜の切れ端とお肉まで入っている。おまけにトマトのサラダにチーズ。
「ピット、今日は何かのお祝いかしら」
『……違うと思うよ』
小さな声でピットがぼそりと呟く。
「そう、でも、パンが三つもあるのよ。シリル国ではいつも一つだった」
『だからそんなに細いんだよ。腰なんて折れそうなぐらいだし』
「スープだって具が入っているわ」
『切れ端だよ。捨てるところ』
「トマトとチーズは絶対にご馳走よ」
『……それ、傷んでるから生で食べちゃだめだよ』
ピットはピュッと小さな炎を皿に向けてはいた。
焼けたチーズの匂いがふわりと漂う。
『トマトのチーズ焼き、ピット風』
「わぁ、なんて素敵なの! やっぱり今日はお祝いよ!!」
スプーンを入れると、チーズがとろりと伸びる。資源の少ないシリル国では乳製品は贅沢品。当然ながらレイチェルの食事に用意されることはなかった。
「あつっ!」
口に含み噛んだとたん熱々のトマトの果汁が口内いっぱいに溢れ出す。ハフハフと口を開け顔を赤くするレイチェルにピットは慌てる。
『ごめん! レイチェル。やり過ぎた』
「いいの、いいの。こんな熱い料理初めてだからびっくりしちゃった」
焼いたトマトはこんなにも熱いのかと思う。シリル国で運ばれてきていたのは冷めた料理。ピットが温めなおしてくれていたけれど、チーズをトロリと溶かすためにいつも以上に火をいれすぎたのだ。
水を一口飲むと次にパンを手に取る。テーブルに打ち付ければコツンと音が鳴るようなそれを、一口大にちぎりスープに浸す。固いパンが水分を含んだところで口に含みゆっくり咀嚼すれば、小麦の味が僅かに感じられる。
『そんな固いパン、よく食べれるよね』
「何言ってるの、固くないパンなんてないでしょう?」
『おれ、なんだか泣きたくなってくる』
ピットはぶつぶつ不満をもらすけれど、レイチェルは満足そうに食事に舌鼓を打つ。
「賠償品になって良かった」
切れ端が浮かんだだけのスープを飲みながらしみじみと呟くレイチェルを、ピットは残念そうに眺めていた。
あと一話ぐらい、日付が変わる前に投稿したい!
お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。