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◆9の12◆

◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第三日 アルシャーン公爵領 オレルア◆


 深夜、一ノ刻の前後、カロ王子の魂は俺の夢に紛れ込んでいた。


 そして俺の心から漏れ出る闇を、カロは味わっている。


 どちらもその直中ただなかに居る者には、意図して出来ることではない。


 単に水が低きに流れ込むように、より高位の闇を抱える者から溢れ出る何かを、低位の者が受け止める、それだけだ。川の流れに溺れようとする者が、思わずその水を飲み込んでしまうのに、それは似ている。


 その水の中に紛れている何かを、低位の者は知ることになる。


 五千年近く昔、アシトドにあったダゴンの神殿に仕え、神々の夢を盗み取った年若き神官ムソン・ルトンの逸話は、いつか王子にも教えなくてはならない。



 ネネムによれば、二万年前に『旧世界』の支配種族たち自身による『地球世界』への侵攻の試みがあったという。結果として彼らはこの世界に適応できず、オールト雲の彼方へ撤退したが、彼らの一部は『現身うつしみ』あるいは『分身・分霊』をこの惑星に残した。それは彼らの、『地球世界』を間接支配しようとする企てだった。


 ウトゥとも呼ばれる太陽と正義の神シャマッシュ、運命の石版を携える知識と書記の守護神ネボ、大地の女神キシャル、霧の神ムンム、月の女神スィンとナンナ(この二柱は双子の姉妹とも同一神とも言われる)、豊穣神にして農業と狩猟を教えたとされる神ニヌルタ。


 今に伝わるこれら太古の神々はすべて、実体を持たぬか依り代によって辛うじてこの世界に影響を及ぼすだけの偽神であった。そう喝破かっぱしたのは、『真の魔導師』と呼ばれた旧帝国末期の研究者、エキュロス・パウロであった。


 彼の残したとされる著述には、魔導術はそれら『分身・分霊たち』がこの世界の地脈から盗み取っていた力を、奪い返そうとする戦いから生まれたとある。ただし正面切った挑戦ができるほど、人類ホミネスの力は強くなかった。


 それどころか、これら旧支配者たちの影でさえ、人に比べれば隔絶したパワーを持っていたのである。そんな挑戦は藁屑を篝火に投げ込むようなものであり、彼らには一顧だにさえされなかった。


 『神話の時代』とも言われるこの時期、人間たちはこれら偽神たちに隷属することを歓ぶがごとく振る舞い、懐柔することで己が利益を図ろうとした。その手段の一つとして捧げられた多くの生け贄の一人が、ムソン・ルトンという子どもであった。


 ただムソン・ルトンの弟子たちにしてみれば、宗主が犠牲に提供される家畜の一頭に過ぎなかったなどということは許容できることではなかったのだろう。彼らの手により残された断片には、生まれながらに偉大なる知恵を持っていた人物との記述しか見られない。


 だが人間種が神々をかたる彼らから『魔導術』を盗み取り、『魔導文明』が生まれる結果をもたらしたのは、その子どもが偽神ダゴンから夢の欠片である『記憶』を受け取り、なおかつ正気で生き残ったことによる。


 それがどういう意味の『正気』であるのかは、別の話ではあるが。


 いずれにしろ、一部の者が『魔導書グリモワール』と呼ぶこの『記憶の欠片』こそ、夢の中で魔導師の師匠から弟子へと与えられる精髄であった。また、二万年も昔の出来事を僅かでも窺い知ることが出来るのも、偽神から得たこの『記憶』による。


 当然それはムソン・ルトンが受け取ったオリジナルではない。多分ほとんどの人間には、その最初の『記憶』は致命的な狂気をもたらすだろう。


 何世代にも渡って模写コピーされ、代々の『師』によって別の何かが付け加えられてきた『記憶』は、当初の異形なそれに比べればよほど受け容れ易いものになっているはずだ。


 だがそれでも、この文字によって記されていない『魔導書グリモワール』を、受け付けない者は少なくない。俺はネネムに、そう告げられた。



 果たしてカロは、この苦い汁を、受け容れることができるだろうか?


 この『記憶』を持たなくても、魔導の力を利用することは出来る。聖銀騎士団の戦士たち、聖教会に属する労働僧や地場の呪術師、あるいは野良魔導師と呼ばれる怪しげな者たち。彼らのほとんどは、『魔導書グリモワール』を読み解くことなく、その力だけを利用している。


 だが、自己管理という面からは、これは非常に危険だ。例えば聖銀騎士団の従軍僧のような誰かが、常に監視しマナの暴走に備えていなければ、本人にも周囲にいる者にも予期せぬ結果をもたらしかねない。


 できればカロが、このとげあるワインを飲み下すことができるようにと俺は願った。ただそれは、屈従することを受け容れ、なおかつ折れないという、特に王族などという出自の者には困難な試練であった。



 まあ、多くの利益が予想されるにもかかわらず、チェリス婆さんが二の足を踏んだのも無理はない。厄介なことを引き受けてしまったと、頭の片隅で俺は考えつつ眠りに落ちた。



 次の朝、俺は王子を揺すって起こし、冷水で顔を洗わせた。すでに空は明るくなり、間もなく日の出であった。部屋の中で身体の各所を柔軟にし、伸展させる加行を教えた。


 中庭に出て、城代にたのんで準備した短く軽い木刀を王子に手渡すと、王子ははしゃいでそれを振り回す。


「それでは駄目です」


「では、どうすれば良いのだ?」


 俺は六尺棒を持ち、王子に向かって構える。


「私が打てと言ったら、この棒を打って下さい。そして私が移動したら追ってきて、打てと言われたらまた打つのです」


「分かった」


 王子が構えたので、俺は「よし、打て!」と叫ぶ。


 王子が打ったが、コツンという弱々しい打撃だった。


「もっと強く!」


 コン。


「もっと強く!」


 コン。


 何度か繰り返してから俺は送り足で移動し、「打て!」と王子に指示する。王子はトコトコと駆け寄り、俺の持つ棒を打つ。


 四半刻も続けると王子が汗まみれに成り、足元も覚束なくなる。それで俺は訓練をやめ、水を浴びさせ、身体を拭いてやった。


「最後まで続けられましたね。なかなか見込みがあります」と、おだてておく。


「身体の鍛練だけで良いのか?」


「魔導を学ぶには耳や目だけでは不十分です。全身で学ぶのです」


 そう応える俺の言葉に、王子は何か考え込んだ。それから口を開く。


「僕のことはカロと呼んでくれ。ブドリは師匠なのだろう」


「ふむ、ではカロ様と」


「いや、ただのカロだ、ブドリ師匠」


 おや、これは賢しらな子だ。どこで覚えたのか?


「何故です?」


「僕は本気で力を身に付けたい。容赦などして欲しくない」


「弱音を吐きませんか?」


「試して見ろ!」


 俺は王子の顔をじっと見た。まあ、決心はうかがえる。


うけたまわりました」


 俺は胸に右手を当て、左手は背後に廻して一礼する。そうだな、王子の力量を測ってやることにしようか。


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