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◆神聖歴千五百二十六年 七ノ月 第三十日 ラモレ渓谷 シャンボー城◆
「オリザ、この者の名は何と言ったかな?」
頭を垂れ畏まっている俺の上に、王の声が投げかけられた。
「はっ、この男はノア、先に士爵位を賜りましたノア・グスコブドリと申します」
「ふむ、あー、騎士・グスコブドリ」
サティが申し訳なさそうな顔になって訂正した。
「陛下、彼は『従士』です。『騎士』ではありません」
「ん? そうなのか?」
「はい、どうぞブドリとお呼び下さい」
「あー、ではブドリ、さっきジャックの奴が言ったことは本当か? あ、立つがよい。直答を許す」
ヴーランクの身分位階制度では、一代身分である士爵が三段階に分けられている。上級士爵、中級士爵、従士あるいは従者と呼ばれる三つの階級だ。この内『騎士』を付けて呼ばれるのは上位の二つだけであり、俺にはその資格が無い。
もっとも一代身分と言っても、地方の郷士や富農と呼ばれる連中は一定以上の租税を納め続けることで、代々の後継者がこの従士を拝命している。それによって彼等は地方騎士団に所属することになり、身分を得ると共に、その地の治安を担う義務を負うことにもなる。
『騎士』と呼ばれる上級士爵や中級士爵はそれぞれの騎士団の士官であり、俺たち従士は一兵卒かせいぜい伍長といったところだ。
王様は自分の前にまかり出る『士爵』がまさか『騎士』ではないなんて、思いもしなかったのだろう。ちょっと気まずかったので、俺は目を伏せながら立ち上がった。
「陛下のご下問は特許状のことでございましょうか?」
「うむ、お前は王の伝令ではないのであろう」
「は、ご賢察の通り真っ赤な偽物でございます」
「特許状の偽造は重罪だと知っておろうな」
「はい。ですが自分は偽造したわけではありません」
「ふむ、お前の仲間の誰かというわけか」
「それも違います」
「何だと?」
声の勢いから察するに、どうやら王は一方的に俺を糾弾するつもりではないようだ。どちらかというと俺の弱味を突いて何かをさせようとしているように見える。それとも、サティに恩でもきせるつもりなのかもしれない。
「では何者が偽造を行ったのだ?」
「陛下、この特許状は王宮の伝令管理官殿が正規に発行した本物でございます。それ故、誰も偽造の罪に問われることは無いものと存じます」
「では先ほど『真っ赤な偽物』と言ったのは……?」
「はい、自分は王の伝令の職掌にないということでございます」
「むむ、それでは……お前をそのことで罪に問うことも、いささか難しいな」
「多くの役人や貴族が同じような『不正規利用』を行っておりますから、これを咎めることは不都合かと……」
サティが指摘した通り、このことを追求し過ぎると迷惑に感じる人間が多すぎるから、見て見ないふりをされてきたわけだ。これには王宮や官吏たちだけの問題ではなく、聖教会や大学などの利権も絡んでいる。
「まあ、確かに面倒ではあるな」
王は、特許状や王の伝令についてそれ以上追求する気が無くなったようだ。
ただし間違ってはいけないのは、吹けば飛ぶような一介の従者である俺の首を飛ばすくらい、王様には簡単だということだ。単に「不興である」と言うだけで十分なのである。それこそあの侯爵辺りが、喜々として手を挙げるだろう。
そして万が一手向かいなどしようものなら、『謀反人』の汚名を着せられることになる。つまり王の意向に従って、大人しく首を斬られなければ『謀反人』扱いされるのだ。理不尽なようだが、身分制度というのはそういうものなのである。
「ふむ」
王が問いかけるようにサティの方に目をやる。サティは一瞬俺を睨んだが、直ぐにその長身を屈め、王に応えた。
「多分この男は東方辺境伯の使いとして参ったのだと思います」
「何だと! エンブリオ伯がどうして?」
「以前より辺境伯から私に、東方の守りのため手を貸して欲しいとの働きかけがございました。勿論私も、同じ敵と戦うため寝食を共したあの者たちの誘いに、心動かされております」
「な、ならん、ならんぞ! そなたに王宮を離れられては、誰が余の身を守るのだ!」
「近衛の者どももおりましょう」
「馬鹿な! あの者どもは華美な鎧をまとって凱旋式の行列を飾るぐらいしか役に立たん。聖銀騎士団に脅しを掛けられれば、怯えて尻込みする奴等ばかりではないか!」
「ではその聖銀騎士団を近衛となさっては?」
「その話は前にしたではないか! あの者たちは己の武威を誇って傍若無人に振る舞っておる。しかも、そのせいで民心を失っていることを気にもせん。余はもう、あの者たちを擁護する気にはなれん」
「王を守るのは彼等の務めでありましょう」
「そなた以外に信用できる聖銀騎士団の幹部が、いるとでも?」
「それは……、若手の中にはまだ忠誠心を失っていない者がおります」
「そなたがここにおればこそであろうオリザ。もし騎士オリザが王宮を去れば、彼等の思いを誰が束ねられると言うのだ!」
ふーん。こりゃあ、サティの奴、随分と王様に見込まれたものだ……と、普通なら感心するところだ。だがこの王は,一筋縄でいくような玉じゃあないはずである。何しろ十五年前、隣のポルスパイン王国の女王であった二十六歳歳下のルミナ王妃を後妻に迎えることで、自分の支配する領域を倍増させるという荒技をやってのけた人物なのだ。そしてヴーランク家と言えば、武力よりも謀略と婚姻によって多くの地方領主を傘下に収め、成り上がってきた一族なのである。
ただし急激な支配領域の拡大に伴い、王家の直接的な支配力の希薄化という弊害もまた生じていた。そして王権による支配の両輪となるべき官僚機構と武力は、王の手綱に十分応えるだけの調教を未だ受け入れてはいない。
王が今抱えている最も大きな問題は、堕落した聖銀騎士団幹部の怠業や横暴で勝手な振る舞いが、放置できない水準にまで達していることであるようだ。連合王国最大最強と称されている聖銀騎士団が、王の命に従わない等と言うことが知れ渡れば、国内が乱れるばかりか魔侯国の再度の侵攻を招きかねない事態となる。
「陛下は『粛清』をお望みでしょうか?」
「ブドリ、何を言う!」
サティが慌てて俺の言葉を遮る。だが王はその碧眼を俺に向け、唇を歪めた。あれは、笑った、んだろうな。
「騎士オリザ、言わせてみよ。ブドリであったな。『粛清』とはどういう意味だ?」
「陛下、こやつは道化と同じでございます。口はペラペラと動きますが、頭は膨らませた豚の膀胱と同じように空っぽで中身が無いのです。叩けばボンボン音がするかもしれませんが、聞こえるのは戯言でしかありません」
サティが俺の言葉を無効化しようと自分の言葉を重ねるのを、王は面白そうな表情で聞いていた。だがもう手遅れだ。地面に注いだ杯の酒は器に戻すことができない。落として割った卵を孵して親鳥にすることもできない。
「この身のような卑賤の者が、国の大事を口にしてもよろしいので?」
「お前は道化だと騎士オリザが申した。道化が何を口走ろうが罰することはない。それが宮廷の慣習じゃ。だから申せ」
表向きは『綸言汗の如し』とは言うが、実のところ高貴な方々の言葉ほど信用ならないものはない。はて、どう言ったものだろうと俺は考えた。




