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◆神聖歴千五百二十六年 七ノ月 第三十日 ラモレ渓谷 シャンボー城◆
猛禽のように鋭い灰色の瞳で、俺を馬鹿にしたように見下ろす禿頭の男を、俺は値踏みした。
扉の外の廊下に二人ほど待機しているが、この男が一人だけで俺と対面しているのは、俺のことを歯牙にも掛けていないからだろう。確かに俺は身長五尺四指で体重百十八斤、大男とはとても言えない。
それに対してこの騎士団長は、上背は俺より一尺近く高いし、体重も二倍ぐらいありそうだ。おまけに聖銀騎士団の上級騎士ということは、かなり強力な身体強化、怪力と剛体を持っているに違いない。見える範囲の聖痕は七つ、あと六つは隠していそうだから、合計一三の聖痕を持っていると俺は見積もった。
聖銀騎士団の騎士として最初の階梯に足を掛けるには、聖痕が一つあれば足りるとされる。それだけで並の兵士五人分の膂力を発揮すると期待できるからだ。それから考えると、階梯の頂上に居るこの男は、一体何十人力なんだろうか? もしかしたら、百人力以上か?
ただし身体強化術は『獣化』によるものばかりではないから、騎士団の中には『聖痕』を持たない者も少数だが存在する。サティの『神聖術』やロークスの『野良身体強化』みたいな例外だ。だがこういう例外は『聖痕の数』という物差しで測れないので、主流派の騎士たちからは、余程の実績がなければ認めてもらえない。
俺の身体強化はネネムに指導された『魔導術修行』の副産物で、腕力に関しては下級の聖銀騎士に劣るだろう。俊敏性や瞬発的な脚力、動体視力や平衡感覚などは突出していると思うが、純粋な戦闘力に限れば、この男の方が圧倒的に強いと断言できた。
「憶えているぞ。お前はロークスの腰巾着ではないか! 辺境伯の手下が、騎士オリザに繋ぎをつけに来たか」
今は俺を一気に切り捨てるとか、捕縛させるとか、そういうつもりは無さそうだ。いつ何時気が変わるかは知れないが。多分俺の目的を探り出そうと考えているのだろう。残虐非情で強欲と悪評が目立つが、老獪で用心深い側面も備えているようである。
「ノア・グスコブドリと申します。お見知りおきを」
「家名を名乗るか。そう言えばお前は『士爵』だったな、浮浪児め。で、何用だ?」
ノアと言うのは、俺が叙爵されたとき自分で選んだ家名である。士爵は一代限りの爵位なのだが、平民と区別するため家名を持つことができ、万が一陞爵できれば子孫にそれを継承させることになる。まあ「一家を立てて名を引き継げるよう、今後も励め」という激励のようなものだろう。
「オリザ・サティヴァイス様に面会をお許し下さい」
「ならんな。騎士オリザは陛下のご用で忙しい。お前ごときに割く時間など無い」
副団長が忙しいから団長が出てくるって、何だよ? ひょっとしてお前、陛下から避けられてるの? あー、男の嫉妬はみっともないぞ。サティが王様の『お気に』だからって、焼き餅焼いてるのか?
あ、だとすると、こいつが一人で俺と話しているのはサティの足を引っ張る『種』を、俺から手に入れようと考えてのことか。それならそれで、やりようがあるかもね。『野獣侯爵』なんて渾名、どう見ても陰口の類いだろう。だとすると聖銀騎士団の中に、こいつと敵対する派閥があるんじゃないかな。
「ふむ、ワシを恐れぬか。ドブネズミの割には度胸があるな。だが黙っていては時間の無駄だ。何か言ってみよ」
実は、俺はこいつを何時でも殺せる。ルーヴェ街道でのように『卑怯な手段』を使えばだがな。もしこいつが、俺を殺しに掛かってきたら、ためらいなく息の根を止めるつもりだ。だから怖くはない。
ただそうすると、後始末が前の時以上に面倒だ。王が滞在中の城の中で、『暁』の一員が聖銀騎士団の団長を斬殺とか、目も当てられない醜聞だから。目の前にいるこの男以外、今のところ俺の正体を知っている者はいないだろう。殺すなら今の内か?
「侯爵様は『次の聖銀騎士団長に騎士オリザを』という声があることを、ご存じでしょうか?」
俺がそう言った途端、灰色の瞳の瞳孔が瞬時に広がった。うーん、表情こそ変えなかったが、平常心が足りないぞ。
「オリザは『聖騎士』だからな、ワシの後継者として目されてもおかしくはない」
「『聖痕』を持たない『聖騎士』でもでしょうか?」
「実績は申し分無かろう」
「それはまあ、しかし『聖銀』騎士団の団長としてはどうでございましょうか?」
「確かに、不服を感じるものはいような。だが聖教会で修練を積み、その後我らの一員となった騎士はオリザだけではない」
サティ以前のそういう騎士たちは、どちらかというと連絡担当者的な任務を理由にそうなったんだと思う。聖教会は王国第一の戦力である聖銀騎士団に手綱を付けたいし、騎士団の方は『聖銀牌』を供給する聖教会との繋がりを必要とした。
だがサティは今回の戦役でワズドフを討ち取った『暁』の二大正面戦力の片一方だ。騎士団としては、無名の土豪の出であるロークスに手柄を独り占めさせるなど、面白いわけがない。ネフやネネムの功績がどれだけ大きいか俺たちには分かっているが、王国の主戦力である騎士たちにとって、前衛で剣や槍を振るう二人が戦功の第一位を競ったという『事実』は譲れない。
サティは新たに設立された『聖戦騎士団』に参加し、辺境領にある最前線で国を守ることを望んでいた。これに対して、利をもってカイエント侯爵家に擦り寄り、サティの慰留を説得させたのは、聖銀騎士団の面子維持の為であった。しかし聖『銀』騎士団の中に、『聖銀の騎士』ではないサティの副団長就任に不満を持つ者がいるのもまた、必然と言える。
これとは逆に、聖銀騎士団の現体制に不満を持つ者は、高潔で勇敢な騎士として人気の高いサティを旗頭に、騎士団の改革を成し遂げようと目論む……わけだな。まあ、実態というか中身は、もっとずっとずっとドロドロしたもんだろうが。
「それで、お前は何を言いたいのだ?」
やれやれ、侯爵様はお気が短い。
「あの戦いが終わってすでに半年が過ぎようとしております。すでに王都での凱旋式も終わり、下々の民の関心は戦いよりもそれぞれの生活や生業の立て直しに向きつつあります」
「それで?」
「騎士オリザを聖銀騎士団に留めておく理由は、もう無いのではと愚考いたします」
「ふん」
「あ、別に大々的にそれを公表する必要はありませぬな。ほとんどの者が知らぬ間にそうなっていた、それでよろしいのでは?」
「そうもいかんのだ」
腹立たしそうにドッカと腰を下ろし、『侯爵様』は吐き捨てるようにそう言った。
「左様で?」
「ああ、奴の父親、カイエント侯爵との約定があるからな。カイエント侯爵家としては、息子が『不当な処遇』を受けてきた分の『償い』を求める権利があると言うのだ。あれだけの功績を挙げられては、拒むことなどできぬだろう。だからこその副団長の地位だ。それを今さら返上しろと言えば、カイエント家との争いになる」
まあ、カイエント家にとってサティの今の地位は一種の『利権』のようなものだ。タダで手放すなど、あり得ない話だ。上手く転がれば聖銀騎士団団長の地位さえサティの手に入るかも知れない。そうなったら万々歳だろう。
「何も騎士オリザが今の地位を辞する必要など無いでしょう。侯爵様は彼が辺境の守りを強化する必要性を説いて廻っていることをご存じでしょう」
「知っている。しかし、聖銀騎士団は王家の最強戦力だ。我らの第一任務は王家を守護することなのだ。それも近衛のようなお飾りではないぞ。王の戦力として王権のため戦うのだ。我らのあるべき場所は王のお側、あるいは王都だ。断じて辺境などではない!」
んまあ、そう言ってその『最強戦力』は、あの戦役の間中一度も魔侯国軍と干戈を交えることが無かったんだけどね……。