27話
小川につくとリーグは手早く馬の手綱を木に結びつけてからイレアナを下ろすと、持ってきていた厚手の布を濡れた草の上に戸惑うことなく敷いた。腰を落ち着ける場所を作ったリーグはイレアナの手に大きめのタオルを渡してくる。イレアナは受け取りながらなんて準備がいいのだろうと考えていると、それに気がついたのか彼は下手くそな笑みを口許だけに浮かべた。
「………ちょっと星を見たい気分だったんだ」
そういいながらリーグの瞳は暗い森の闇に向けられている。
本当にわかりやすい、イレアナはそうポツリと呟きなら背を向けて小川に足を浸した。心地よいとは冗談でも言えない冷たさにイレアナは身を震わせたが少し堪えているとすぐに慣れた。サラサラと流れていく清らかな水にしばらく見つめてからイレアナはようやく口を開こうとした。
あなたは知ってしまったのですね。
渡されたタオルに優しさと憤りを覚えて、イレアナは唇がブルブルと震えるのを感じた。
未だに触れようとしてこない、腫れ物を触るような態度の彼が口を開くよりも先に自分が何か言わなければ、そう思えば思うほど頭が混乱する。
ひどい、恥ずかしい、会いたくない、会いたくなかった、あなたのせいよ。会いたかった、抱き締めて、なにも変わらないって言って欲しい………。
次々と沸き上がる言葉にイレアナは立ち上がるとそのどれでもない大胆な言葉を口にした。
「水に入ってもいいですか」
後ろに視線を向けるとその発言に目を見張っていたリーグが視線をそらしながら気まずそうに頷いた。
イレアナは簡単なワンピースをするりと脱ぎ落とすと汚れたスカートを抱えて小川の中へと入っていく。
小川といっても奥へと向かうと流れも早いし深かった。
イレアナは気を抜けば足を取られてしまいそうなほど早いそれに一瞬暗い考えがよぎった。じっと見つめていると、後ろから突然腕を捕まれた。驚いて振り向くとそこにはリーグの姿があった。服を脱がずにそのまま飛び込んできた彼はイレアナの胸元に手を伸ばしてくると、止める間もなくスカートを奪ってしまった。
リーグはスカートについた小さな血痕を目にすると眉をひそめると、その部分を荒々しい手つきで洗いはじめた。
触れられたくなかった部分にずいぶんと乱暴に入ってきたリーグにイレアナは不快感も露に泣きたい気持ちで止めようとする。
「自分でやります!!」
悲鳴じみた声で手に触れるとリーグの指先が目に見えてわかるほどの大きさで震える。
イレアナがリーグの顔を見上げると彼は揺れるスカートを見つめながら涙を流していた。
「いいんだ。これは俺が洗う。………もう、君に触れてほしくない」
咽び泣くようにして、ひどく苦しげに顔を歪めるリーグを見て、イレアナは胸が張り裂けるのではないのだろうかと思うほどの痛みに胸をおさえた。
この人には直接関係ないというのにまるで自分のことのように、イレアナが流せなかった分を代わりに流そうとしてくれているようだった。
「どうして」とリーグはいった。
イレアナも「どうしてなのでしょう」と汚く笑った。
涙に濡れた紫の瞳がようやくイレアナを映してくれる。目があった瞬間に歪んだ傷ついた瞳にイレアナが手を伸ばすと、冷えた指先を暖めるようにして水に入ってもなお熱いリーグの指が包み込んだ。そして祈るようにして自分の額に重ねたままの二人の手を当てる。
「なぜ、泣かない」
くぐもった問いにイレアナはそこではじめて
涙をこぼした。
「私にも、責任があったのかもしれない………」
深い後悔をにじませながら自分を襲った男をかばうようなそぶりをしたイレアナに、リーグは震える声ですぐに否と声をあげた。
「いいや。誰が君を責められるものか、責められるべきは………俺だ」
リーグはイレアナの頬に手をそっとあてると、持ち上げながら瞳を見つめる。その瞳に怯えの色がないかを慎重に確認しながら傷ついた瞳を隠すようにして伸ばされた前髪を持ち上げる。
「本当に責められるべきなのは俺と、君を………汚した男だ。君に悪いところなんて一つもない。俺は自分の想いばかり君に押し付けてばかりで、迷惑をかけた。皆を傷つけた。傷つけてしまっている。…………でも、どうしようもないんだ」
リーグはそこでひゅっと息を飲んだ。
「どうしようもなく好きなんだ。君が」
リーグの告白にイレアナは涙を流しながらゆっくりと目を閉じた。
「………リーグ様ばかりが悪いのではありません。私も、私にも非がありました」
「なぜ…俺を責めないんだ」
リーグの悔しげに細められた目尻からこぼれ落ちた涙かイレアナの唇に触れる。イレアナはその一粒がカサカサの唇の上で弾けた瞬間口を開いた。
「私も………あなたが好きでした」
あんなに苦しんだというのに言ってしまえば穏やかな気持ちになっている自分を不思議に思う。
「ずっと、ずっとーーーあなたにこうして触れてみたかった」
ぼろぼろに傷ついてからではないと告げることができなかった自分の秘すべき恋心。
傷ついたイレアナは癒されたかった。この身が汚れてもなお変わることのないリーグの気持ちに、イレアナの心は熱く震えた。
愛されたかった。
リーグの揺れる瞳が問いかけてきたので、イレアナは震えるまぶたをそっと閉じた。
唇が触れたとたんにびくついてしまったイレアナにリーグは慌てて顔を離そうとしたが、首を大きく横に振って再び目を閉じる。
目を閉じていても目の前でリーグが悩んでいるのが伝わってきたのでイレアナは泣きながら声をあげた。
「お願いです」
一度だけでいいから。この夜があったら、渡しはこれからも生きていけると思うの、だから………。
はしたないと言われようと、どうでもよかった。
今離れてしまうと死んでしまう。そのくらいの覚悟でイレアナはリーグに自分の無力な身体をなげうった。
二人で小川に腰ほどまで浸かりながらリーグは癒すようにして唇と指先で残された痕をたどっていく。
顎裏、首筋、鎖骨、肩、胸元とだんだんと下がっていくリーグの頭を抱えながらイレアナは唇を噛み締める。
イレアナが怯えたように震えるたびにこのまま進んでいいのかと何度も何度も問いかけてくるリーグの低い声にイレアナは浮かされたように何度も何度も頷きかえす。
全身が湯だっているのではないかと思うほど熱くなる体が、冷たい水のなかではっきりとした輪郭を浮き上がらせる。はっきりとわかった互いの境界線をリーグは踏み越えようとしてくるが、かなわない。どれだけ求めあっても、かじりあっても肌には痕しか残せないことにイレアナは涙を流す。
決してひとつにはなれないというのに、なぜ切ないほどにひとつになりたいとねがってしまうのだろうか。
おかしくなるくらいに何度も何度も触れることを確認するリーグに、何度も頷き返す。
それはこの行為が二人の同意で行われていることを表していた。イレアナは自分がリーグを受け入れることを望んでいるのだということを頷くたびに自覚した。それはずっとリーグを拒絶していた自分を根底から塗り返すようなことだったので、イレアナは目眩を覚える。
(これは、誰でもない、私が望んだことなのだ)
イレアナの身体を癒すのに必死なリーグにそんな計算はないということは知っていたが、意地悪にも感じる指先にイレアナはずるいと漏れ出しそうになった吐息を我慢した。
イレアナが強く唇を噛み締めているのに気がついたリーグは顔をあげると、傷ついた唇に舌を伸ばすとそのまま食むようにして口づけてきた。歯の痕がついた下唇を丹念に啄みながら途切れ途切れに話しかけてくる。
「血が、にじんで、いるじゃ………ないか」
我慢しないで。熱い吐息混じりの声と、今までされた中でとびきりに甘く激しい口づけにイレアナは頭が真っ白になった。
すっかり力がぬけてしまったイレアナを抱き上げると、リーグは先程敷いた布の上にイレアナを下ろした。
濡れたシャツを剥ぎ取るようにして乱暴に脱ぎ捨てようとしているリーグからイレアナは視線をそらして空を見上げると、夜のとばりが降りてきた夜空には星の姿がうっすらと見え始めていた。
イレアナはそこで一瞬冷静さを取り戻しかけたがごめんなさいと心で謝りながら、ようやく濡れた衣服を脱ぎ捨て終わったリーグの熱い身体を受け止めた。