5-1 ヘリオトロープ~あなたに夢中~その2
私の(元)王子様、ケンジは今日もセーヌを見ながら悲しそうな顔をしてる。憂い顔もかっこいいけど、やっぱり笑って欲しい。
「香菜は来なかったね」
「先月来たばかりだから」
私たちは翻訳アプリを使ってたどたどしい会話をするようになっていた。ケンジは人と話すときだけはなんとか笑おうとするので、私のような子供でも話し相手がいれば気が紛れるんじゃないかと思う。
「一生懸命お願いすればパリで暮らしてくれるんじゃないの?」
「そうだね。でも、それはやってはいけないことなんだ」
「どうして?」
「香菜はいまの仕事、デザインの仕事が大好きなんだよ。それを頑張ってるのに僕が我儘を言ってはいけない」
「恋人のワガママって可愛いものじゃないの?」
ませた口ぶりだと思ったのかケンジは笑顔になった。
「彼女の背中を押したのは僕なんだ、『あなたの感覚は素晴らしい』って。プロのデザイナーでもないくせに、彼女の気を惹きたくて」
「ウソだったの?」
「そんなことはない、彼女のデザインセンスはとても素敵なものだよ。ただ、なんの根拠もないその言葉を信じて、彼女は仕事を変えてデザインの道へ進んだんだ」
「責任を感じてるの? でも決めたのは香菜だよね。それに彼女は成功したんでしょ」
「だからこそ邪魔しちゃいけない」
彼は寂し気に俯いた。
掌の中で小さな白いものを乗せて転がしている、ときどき見かける仕草だ。
最初は何かの骨かと思ってドキッとしたが、よく見るとそれはイヤホンの片割れだった。
「それは何?」
「お守りだよ」
「ふぅん。ねぇ、香菜のどこが好きなの?」
即答するかと思ったけど、ケンジは少し考えてから答えた。
「たくさんありすぎてわからない。でも、彼女はどんなダメな僕でも見捨てなかった。いつも好きだよって言ってくれる、とても幸せな気持ちになるんだ」
「ごちそうさま。彼女は強い人だね、恋人を一人で遠くへ行かせるなんて私ならできそうにないわ。他の人に盗られるとか考えないのかしら」
「僕が浮気するなんてありえないし、例え一瞬でもよそ見したら彼女はすぐに僕を捨てるだろうね」
「じゃあ、香菜の気持ちが他の人に変わることは考えないの?」
「彼女を信じてるから」
そう言うと彼は翻訳アプリを閉じてしまった。
「そんなヤツが現れたら僕はそいつを殺してしまうかもしれない」
ケンジは本物の王子様のように笑った。6月のパリの空のように。
言葉の意味は私にはわからなかったけど、きっと子供には聞かせたくなかったんだろう。
それは最高の愛の言葉に違いない。




