不審な男
ジークが自宅に帰ってきたころには日付が変わっていた。
アウララを連れて玄関を開けると、
「お帰りなさいませ、ご主人様」
執事服を着た巨躯が出迎えた。短く整った髪は真っ白で、口周りやあごにたっぷりひげをたたえている。
大柄な強面に見下ろされ、アウララが怯えたように顔を背けた。
「彼は僕の使用人でラウルだ。そう怖がらなくても大丈夫だよ」
ジークは優しく声をかける。
「こんな時間だ、もう休むといい。フェリ、客間に通してもらえるかな?」
「承知いたしました。どうぞ、こちらです」
フェリがアウララを連れて奥へ行くのを見送り、ジークはラウルに向き直る。
「ご苦労さま、調整中なのに働かせて悪かったね」
「いえ、ご命令とあらば全力を尽くすのみでございます。ご期待にそえられたのならよいのですが」
「報告してもらった限り、よく働いてくれたよ」
ラウルは最近になって作った、フェリに続く二体目の人造人間だ。
ジークたちが事情聴取を受けている間に、アウララが襲われた現場周辺の調査に出向いてもらっていた。
結果は念話で簡単に伝え聞いている。
ジークは自室へと入った。
ラウルはお茶を淹れて彼のそばに直立する。
「フェリ、そっちはどうだい?」
『アウララさんはひどくお疲れのようで、入浴はなさらず服を着たままベッドに倒れこまれました。まだ入眠されてはおりません。どうやら――』
「君を警戒しているのだろうね。いったん部屋から出て、廊下でこちらの話を聞いていてほしい」
『承知いたしました』
ジークはお茶をひと口飲む。
「まず僕が出くわした異形は、先に発生した二件の変死事件と同じく、人が変貌したものと考えて間違いない」
上半身は膨張して人ならざる肌を晒していたが、人の形を残していた下半身の衣類は一般人が着るタイプのものだった。
「どこの誰かは今のところ不明だ。でも遺留品と行方不明者を照らし合わせれば、先の二件と同様に素性が知れるのは遅くないだろうね」
『しかし以前は被害者同士につながりはないとのことでした。今回でなんらかの関係が見えてくるのでしょうか?』
「どうかな? 被害者だけを調べても期待は薄いと思う。むしろ犯人との関係を探ったほうがよさそうだね」
『アウララさんがそうだ、とご主人様はおっしゃいましたね』
「うん、状況からして彼女以外には考えられない。それに彼女、僕が異形を調べようとしたら急に呼び止めてお礼を言ったんだ。なかなか不自然なタイミングだったよ」
応じる間に異形は事切れた。
命が失われれば、異形化の原因となったであろう魔法的な痕跡の一部も消失する。
アウララが妙なタイミングで呼び止めたのは、その時間を稼ぐためとジークは考えた。
「今のところ彼女が犯人だと仮定してこちらは対処する。だからしばらく彼女は泳がせようと思ってね」
アウララが犯人ならば、証拠を隠滅しようとするか、次の犯行の準備をするといった何らかの行動をとるはずだ。
「ただし彼女はあくまで実行犯だ。おそらく仕組んだ奴が他にいる。そいつと接触してくれると助かるな」
付近には自然発生したものではない霧がたちこめていた。
人除けの結界が張られていたのだ。
アウララでは構築できないタイプのもの。彼女が真の実力を隠していたとしても、それはそもそも『人』には無理なものだった。
「魔族が関与しているのは間違いないな」
霧にまとわりついていた魔力は闇の匂いがぷんぷんしていた。
聖都にいた魔族は闇娼館を運営していた貴族を摘発した際に一掃したはず。しかしその残党がいたか、あるいはまたも侵入を許したか。
後者であれば聖都の防衛に不安が残るが、それはまた別件として対処すべきだろう。
「さて、僕たちがいなくなってから現場に変化があった。ラウル、見せてもらえる?」
ラウルは腕を伸ばし、大きな手のひらを上に向けると、四角いウィンドウが出現した。
そこに、裏路地が映し出される。
「これは……」
背の高い男が壁際の地面から何かを拾い上げていた。暗いがその顔はくっきり映っている。
ラウルが口を開いた。
「外見上、魔族の要素はございません。私はまだ魔力探知に不慣れなためそちらに言及はできかねますが、動きを観察した限り運動能力が高いとは思えませんでした」
フェリ同様、彼もまたジークの記憶が流れ込んでいる。感覚的な判断はつかなくとも、所作のひとつひとつから一般人と訓練された者との違いは読み取れた。
『魔族でないとすれば、その協力者でしょうか?』
「さて、どうかな……」
ジークは男の動きを観察する。
拾い上げた小さな何かをいくつか、ハンカチの上に置いていた。
異形化した被害者とアウララがいた場所からはすこし離れていて、警備兵が回収し損ねた遺留品かもしれない。
「ガラスの破片だね。量からして小瓶かな?」
「はい、液体が付着しているのを確認しております」
「ふむ、視覚情報と映像記録では鮮明度合いにけっこう差が出るのか」
そちらは今後の課題として。
「どうやら魔法薬液を飲んだ結果、異形化したと考えてよさそうだね。うん、僕の調査結果と一致する」
ラウルが不思議そうに尋ねた。
「アウララ嬢の妨害で異形の調査は行えなかったのでは?」
「ん? ああ、いや。その前にも体の内側の調査はしていてね」
異形を貫いた黒い霧の槍を通して、体の内部で何らかの術式が展開していたとの情報を得ていたのだ。
「魔法薬液を飲んだとなれば、やはりアウララが実行犯とみていいだろう」
小瓶に入った薬液を歩きながら飲むのは考えにくい。仮にそうだとしても、その動きを背後にいたアウララが目撃していないのは不自然だ。
彼女は一貫して『前にいた人が急に苦しみだした』としか証言していなかった。
「となると、被害者はアウララと面識がある」
見ず知らずの女から得体の知れない飲み物を受け取るとは思えなかった。
「彼女と接触した人を洗えばこちらで事前に仕込みはできそうだね。さて、次の問題は〝彼〟だけど――」
ガラスの破片をすべてハンカチにくるむと、男はポケットにねじ込んだ。
辺りをきょろきょろ窺い、足早に立ち去るその顔には見覚えがあった。
ぼさぼさ頭に糸目の男――魔法具開発を専門とする、マルスラン・マロゥ室長だ。




