表向きの贖罪
聖王ジルベール・テリウムは玉座に座り、息をついた。
眼下に跪く文官の報告によれば、獄中でまた一人が自殺を図り、死亡したのだと言う。
(これで五人目。勇者殺しに加担した者は全員か……)
罪状はそれぞれ別の不正での投獄だったが、ひとつの犯罪行為に共通する者たちだ。連日のように獄中自殺でみなが死んだ。
「ご苦労。下がってよい。余は少しここで休む。他の者たちも下がっておれ」
報告に来た文官を含め、謁見の間にいた者たちをみな退室させる。
しんとする中で、ジルベールは玉座に背をもたれかけさせ、ぼんやりと天井を眺めた。
(もはや遠慮がなくなったか。さて、誰がやったかはおおよそ見当がつくが……)
ここ数日、イザベラ・シャリエル司教長の姿が見当たらない。
様々な噂が飛び交う中、大司教たち教会の幹部は彼女が暗躍して獄中の貴族たちを殺し回っているのではないかとの憶測も出ていた。
(あやつはもう、この世にはおるまいよ)
生きていたとしても、死ぬよりも辛い状況にあるとジルベールは考えていた。
イザベラは勇者殺しに直接関与はしていない。
だが今にして思えば、自身も含め彼女の言動によりそう動かされていたのは間違いなかった。
ゆえに彼女が獄中の貴族たちを自殺に見せかけ殺したとは考えられない。死罪は免れられない連中だ。下手に干渉して自身に疑いがかかる危険を、彼女は絶対に選択しない。
だから犯人は別にいて、イザベラもその凶刃に倒れたとみるべきだろう。
(となれば、これはいよいよ、余の番が回ってきたらしいな)
自分以外には誰もいないはずの広間に、コツコツと足音がする。
ジルベールはゆっくりと顔を正面へ向けた。
「やはり貴公か、マティス・ルティウス」
黒髪黒目の青年が、冷たい視線を突き刺していた――。
翌日、グモンス討伐へ赴いていた三千の兵とハーキムの部隊が聖都へ凱旋した。
指揮官のガラン・ハーキム伯爵と、この戦いでの最大の功労者である至高の賢者はそろって謁見の間に入る。
「大儀であった。そなたたちの活躍と我らが主の加護により、反逆者グモンスは討たれた」
聖王ジルベールは玉座の間で彼らを労う。
「特にマティス・ルティウス男爵はその智謀をもって、味方の損害をほとんど出さずに勝利へと導いた。余の裁量により望む褒美を与えよう。なんなりと申してみよ」
黒髪の青年は跪いて首を垂れたまま、無言で首輪に手を添えた。
「ああ、その首輪のことか。そなたはいまだ罪人として扱われていたな。しかし案ずるな」
ジルベールは柔らかに続ける。
「獄中で自ら命を絶った者たちからの証言により、貴公が勇者殺しの犯人でないのは明らかとなっている。大法廷の判断を待つことなく、貴公の不名誉は回復されるべきものだ」
ジルベールが目配せすると、文官が青年に近寄った。
彼の首に手を添えて何事かつぶやくと、首輪が光を帯び、かちりと外れる。
「これは貴公がこの場に来る前に決まっていた。そら、他に願いがあるなら申してみよ」
青年がゆっくりと顔を上げる。
「事の真相を、詳らかに」
「……なに?」
「グモンスは独立を宣言した際、こう言っていました。『勇者殺しは聖王の命である』と。果たしてそれが真実であるのかどうかを、今ここで明らかにしていただきたく」
真摯に見つめると、ジルベールは押し黙った。
代わりに方々から声が上がる。
「ルティウス卿、不敬であるぞ!」
「陛下がそのような命を下すはずなかろう!」
「また首輪を付けられたいのか!」
それらの声を振り払うかのように黒髪の青年は立ち上がる。
「我が親友は! 卑劣なる謀略によって魔族どもに切り刻まれて死にました。その無念を晴らすことこそ、私の唯一の望みです。勇者暗殺を企んだ者たちはみな、ここで証言することは叶いません。ゆえにこそ――」
昂る感情を抑えるように、静かに告げた。
「陛下御自ら、真相を詳らかに語ってください」
しん、と広い謁見の間に沈黙が降りる。
しかしすぐさま、至高の賢者の横にいた男が立ち上がった。
「マティス、やめたまえ。君らしくないぞ」
ハーキムはさすがに堪えきれなかった。
聖王を糾弾しようなどと、この場で斬り殺されても文句は言えない。
至高と謳われる賢者のことだから何か策があるとは思うが傍観してよいはずもなく、彼の肩をつかんで跪かせようとした。
「よい。ハーキム卿はすこし下がっておれ」
ジルベールは重く告げると、片手を横に伸ばした。
そちらには一人の騎士がいて、煌びやかな剣の鞘部分を両手で握って掲げている。
緊張した面持ちでジルベールへと歩み寄り、片膝をついて恭しく剣を差し出した。
雷帝剣『トゥルディオ』――王家に伝わる秘宝中の秘宝である。
その切れ味と特殊効果は、聖剣にも匹敵すると言われるほど。
「陛下、お待ちください。ルティウス卿は戦場から戻ったばかりで高揚しているだけで――」
「下がれと言ったぞ、ハーキム卿」
聖王国きっての武人でも、聖王の眼力に思わず後じさりした。
「マティス、余はな、ジークを我が子のように愛していた」
雷帝剣を手にし、ゆっくりと玉座から離れる。
「少々やんちゃなところはあったが、誠実で分を弁えた男だった。若いころの余を見ているようで嬉しくなったものよ。ゆえに、最愛の姫をくれてやる気になった。いずれ聖王となり、この国を栄華の果てへ導くと信じてな」
階段を降り、黒髪の青年と距離を開けてその正面に立つ。
「それほどの信頼を寄せていたあやつを――」
剣を抜き、切っ先を青年の黒瞳へと向ける。
この場にいる者たちはみな一様に凍りつき、至高の賢者が両断される未来を想像した。
しかし――。
「余は恐れたのだ!」
一同が耳を疑う中、剣先を向けられた青年だけが、眉ひとつ動かさずに聖王を凝視する。
「他者の心など誰にもわからぬ。そして移ろいやすいものだ。聖職者が一時の快楽に惑い、盗人が痩せた子どもにパンを恵むこともあろう。最強の力を持つ者とて例外ではない。もし一時であろうと悪に染まろうものなら、野放しにするは魔王復活と同義である」
真っ直ぐに伸びた剣が、かすかに震える。
「我が子のように愛していながら――いや愛していたからこそ、強大なる力を内包したあやつが、真に清き心を持ち合わせているかどうか見極められなかった。周囲の言葉に迷い、ただ恐怖だけが募っていったのだ」
「だから殺したのですか」
ジルベールの強面から険が剥がれ、哀しみに染まる。
「ああ、余は老いたのだろうな。国と姫の行く末を案じるあまり、それが最善であると……疑う間もなかったのだ」
目元には哀しみを残したまま、どこか晴れやかな表情となった。
「礼を言うぞ、マティス。胸の奥に淀んだ何かが洗い流された気分だ。そなたの親友を想う真摯な瞳で促されなければ、余は死してなお淀みを抱えたままであったろう」
「ッ!? 何を――」
青年が慌てて手を伸ばす。
聖王が剣をくるりと回し、
「裁きは我が手により! 贖罪をもって弔いとする!」
ずぶり。
自らの胸を剣で貫いた。背中から切っ先が突き出るほど深く。
「陛下!」
ハーキムが聖王から剣を抜こうと躍り出るも、
「ああ、ジーク。至らぬ義父を許してくれ……」
雷鳴が轟いた。
体を貫く刀身に稲妻が絡み、巨躯を蹂躙する。雷撃に弾かれ、仰向けに倒れた。
「陛下ぁ!」
「すぐに治療だ!」
「急げ!」
謁見の間が騒然とするも、すぐに重い沈黙が降りてきた。
聖王ジルベール・テリウムからは、心臓の鼓動が消えていたのだ。
静かに立ち尽くす青年の頭に、女性の声が入りこむ。
『いかがでしたでしょうか? 練習通りばっちり決まったと自負しておりますが』
『うん、なかなか迫真の演技だったよ、フェリ。僕も思わず引きこまれてしまった』
『恐れ入ります』
『痛い思いをさせて悪かったね』
『わたくしは痛みを感じません。体の不調は情報として伝わるだけですので、ご主人様はお気になさらず。では、わたくしはしばらくこのまま死んだふりを続けます』
『ああ、頼むよ。君の変身魔法が解けるまでに――』
黒髪の青年――ジークは冷ややかに告げる。
――本物を始末してこよう。