劣情、土に帰す
フェリとルナの姿が消えた。
信じがたいが、アレはおそらく転移魔法だ。失われたとされる古代の秘術。となれば先ほど至高の賢者が見せたのも、同じく古代の秘術たる飛翔魔法に間違いない。
(マティス、貴方は……)
イザベラの胸に歓喜が渦巻く。
「あは、あはははははっ! 同じ……、同じだった。貴方も私と同じで、真なる力を隠していたのね!」
ただそのことが嬉しかった。
「驚きました。ええ、人生でこれほど驚いたことはありません。平民出身の貴方が、恐ろしいまでの力を誇示する衝動に耐え、他者に疑われぬよう知力のみで成り上がってきたなんて」
両手を頬に添え、恍惚とした表情になる。
「でも、理解できます。私はマティス、貴方と同じなのですから。気持ちいいですものね、こちらを見下す相手を手のひらの上で躍らせるのは」
「お前なんぞと一緒にするな。己が欲のみに拘泥し、他者を振り回して喜ぶお前と、俺は異なる存在だ」
「……そう、まだ自覚がないのね。仕方ないわ。私も最初はそうだったもの。でも思い返してごらんなさいな。力なき者が威張り散らした挙句、どうにもならないところまで追い込まれて弱者と蔑んだこの身に縋りつく様は、名酒に勝る甘美な味わいでしたでしょう?」
「歪んだ享楽だな。俺は俺自身のために力を振るうことなど、疾うの昔に捨て去っている」
イザベラの表情が一転、冷めたものになる。
「では、なんのために力を振るうの?」
「親友のためだ」
きっぱり言い切ると、イザベラは眉間に怨讐の念を集めた。
「やはりあの男――ジーク・アンドレアスが貴方の心を掻き乱していたのですね。ええ、早々に駆除しておいて正解でした」
「ジークはそれほど大層な男ではないが……それ以前の話として、お前は〝マティス・ルティウス〟に執着していながら、さして理解はしていなかったとみえる」
挑発する意図はない。しかし受け取り方によっては怒るだろうと考えていた。
ところがイザベラは、またも歓喜で胸がいっぱいになったらしい。
「ふふ、あはははっ! ええ、そうですとも。貴方は私の理解の遥か先を、いつも歩んでいました。だからこそ、貴方に魅かれたのです」
最初は自身の楽しむための、手ごまのひとつに過ぎなかった。
平民出の彼が貴族社会で出世する後押しをして、やがて智謀のみではどうにもならないところで足掻く様を見ていたかったのだ。
けれどマティスは謙虚にして誠実なその人柄から、多くの貴族たちを魅了して地位を固めていく。ついには最強の勇者と親友にまでなり、いずれ聖王となる勇者の片腕として歴史にその名を刻むのが約束された。
許せなかった。
自身の思うままにならない彼が。
だが嬉しくもあった。
これほどの才能が存在したことに。
御してみせる。使いこなしてやろう。
彼と共に歩めるのならどれほど人生は楽しいだろうかと、新たなる享楽に心を躍らせた。
「でも、もうダメね。本当の私を知られてしまったから、きっと嫌われてしまったわ。だから最後に、これだけは伝えるわね」
イザベラは胸の前で手のひらを組むと、蕩けたように笑った。
「貴方を、愛しているの」
告げるや、彼女を中心に風が渦を巻く。闘技場の地面に三つ、巨大な魔法陣が現れた。
「ああ、ようやくこの想いを伝えられたわ。たとえ貴方に嫌われて、憎まれても、貴方の中に私という存在を刻みつけられました。悔いは、ありません」
魔法陣が浮かび上がるにつれ、地面が隆起して人型に変貌していく。
二十メートルに迫る巨大なゴーレムが三体、先ほどのゴーレム以上の速度で青年に襲いかかる。
「この程度で貴方を止められるとは思いません。けれど、私が逃げる時間は稼げます。追いかけてきなさい。親友を殺された恨みと、私の想いを胸に抱えて」
魔力の放出により生み出された風を受け、イザベラは満足そうに笑う。
巨大ゴーレムは三方から青年へこぶしを振り下ろした。
「想いを伝えた? それはいったい、誰にだ?」
「……ぇ?」
ガキィン、との衝撃音が三つ。
展開した最強の守り――神位防壁は巨大ゴーレムの攻撃を防いだのみならず、そのこぶしを粉々に砕いた。
「おめでたい奴だ。お前の意地汚い劣情など、〝マティス〟に届いているものかよ」
再生した腕を振り下ろすも、巨大ゴーレムたちのこぶしはまったく彼に届かない。
「あいつはお前の本質を見抜いてはいた。が、取るに足らない者だと切って捨てていたよ。死の間際にあっても、お前なんぞ思い出しもしなかったろうな」
実際には危険視していたが、それを教えてやっても喜ぶだけだ。
「何を、言って…………」
「まだわからないとは呆れた女だ。〝マティス〟は自身の死を悟り、勇者の身代わりになって死んだ」
「嘘……嘘よ。だってあの子は殺さないよう、手を尽くしたのに……」
九名の貴族たちに『マティスに利用価値あり』との考えを植えつけ続けた。
直接魔族を手引きしたギュスターの配下にも、必ず生きて帰すよう暗に訴えたのだ。
「お前らの愚計なんぞ、あいつにはお見通しだった。それを逆手に取って〝ジーク《おれ》〟を生かす策を見事やってのけたんだ。自ら作り出した変身魔法具で、勇者の姿に成り代わって。ただ俺だけが、あいつの意にそぐわぬ行動に出たがな」
「そんな……」
イザベラは目を見開き、わなわな震えている。
自身の策で、最愛の人が死んだ。それだけでも耐えがたいと言うのに、生き残ったのがまさか駆除すべき男だったなんて。
「貴方は……お前はぁ!」
イザベラは叫びと共に、眼前に魔法陣を展開する。
「どうした? 逃げるのではなかったか? もっとも至高の賢者が育てた〝最強〟を相手に、逃げられるものならやってみろ」
「その姿で、その声で、私に語りかけるな! ジークゥゥゥッ!」
強烈な光の砲弾が、最愛の者の姿をしたジークへと放たれた。
だが神位の防壁が容易く防ぐ。
「お前は楽には殺してやらん」
ジークは魔法防壁を消し去ると、肩口に円形魔法陣を出現させる。
そこから、『剣』の柄が伸びてきた。
柄をつかんで引っ張り出す。
光り輝く刀身を見て、イザベラは血の気が引いた。
「聖剣、レスティマ……」
「魔王の〝核〟を破壊した後、どこぞに吹っ飛んだんだがな。見つけるのに三年近くかかったよ」
巨大ゴーレムたちの三つのこぶしがぶつかったとき、その場にジークはいなかった。
あっという間にイザベラへ肉薄し、ずぶりと聖剣を腹に突き刺す。
「ぐ、くぅっ!」
イザベラは飛び退いて腹から剣を抜く。急所は外れていた。すぐさま回復魔法で傷を塞ごうとしたものの。
「傷を治す前にやることがあるんじゃないのか?」
ジークは聖剣をくるりと回し、切っ先を地面へ向けた。
「お前の魔力はたしかに高い。しかし高位の魔法を連続かつ並行して行使するには足りないはずだ。事前に仕掛けていたんだろう? マティスの研究を盗み見て、自作した〝魔力炉〟を。そしてお前は常にここに立っていたな。ということは、だ」
「ま、待ちなさい!」
ずぶり。
地面に聖剣を突き刺し魔力を注ぐと、地下で爆音が轟き、地面が震えた。
「ぁ、ぁぁあああああぁあぁああぁああっ!」
イザベラは傷んだ腹をほったらかし、両手で頭を掻きむしった。
自身の魔力容量を大きく超えた魔法を行使すれば、魔法側から魔力が逆流して自分へ跳ね返る。
魔力炉からのサポートを失った彼女は、今まさにその苦痛を受けていた。
「お前は百度殺しても殺し足りんが、ゴーレムを生み出してくれたのは好都合だったよ」
巨大ゴーレムたちが崩れていく。その土くれが、土石流のごとくイザベラへと集まっていった。
「嫌、嫌よ! こんなものと同化するなんてぇぇええべぎゃ!」
土の奔流はイザベラを飲みこみ、咀嚼するように蠢いて、やがて小さな丘となる。
「自我が崩壊するのは十年先か千年先か。どうあれ、お前が元の姿に戻ることは永劫あるまいよ」
さて、とジークは周囲を見回す。
ゴーレム生成に使われた地面があちこち抉れていた。
(均すのは面倒だが仕方がない。放置はできないしな)
ここで何があったか、悟られるわけにはいかない。
ジークは最後に一度、土となった彼女を見やる。
(俺は、あんたのことがそれほど嫌いじゃなかったよ。むしろ尊敬していた。まやかしの姿に騙されていたのもあったが――)
――至高の賢者の真なる実力を、俺以外に認めた唯一の人だったから。
イザベラが行方不明になったとの報は、聖都を大いに悲しませた。
獄中の五人の貴族たちを処断したジークは、いよいよ最後の大物――聖王ジルベール・テリウムへ狙いを定めるのだった――。




