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てんきょう4

 やまとの狼狽ぶりに何かを感じ取ったみずほは玉を転がすような声で笑った。

「貴女が想像しているような倒錯的な意味ではないわ」

 全てを見透かしているような態度、見た目では大して変わらない筈なのに、みずほには老成した余裕が感じられる。

「要は責任の所在なの。ペットのワンちゃんが何か粗相をしても、飼い主の責任でしょう?」

 目を白黒させるやまと。

「半人前のの吸血鬼の責任をわたしが持つと言ってるの」

 半人前の吸血鬼というのがやまと自身を示すことはすぐに彼女も理解することができた。

 けれど、この人が何故、そこまで自分を想ってくれるのか想像できない。

 それがやまとの素直な感想だった。

「なぜ、見ず知らずの私にそこまでしてくれるんですか」

「だって、貴女、雨に濡れた子犬並みに可哀想だったんだもの」

 屈託の無い表情で答えるみずほ。

 つまり、この人にとって、自分はみじめな捨て犬に見えた訳か。

 やまとの心に処理しきれない感情が芽生えるが、一方でこのヒトについていけば、とりあえず生きていけるという打算的な考えがチラつくことも確かだった。

「私、お礼に差し上げるものが・・・」

「それならば、カラダで払ってもらうしかないねえ」

 みずほの言葉は冗談か本気か判別がつかなかった。

 

 翌日の朝、やまとはスエットのパーカを深々と被って外に出た。

 想っていたよりも気分は悪くない。

 日光を直接浴びる面積を減らせば外出も可能だとやまとに教えられえいたが、正直いって不安だった。

 足取りが自然と軽くなる。

 もう、二度とお日様の下を歩けないのかと思っていたのに。

 指定された場所はくじら団地の敷地内にある管理棟と呼ばれる場所だった。

 ストリートギャング気取りの落書きだらけの団地内において、そこだけはその被害を免れ、窓ガラスも割られていない。

 老朽化はしていても、当初のまともな外見を保っている鉄筋コンクリート建築2階建てのそれは、異様な光景ともいえた。

 みずほによると、ここでボランティアによる週三回食料の炊き出しと週末にはこれまたボランティアによる日本語教室が開かれている。

 くじら団地を根城にする犯罪集団にとっても貧困にあえぐ身内や自分の子供の多くがここで食料や教育の援助を受けていることから、一種の不可侵地区になっている。

 その為、このような外見を保っていることが可能だった。

 あまり人付き合いの得意でないやまとは、正面の両開きのガラス戸を控えめな態度で開ける。

 中に入ると、彼女の左手に受付の窓口があった。

 座っている老人が彼女を怪訝な表情を浮かべている。

 自分がパーカを深々とかぶっていることに気づいたやまとは慌ててパーカを脱ぎ、長が髪を乱れるままにお辞儀をした。

「中西さんの紹介で、その、えーと・・・」

 舌がもつれて上手く言えない。

 老人は先ほどの表情から一変して温和な笑みを浮べる。

「あ、みずほちゃんが言ってた新しいボランティアの子だね」

 彼は机からよっこらせと掛け声をあげながら立ち上がると、やまとを手招きした。

 廊下を進む。

 リノリウムの床はところどこ剥がれている。

 天井はビンテージものといっていい蛍光灯。

 老人の後ろ姿はかくしゃくとしたもので、背筋はピンと伸びている。

 やまとは、その背中に声をかけるかどうか戸惑う。

「強くなければいきていけない。助け合わなければ生きている意味がない」

 唐突に老人が呟いた。

「誰の言葉ですか?」

「さあ・・・忘れてしまったな」

 やがて銀色の銀属性の扉の前で老人は立ち止まった。

「ここが君の持ち場だ」

 ムッとする湿気と合成洗剤のにおい。

 白いタイル張りの床に銀色のシンク。

 一寸の間違いないく、そこは厨房だった。


 厨房に入ったやまとは一瞬で、周囲をビニル製のエプロンに白い帽子、マスク姿の人々に囲まれる。

「あなたがみずほちゃんの言ってた新人さん?」

 やまとがよろしくお願いしますと言い掛けるまえに次の質問が飛んでくる。

「料理はできるの?」

 母親の手伝い程度だと伝えようとするが、それは叶わない。

「体力勝負だけど大丈夫かしら」

「だ、大丈夫です」

 それだけは辛うじて答えることができた。

「髪長くてキレイねえ」

 中高年の女性特有の馴れ馴れしさだったが、短い期間に吸血鬼に襲われ、吸血鬼にされ、ハンターに殺されかけるという経験を経た後のやまとにはどこかほっとさせられる光景だった。

「こら、新人が戸惑ってるじゃないか」

 背後から案内してきた老人が、彼女たちの質問攻めを止めさせる。

「嫌だ、施設長ったら若い女の子の前だからっていい恰好しちゃって」

「男ってみんなそうよね」

 老人が苦笑いを浮かべ、降参するように両手を挙げる。

「彼女に施設を案内したいんだが、ここは一旦引き下がってくれるかな」


 受付窓口の裏側はちょっとした応接室になっていた。

 安っぽい合成皮革のソファにやまとは落ち着かない気分で座る。

「何か飲むかね?」

「あ、お構いなく」

 あの夜の嘔吐を思い出すやまと。

「ああ、そうか君はそっち側の存在だったね」

 この人、私が吸血鬼だって知っているの?

「君にはこっちの方がいいか」

 マグカップを片手に戻ってきた老人は、硝子のテーブルに輸血用の血液パックを置いた。

 目を剥くやまと。

「あの、やっぱりわたしのこと・・・」

「くじら団地は行政どころか司法にも見捨てられた場所だ」

 老人は伏せ目がちにマグカップに口をつける。

「吸血鬼にはこれほ好都合な場所はないだろう」

「私には君とみずほ以外にも吸血鬼の知り合いが居るということだ」

 そのことは、以前にもみずほが言っていた。

 そうだとしたら、わたしを襲ったあの男もここに居るのだろうか。襲われた場所とここは10キロメートルと離れていない。

 思わず身震いするやまと。

「他の吸血鬼との摩擦を心配しているのだとしたら」

 老人はマグカップをテーブルに置きながら言った。

「心配はいらない。君はみずほ嬢の子飼いだからね」

「あの、みずほさんて一体・・・」

 彼女はやまとにとって命の恩人であることは間違いないが、不確定な要素が多すぎた。

「ある日突然くじら団地に現れて、今の秩序を作った。多額の金で廃墟同然だった地区センターを今の施設に作り変えた。相当長く生きている吸血鬼。私が知っているのはこれくらいだね」

 老人は再びマグカップの中のコーヒーを啜った。


 新杉はグレーのパーカとジーンズ、シカゴ・カブスのキャップ帽という恰好で公園のベンチに座っていた。

 悪名高いくじら団地から近い公園だったが、天気のいい週末の昼下がり、遊具や砂場ではしゃぐ子供たちや散歩を楽しむ老夫婦の姿が見え平和そのものだった。

「あなたがカブスのファンだなんて知らなかったわ」

 中西みずほが隣に座る。

 彼女はベージュのキャスケットを深くかぶり、サングラスをしていた。

「別にファンという訳じゃありませんよ。そもそも、僕は球技自体が大嫌いでして」

 新杉はニヤニヤしながら言った。

「球技が嫌いなのに野球帽をかぶっているの?」

「まあ、変相というやつでして。真顔で言われても困ります」

 みずほは前を向いたままだった。

「彼女が心配してますよ。いつまでマザー・テレサごっこを続けるのかと」

「あまねは元気にしてるの?」

 新杉はチラリと横目でみずほを見る。

「相変わらずお元気ですよ。今度、新事業を立ち上げるそうで」

 みずほの口角が僅かに持ち上がる。

「そう、それはよかった」

 侮蔑的な響きを含んだ声色でみずほはいった。

「色の良い返事は今回も得られないのですね」

「何度来ても同じことよ。わたしはあまねとは組まないし、あの場所を見捨てるつもりもない」

 新杉はため息をつく。

 彼はベンチから立ち上がり、歩き始めたかと思うと、突然振り返った。

「そういえば、僕の仕事熱心な同僚が貴女のペットに随分とご執心のようなので、気をつけて下さいね」

 みずほはやまとを殺そうとしたハンターの姿を思い出す。

「仕事熱心ねえ・・・」

「ええ、本当に熱心で自動小銃と銀弾頭のライフル弾を100発の使用申請をしようとしたくらいでして」

 コイツ、何を考えてるの?

「策士気取りも大概にしないと足を掬われるわよ」

「策士なんて滅相も無い。僕は吸血鬼と人間の敵対関係を憂いているだけですよ」

 新杉の後姿を眺めるみずほ。

 昼下がりの空は雲ひとつなく晴れわたっている。

  

 






 





 

 

 

 

 

 

 

 

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