番外編―2 『うつつのゆめ(後)』
『憎んだ?』
憎んだ。
だが、どうしようもなく愛しかった。
戦うことでしか情が交わせなかった。
戦えば戦うほどいとおしくなった。
『あの子も泣きながら戦っていた』
知っていた。
俺も泣いていた。
だが手を緩めなかった。
(あの子は赦そうとしていたのに)
愛しさを消すのが惜しくて、最後まで受け入れられなかった。
『業だ』
(業だ)
源氏の業だ。
身内に流れる血が、睦み合うのを赦さない。
『もう一人の子は?』
義詮は俺を恨もうとして恨めず、俺は愛そうとして愛せなかった。
(登子だけだ)
源氏でない登子だけは、ただいとおしむことができた。
『恨まれても』
(そうだ)
恨みながら、愛してくれた。
『望んだ愛を手に入れた』
(ちがう)
望んだものはどこにもない。
俺の手には何も残らなかった。
愛どころか、あれほど厭うた裏切り、憎しみさえも……
「全部、直義が持って行った」
『それがおぬしの願い』
「願いが叶った?」
『叶った。おぬしのすべてはおぬしの弟が持ち去った』
「どこへ」
『どこへなりとも』
いやだ。
憎しみも恨みも裏切りも、すべては俺の物だ。
「お前には似合わぬ……直義」
あとからあとから、目から血があふれ出る。
(温かい)
「そうか」
このまま俺は死ぬるのか。お前のもとに行くのか。
お前はなんというか知らぬが、次があるなら次も。
その次があるならその次も。
血を分けてくれ。
俺とお前に流れる。
温かい血を。
「最近おかげんがよろしくないと伺いましたが」
「今日は大分良いようです」
「それはそれは」
見舞いの僧侶は、品の良い笑みを浮かべた。
開け放たれた部屋からは、満開の桜が見えた。
「良い季節になりましたな」
「ほんとうに」
尊氏は口元に穏やかな笑みを浮かべた。
「こうして散る花びらの下にいると、こちらが夢かと思います」
「ほんに……幽玄ですねえ」
僧は頷くと、花を見上げ、目を細めた。
「鎌倉の夢を見ていました」
「はい」
「鎌倉も桜は咲いていましょうか」
「おそらくは」
「あちらも夢のようでしょう」
「お身体を治せばいくらも見られましょう」
今年が無理なら来年でも……の声を尊氏は遠く聞く。
鎌倉の桜を見せたい相手はもういない。
『私が、鎌倉にいます。兄上は安心して、京におればよい』
何度目かの春、傍らで、花のように笑った弟がいた。
あの地を愛し、あの地で逝った。
直義の死の後、尊氏はしばらく鎌倉を離れられなかった。
(すぐそこにいるようで)
どこにもいないのを確かめていた。
――自分が追い詰めて殺した。
それでも赦されているのを、感じているのが辛く哀しく、甘かった。
「いや……私は京にいます」
僧侶は黙って、頭を下げた。
まだ諸国は慌ただしく、足利の支配が行き渡ってはいない。
鎌倉には、義詮の弟の基氏を置いていたが、関東もまだ騒がしかった。
(基氏は、短い間だったが、よく直義と話をしていたと近侍に聞いた)
直義の死後、基氏は自ら、鎌倉に留まると言ってきた。
『父上、兄上が京におられるなら、私は鎌倉にいましょう』
まるで、誰かを思わせる言葉。
夢の泡沫は、そうやって思いもよらない場所から出る。
「……まだ、明るい」
どれくらい時がたゆたったか。尊氏は目を細めてつぶやいた。
すべてがまぶしい日だった。
僧侶は、目の前に座す、その生涯を戦に明き暮れた男を労わるように、柔らかく問いかけた。
「夢でも見ておられましたか?」
尊氏は京の桜を通して、鎌倉の桜を見ていた。
「はい。ずっと夢を見ておりました」
否――今も、見ている。
俺のいる、このまぶしい世こそが夢なのだろう。
(そして)
おまえがどこにいようとも、おまえがいる場所が、俺の現。
――――――――――――――
…色んな資料や考察を読んだのですが、自分では、
直義は最初から最後まで、
尊氏は最初から最後の最後の最後まで、
お互いを滅ぼすつもりはなかったんじゃないかなーと思いました。
…でも、滅ぼしてしまった側の尊氏は相当後で悶々としただろうと。
(自分が死ぬ間際に、直義へ叙勲願っちゃうほど)
…この兄弟はどこでどうすれば争わずにすんだ、が思い浮かばないのですよ(無理だなー無理だな―と節目節目で思ってしまう)。
…だからこそ、次は優しい時代で普通に兄弟やれればいいな、と思います。