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番外編 10年後(後編)

 屋敷内を案内しようと提案したのは父である筈なのに、小さなラオの手を引いて歩幅を合わせるようにゆったりと歩みを進めているのはルーセリトであった。

 ラオはせわしなく視線を動かしながらも、瞳は未知の世界を垣間見ているかの如く興奮の煌めきに彩られている。うっすらと赤く染まった頬がなによりの証拠だ。

 使用人がすれ違いざまに立ち止まって二人に頭を下げる。ルーセリトは慣れた様子で繋いでいない方の片手を軽く振ってみせたが、ラオは体を強ばらせて素早くルーセリトの影に隠れてしまった。

 ひょい、と眉を上げて少々驚いたルーセリトだがそれ以上は特に反応をせず、また何かを言うようなこともなかった。

 ラオの育った環境では、使用人すら警戒に値する存在だったのかもしれないと自分なりに解釈して自己完結である。

 しかしながら、この調子で屋敷内を見てまわっていては相当時間をくってしまううえ、ラオも疲れ果てる可能性がある。

 それでは駄目だろうということで。

「ラオ、おいで」

 膝をついて両手を広げる。

 つまりは抱っこすればいいじゃないかというルーセリトの考えだ。

 おずおずと身を任せてきたラオをそっと抱き上げる。拒否されなかったことが密かに嬉しくて顔を綻ばせたルーセリトと丁度目が合ったラオは、小さくはにかみながらルーセリトの肩に手を置きバランスをとった。

 こういう素直な反応をされるとついつい構いたくなってしまう。息子というより、まるで小さな弟ができたみたいだ。

 ウェルファが幼少の時は体格的にこうして抱き上げることは不可能で、それどころかまともに会話したことも数えるくらいであった。会えば直ぐ喧嘩に発展し、手厳しい言葉を浴びせて彼を傷つけたこともある。

 もしかしたら、その分もあってラオを構いたくなるのかもしれない。

 昔を懐かしむように意識を遠くへ飛ばしながらも、よく磨きあげられた窓から外を見やったルーセリトは我に返るのと同時に思わずといった感じで声を漏らした。

 屋敷の正面から真っ直ぐに伸びる平らな道のりを見覚えのある馬車が一台、邸宅に向かって駆けてきていたのだ。

 次期国王にと期待されている第一王子の宰相として抜擢されてから、ウェルファは頻繁に王城と領地を行き交うようになっていた。

 そんな彼が今回戻ってくることになった理由であろうと思しき少年は、やたら真剣な表情で窓の鍵穴に人差し指の先を突っ込んで遊んでいる。


─なにしてんだこの子。


 きちんとした鍵がなければいくら弄っても開けられるわけがないのに。しかも指。

 ルーセリトには不思議でならないが、きっとラオの興味を惹くものがそれにあったのだろう。しかし、指が傷ついては大変なのでやんわりとやめるよう注意を促す。

「ごめんなさい。窓をあけようとおもったんです」

 遊んでいたんじゃなかったのか。早とちりしてしまった。

「外に出たいのか?」

「…ちがう、」

「ん?」

 挙動不審なラオの前髪をかきあげるようにして後ろへ撫でつける。露わになった額は思いのほか広かった。

 この世界では分からないが、額が広い人は幸せになれるというのを以前の世界で聞いたことがあったな、と記憶の奥底に眠る知識を引っ張り出す。そんなルーセリトを横目に、ラオは躊躇いながらも言葉を紡いだ。

「外をみてたから。だからあけたほうがいいのかなとおもって」

「…。俺が外を見てたからってことか?」

「う、ん」

 気まずそうに顔を俯かせるラオとは反対に、ルーセリトは感動していた。

 まだルーセリトを父と呼ぶことに戸惑っているのか主語が抜けてしまっているが、それでも意味は十分に理解出来た。

 なんて思いやりのあるいい子なんだ。是非ともこのまま真っ直ぐに育って欲しいものである。


 育てるのは俺だった。


 しまった。素でボケてしまったがこれは責任重大だ。飴と鞭をうまいこと使い分けてラオが立派な大人になれるよう俺も頑張らねば。ウェルファの性格矯正もなんだかんだ成功したのだ。きっといける。いけるぞ。

「ありがとう、ラオ。お前は優しいな」

 弾む声もそのままに言えばホッとしたように強張りが解ける腕の中の小さな体。

 それを抱え直してから、予定変更になってしまった今日のこれからを告げる。

「俺の弟が帰ってきたみたいなんだ。挨拶をしにいこうか」



***



 成長するにつれて鋭くなった目元に伴い、威厳も背に漂わせるようになった若き公爵家当主は、兄の腕に抱えられた子供を目にし、自分に届けられた手紙の内容が事実であることを悟った。

 無感動にウェルファを見つめてくる少年はラオと言うらしい。

 栄誉不足によりか細くなった手足のせいで一見すれば5歳くらいだが、実際はもう少し上だろう。

 子供特有の無邪気さや活発さが感じられない瞳が観察するようにウェルファへ向けられる。敵か味方かを見定めるような視線は不快というわけではないが、かといって気分のいいものでもない。

 知らず知らず己の眉間に皺が寄っていく。それをどう思ったのか、ルーセリトがやや咎めるようにウェルファの名前を呼んだ。

「そんなに睨みつけないでやってくれ。この子は人見知りなんだ。こわがらせては駄目だろう」

 それは多分ちげえよ兄貴。

 口から飛び出そうになった否定の言葉を寸前で呑み込む。

 なにをどうしたってラオがウェルファのことをこわがっているようには見えない。むしろ、ウェルファを見定めようとする姿勢は堂々としていて勇ましさすら感じられる。

 ひょっとしたらこいつは人の上に立つ才能を秘めているのかもしれない。

 これが人見知り?

 こわがり?

 冗談じゃないと鼻で笑ってしまった。

 一体、兄の目にはこの子供がどううつっているのだろう。

 小さな子には無条件かつ無意識で甘いのがルーセリトだ。きっと庇護欲か何かが働いているに違いない。いやそんなところも尊敬するけど。

 ルーセリトの腕からおろされたラオは背筋を伸ばしていかにも貴族らしい優雅な礼を披露した。そこは腐っても伯爵家と言うべきか。

 次いで愛嬌のある笑顔を浮かべておきながら強烈な一言を放った。

「ラオです。はじめまして、おじさん」

 ヒクリ。

 ウェルファの口元が大いに引きつる。

「確かにウェルファはお前の叔父になる人だ。礼儀は大切だが、変に身構える必要はないからな」

「はい」

 やはり兄は勘違いをしているのではないだろうか。

 ラオの言うおじさんは叔父じゃなくておっさんという意味ではなかろうかと思えて仕方がないウェルファであるが、考えすぎだろうと眉間を揉みほぐす。

 王城での会談など他の貴族達と日々腹の内の探り合いばかりしているから悪い癖がでてきてしまったのか。もっと純粋な心で物事を見極めるようにしなければ。

 しかし、そうでなくても愛想の悪さには定評のあるウェルファだ。初対面で子供に好かれた経験は皆無に等しい。

 失敗した、少しくらいは態度を和らげるべきだったと思ってもそれはもう今更なこと。第一印象はもはや覆せない。

 しかしまあ、とりあえず場の空気を読んで此方も名乗っておくことにしよう。

「兄貴から聞かされてるかもしれねえが、俺がウェルファだ。お前のことを歓迎しよう」

 するとどうだろう。ラオの表情が驚きに染まったではないか。

「かんげい?」


 嫌味か。


 いやそんな筈はない。そう思ってしまう己が屁理屈なだけだ。

……だがしかし。

 このちっこい子供はクソガキと言うものではないだろうかという可能性とて無きにしもあらず。

 疑惑を深めるウェルファをよそに、ルーセリトは柔らかい笑顔でラオの頭を撫でている。

「ウェルファももうラオのことを家族と思っているんだよ」

「うれしいです」

「少しこわいかもしれないけれど、とても優しい人だから大丈夫。俺の頼れる弟さ」

「おう! 兄貴の頼れる弟だ」

 ついさっきまでの思案顔はいずこへ行ったのか。ぱっと背後に花を咲かせたウェルファは酷く満足げだ。

 それはもう、腕を組んで胸をはるくらいに。

 ルーセリトは微笑ましそうしているが、ラオの瞳は無感動であった。





 そんな出会いから一週間。

 栄誉不足が原因で体の成長が未発達だったラオは、ルーセリトが食事に気をつかったかいもあって段々と肉付きがよくなり、健康体へと近づいている。

 当の本人は専らルーセリトの後ろをちょこちょこと付いて回る日々だ。その光景は和むの一言に尽きる。

…相変わらずおじさん呼ばわりしてくるのには納得いかないウェルファであるが。

 しかし何事も順調にいってるわけではない。

 ルーセリト曰わくの人見知りを発揮しているラオはとにかく他人に懐かないのだ。いつまでたっても小動物のように周囲を警戒している。

 これでは彼の精神が擦り切れて倒れてしまうと危惧したルーセリトが行動を起こした。自分以外にも心許せる人をということで信頼の厚いウェルファに頼んだのだ。

 忙しいのにすまないと申し訳無さそうに顔を曇らせる兄を前に断るなんて選択は最初から有りはしない。

 丁度王城からは3日間の休みをもらったところだ。快く引き受けることにした。

 だからこうしてウェルファの自室にラオもいるのだが。

「……」

「……」

 話すことがないという難題にぶちあたっていた。

 受け入れたとはいえ、未だウェルファの中でラオの優先順位は低いままだ。

 今回の件はルーセリトの願いだからであり、それ以外の人物…例えば父親あたりから頼まれても払いのけて知らん顔をするだろう。

 しかもラオが来たことでルーセリトがほぼ彼に付きっきりになってしまったのだ。つまりは兄をとられたのである。

 おもしろくない。全然おもしろくない。

 不機嫌なウェルファを宥めようとして父親がなにかとたずねてくるようになったが鬱陶しいったらありゃしない。いい加減子離れすべきだとつくづく呆れる。

 傍から見ればウェルファも兄離れができない弟だというのに。

「おじさん、」

「おじさんはやめろ。俺はまだ若いんだから」

「でも、ち、ちちうえが気がるに呼んであげなさいって」

 ラオの言う父上とはルーセリトのことだ。つっかえながらも嬉しそうにはにかんで言う姿はなんとも可愛らしい。だがウェルファにも譲れないものがある。

「せめて叔父上と呼べ」

「じゃあじい様にします」

「なんで更に老けてんだよ!」

 おかしい。こいつ絶対ワザとだろ。

「叔父だから親しみをこめてじい様です」

 込められているのはそこはかとない敵意じゃねえかとラオを睨みつける。

 きょとんとしたって俺は誤魔化されないぞ。

「だめですか?」

「当たり前だろ。つーかお前、性格悪すぎ」

 ラオの境遇を思えば年齢に似合わず大人びた言動をとるのも納得だが、ルーセリトによれば鍵穴に指を突っ込むという子供らしい一面もみせたのだとか。

 ウェルファにしてみれば唸るしかない。

「でもちちうえにはいい子だとほめられます」

「俺だってそう言って貰ったことくらいあるに決まってんだろ」

 兄のこととなるとつい張り合ってしまうのがウェルファである。

 そんな彼等二人のやり取りを僅かに扉を開けて覗き見る人影が1つ。


「…私はもっとほめたぞ……」


悲しみにうなだれる前公爵家当主であった。

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