番外編 険悪兄弟
本編第一話と同じ時間列です。
真に奇怪な現象であるが、ルーセリトには前世の記憶というものがある。
感情を伴わないその記憶は、まるでルーセリトが観客となって映し出される映像を茫然と眺めているかのような気分にさせる。
魔法なんてものが存在しない、科学に満ち溢れた世界。
記憶を覗きみることで鮮やかに蘇ってくる昔の世界には、今世では思いも付かないような技術と発展の数々に加え、見たことも聞いたこともない文化が存在している。
それらを利用すれば、おそらくこの世界で大旋風が起こるのではないだろうか。
しかし、実際にその考えを行動に移そうとはあまり思わないのがルーセリトだ。
理由は多々あるが、主に家族のことが大きい。膨大な知識は魅力的ではあるが、それと引き換えに犠牲を払わなければならなくなった時、矛先が家族に向かったらと思うと背筋に嫌な震えが走る。
だからこそ、ルーセリトは己の秘密を誰に打ち明けることもなく、自身の奥底にそっと隠したのだ。
弟が生まれてからも、決意が揺るぐようなことは断じてなかった。
だが、大人のような精神力を持つルーセリトだからこそ、ウェルファの難がありまくりな性格に頭を抱えて悩むはめになったのだ。
父や母が過分に甘やかし過ぎた故に小さな暴君と成り果てた弟を見て何度気が遠くなったことか。顔がデレデレに崩れきった父親の姿は目を背けたくなるほど気持ちが悪い。頼むからもう勘弁してくれ。
子供のうちは許される我が儘であっても、このまま大人に成長すればどうなることだろう。下手をすれば公爵家の危機に陥るかもしれない。
それだけはなんとかせねばと兄としての使命感に燃えたルーセリトが、弟に対して厳しくするようになってから数ヶ月。
屋敷中の殆どの人間が砂糖菓子のような甘さでウェルファを包むなか、有言実行中のルーセリトは常に厳しくあり続けるようにした。
そこに甘さなんてものは一片もなく。
結果、弟からは嫌われるはめになってしまったようだが、これはもう仕方がないことだとルーセリトは割り切っている。
そんな彼は今日も今日とて、何故弟と仲良く出来ないのだと悲しげな表情で詰め寄ってくる父親をあんた馬鹿だろと払いのけ、ウェルファの性格を矯正するべく力を注ぐのである。
ずらりと壁際に並んだ使用人が頭を垂れて口を引き結ぶ。
家族揃って美味な夕食に舌鼓をうつなか、ルーセリトの隣に座るウェルファは幾分と気分が弾んでいるようで、いつもならルーセリトに睨みをきかせてくるのだが今日に限ってそれがない。
だからだろうか。何故か父親も機嫌がいいように見える。花でも飛ばしそうな程だ。
「それで? お前はどうしたのだ?」
「べつにー。ただ俺が強かっただけだろ。当然の結果じゃん」
「そうか! そうだな! 流石ウェルファだ。己の実力に自信を持つのはいいことだぞ。なにせそれだけの才能がお前にはあるのだからな!」
今日一日の出来事をウェルファから聞いて賞賛の言葉を浴びせ続ける彼にルーセリトは人知れず溜め息を吐いた。聞いている方がやつれてくる。
チラリと正面に座る母親に目を向ければ、なんと穏やかに微笑んでいるではないか。
いやいや、笑っている場合じゃない。身を乗り出してウェルファをほめちぎっているあの男をなんとかしてくれ。
しかし、そんな願いが通じる筈もなく。
やっぱり俺が言うしかないのかと手を止めたルーセリトは、丁度今し方タイミングよく視線がかち合った父を冷めた眼差しで見据えると、抑制のない声で窘めた。
「父上、行儀が悪いです。それと些細なことでいちいち賛美するのはどうかと思います」
ひくり。父親の顔が引きつる。
「し、しかしルーセリト」
「しかしは不要です。少しは自重なさって下さい」
悲しいことに、こうして父親に注意を促すことにも慣れてしまった。
仮にも公爵家当主だろうにそれでいいのかと不安になる。
思わず遠い目になってしまいそうなルーセリトだが、ここで黙っていないのがウェルファである。
険しくなった表情はまるで宿敵を前にした獣のようで、警戒態勢に入っているのが丸分かりだ。
「兄貴はすっこんでろよ! あんたが口を開くとせっかくのご飯がまずくなるだろ」
「そう感じるのはお前の精神が軟弱だからだ。少しは大人になれ」
ピシャリと言い返せば、怒りで顔を赤く染めたウェルファが怒鳴り声を上げて罵倒してくる。どうしてこうもキレやすいのかと呆れそうになるが、弟の十歳という歳を考えてみればこれが妥当なのかもしれないと思い直す。
胸ぐらを掴んで揺さぶってくる弟を視界に入れながらもぼんやりと思考を飛ばす兄の様子に、耐え切れなくなったウェルファが感情に任せて頭突きをかまそうとするのだが、寸前のところで覚醒したルーセリトがガシリと両手でウェルファの頭を掴んだことにより、無念にもその目論見は失敗に終わった。
「お前も行儀が悪いな。今は食事中だぞ」
意図して低い声で囁くようにルーセリトが告げれば、ウェルファは怯えたような顔で肩を小さく跳ねさせた。
ルーセリトの胸元を握りしめていた手がゆっくりと離れていく。
そうして再開された食事は、先程までと打って変わり静かなものと化していた。
居心地が悪そうに表情を曇らせるウェルファや父親と違い、ルーセリト達は淡々を食を進めている。チラチラと何か言いたげに伺うような視線をこちらに寄越してくるウェルファたが、そんな彼を一瞥もすることなく夕食を食べ終えたルーセリトは、そのまま席を立ち一足先に食卓を後にする。
しかし廊下に出た途端脱力したように天を仰ぐのだから、彼も平然としているように見せて心うちでは心労が溜まっているようだ。
これはさっさと部屋に戻って寝るに限ると早足に進むルーセリトであったが、後ろから微かに響いてくる足音を耳にして一旦止まり、振り返る。
「あのさ、兄貴……」
ウェルファだ。
ウェルファがいる。
なんでだ。
急いで追ってきたのか、些か息を乱している弟の姿に驚いたルーセリトが軽く目を見開く。
ギュッと眉間に皺を寄せて自分を見上げてくるウェルファに好意的な雰囲気は感じられない。かと言って敵意も感じないのだから普段との違いに首を傾げる。具体的に言えば、勇気を振り絞って何かを伝えようとしている感じに見える。
「俺に用でもあるのか」
ついつい訝しげな表情になるのは当然だと思う。それをどう受け取ったのか、先程とは一変して目をつり上げたウェルファが牙をむく。
「っざけんなよばーか!!」
「は?」
ただその一言を叫んで来た道を戻っていくウェルファの背中を、珍しくポカンとした間抜けな表情で見送るルーセリトであった。