十年後 ラオとルーセリト
「ラオ」
振り返った少年の養父になってから二ヶ月が経った。
最初よりはましになったが、まだ痩せ細っている体を抱き上げるとラオはルーセリトの肩にそっと手を添えてバランスを保とうとしている。
劣悪な環境にいたと父が言っていたが、こうしたふれあいは嫌いではないようで、ぎこちなさげに体重を委ねてくるようになった。
遠い親戚と言ってもほぼ他人も同然だったのだ。急に親子だと手を差しのばされて戸惑わないわけがない。
「にくが食べたい」
存外たくましかった。
「夜までまだ大分時間があるぞ。昼は食べなかったのか?」
「うん」
「どうして?」
「…本をよんでたから」
ウェルファとは正反対に、ラオはじっと静かに過ごす事が好きなようで、一度読書を始めると時間を忘れてのめり込んでしまうのだ。食事を疎かにするので程よい所で声をかけたり注意をしたりはしているのだが、ルーセリトもいつも彼の傍にいられる訳ではない。今日も仕事が立て込んでいたため、変わりに父にお願いというか、自ら任せろと言ってきたのでならばと頷いたのだが。
「父上…おじい様に食べろと言われなかったのか?」
内心で嫌な予感がルーセリトを襲う。
「言われた。でもその時はおなかいっぱいで、いらないから放っておいてって」
「それで?」
「ぼくのあたまをなでてくれた。あと、いっぱい読みなさいって部屋からでていった」
「何してんだよあの人。昔とちっとも変わんねえな」
「おじ上は見た目がゆたかになりやがってと鼻でわらってた」
「太ったってことだろ、最近じゃ腰もきてるらしいぞ」
「…ふっ」
口角をあげ、小さく息を吐いたラオはぎゅっとルーセリトの首に腕を回した。嬉しいけど締まってる。気道が締まってる。
あまりこういったふれ合いに慣れていないのか、力加減を知らない時があるのだが、まあその辺はゆっくり知っていけばいいだろう。
ウェルファがやたらラオの額を小突いたりするのもきっとそういうことだろう。
それに対してラオは何をするまでもなくただじっとウェルファの鼻を見つめるのだ。
謎である。
母曰く、掴み所のない不思議ちゃんらしい。
「俺の部屋でティータイムにしよう。ケーキは何がいい?」
「生クリームにいちごをのせたやつ。スポンジはいらない」
「スポンジはいらない」
『ポ』の時に声が裏返ってしまった。
「フルーツタルト。うん、いいね。フルーツタルトにしよう」
「…おじいさまはいいよって言ってくれたよ」
「冗談抜きでおじい様には近づくな。教育に悪い」
ラオまでウェルファの二の舞になったら今度こそルーセリトの胃に穴が空く。
「もう少し肉がついたら魔法の訓練とか家庭教師もつくだろうから、まずは健康体を目指そうな」
「うん」
こくんと頷くラオは借りてきた猫のように大人しい。
こんな感じで表情も乏しく声音だって平坦なことが多い。小さい頃から我が儘大王だったウェルファを相手にしてきたルーセリトにとって、弟とはまた違った可愛さを感じる。その僅かな起伏も愛らしいなと思うばかりだ。
「親馬鹿か」
「うん」
「でも俺は絶対おじい様みたいにはならないぞ、絶対だ」
「うん」
柱の影からこちらを眺めてデレデレしている男になるなんてごめんである。
***
ラオの一日は使用人の足音から始まる。
元々眠りが浅く気配にも敏感な彼は、使用人が扉をノックして開ける頃には既にベッドから起き上がっており、警戒心を滲ませながら入ってくる人間を観察しているのだ。
ルーセリトが起こしに来た回数は片手で数えるほどしかないのだが、その時は間近で寝顔を眺められていた。おはようと囁かれて感じた、あの何とも饒舌し難いむず痒さの正体は今でも分からない。
不快ではないがまた味わいたいかとなると微妙である。
着替えを手伝おうとした使用人をはね除けたことから、以来ずっと身の回りのことは自分でしている。
あまり人の手であれこれされたくないのだが、直ぐに理解を示してくれた公爵家の人達には感謝している。
自分もその一員と考えると実感よりもまだ違和感が勝っている。
着替えた後は朝食をとる。前公爵とその夫人と一緒に食べることが殆どで、忙しいのかルーセリトとウェルファは滅多にこの席に現れることはない。
やたら話しかけてくる前公爵のお陰で無音どころか賑やかまであるのに寂しいさを覚えるのはどうしてだろう。空席に視線を向けては食事の手が止まる。夫人が微笑ましそうに見守っている眼差しに気づいたラオは突然恥ずかしくなり、急いで食べ終えて自室に戻った。
ルーセリトから貰った本を開き、あっという間に集中してページをめくっていく。
本棚には他にも数多くの書籍が並んでいるが、児童書に至っては新品のように同じ場所に仕舞われている。反対に歴史書などは何回読み込んだのか、よれた部分も見受けれるし、まだ途中のページにしおりが挟まれているのも何冊かある。
まさに本の虫である。
これがずっと夜まで続けばルーセリトが心配になる理由も分かる。今日の昼食は夫人に言われやっと食べたが、あとはまた貪るように読書にふける。
部屋が暗くなり文字が読みにくくなった頃、漸く顔を上げたると、ルーセリトが椅子で足を組み頬杖をしながらランプを持った片手をぷらぷらと振っていた。
「あ、えと、おかえりなさいちちうえ」
「ただいま」
明かりを灯し、床に座ったままのウェルファを抱き上げる。
「よくそんな難しい本を好んで読むな。俺なら頭が痛くなりそうだ」
「ばかにされるから」
小さな声だったがルーセリトは聞き逃さなかった。一気に彼の纏う雰囲気に怒気が混じる。
「誰かに苛められてるのか?」
「ううん。でもきぞくって、そう言うものでしょ」
ぐずるようにラオがルーセリトの胸元にすり寄ってくる。
なんとなく理解したルーセリトはその背中を優しく叩いた。
「頑張るのはいいが無理はするなよ」
「うん」
こういう時、ルーセリトはラオのすることをやめろとは言わない。やんわりと注意はするが限界を超えるなという意味であり、心配だからと本を取り上げられることもない。
それが信頼してもらえているみたいで嬉しいと言ったら、彼はどんな顔をするだろう。ちょっと以外だと目を丸めて、次いでゆっくりと広がる笑みと共にラオの頭を撫でながら、そうかと頷くのだろうか。
穏やかな心音を聞きながらラオはそっと瞼を閉じた。




