師走
六連勝だの、五連勝だの夢物語を語っている間に、気がつけばもう十二月で週末すら後四回しかなくなっていた。
競馬のバイオリズムというか、人生のバイオリズムにおいて、わたくし、「落ちる前となんだか寂しくなっちゃったときには占いをはしごする」という悪癖があるらしく、思いのほか暇な仕事中にわいわいとその悪癖に興じていた。そのひとつが、携帯電話とパソコンをハッキングされていてどこかに監視カメラが着いているのではないかというほど性格や容姿まで当たっていて怖くなった。それによると、来年の五月に子宝に恵まれ、六月に結婚。運命の人に出会うのは二〇一五年(すでに四十二歳ではないか!)という、どう考えても順番が間違っている運命らしい。しかし、この十二月にもすばらしい出会いがあるというので期待している。なんていうふうに神頼みに転じてしまい、おかしいかな、四柱推命では「大勝負!」だったはずのジャパンカップは見事に外し、遊びのつもりで買った三連単が縦目というなんとも切ない有様だった。
気がつけば、一年にわたってお送りする競馬のエッセイだったはずが、ほとんど愚痴やら予想やらになってしまっている。しかも、坊主も走る師走。夜の蝶は午前一時からの記憶を失うかき入れ時である。これから実りのあるエッセイを書けるという自信がない。というより、書けないくらい忙しくなってくれないと困るのであるが。二〇〇九年版を書こうかどうしようか検討中である。
今年の一月にあったことについて皆様は思い出せるだろうか。私は平素のことはまったく思い出せない。確かまだ三十五歳であった、というくらいであろうか。だが、金杯で負けたあの気持ちは、毎年のことなのに今年の悔しさをきちんと思い出せるのである。有馬記念のマツリダゴッホの激走にやられたまま、「このままでは馬券を買えなくなってしまう」と焦りに焦って検討したものの、また負債を増やしたあの恐ろしい感覚は約一年たとうとも脳裏にはっきりとあるのである。
「このままでは真のオッサンになってしまう」
という、ありがたくないのだけれど、予感に襲われている。会話のすべてが、
「それいつだっけ?」
「ウオッカがダービー獲った月だよ」
「ああ、あんときか……」
なんて……いつまでも色気だけは忘れたくないのだが、そんな会話もちょっと魅力的と思っている自分が怖い。
気を取り直してジャパンカップダートへと思ったらなんと四十頭以上も登録があり、検討は先送り。しかしこのエッセイにそのレースではなく登場させた馬が結構来ているのでヤマトマリオンちゃんあたりを押しておこうかと思う。今までの東京競馬場で行われるレースと違い、阪神競馬場の千八百メートルとなるあたり、枠順の有利不利にも大いに注目すべきであろう。
有馬記念のファン投票も済ませたのだが、どうにも関西馬ばかりになってしまった。去年の今頃しっかり稼がせてくれたキャプテントゥーレは馬名の一覧にも名前すら挙がっていなかった。早く復帰して欲しいものだ。ある馬友は、
「ウオッカは俺の彼女。あのもろさも素敵。スカーレットは強すぎる」
なんてのたまっているが、私は、
「その器の大きさに日本のレースがついてきていない憧れの人、デルタブルース」
に一票を投じた。デルタのために、是非東京競馬場二周のレースを、にも一票を投じたい。
さて、占いが本当に当たるとすれば今月、どんなすばらしい出会いに恵まれるのか。鹿毛のステイヤーか、青毛の流星が美しい若人か、はたまた今までは近すぎて目に留まっていなかった往年の実力馬か。パドックのこちら側でもいい出会いに恵まれれば、これ幸いであるが、占いには、
「ギャンブルには絶対に手をだしてはいけません。貴方のチャレンジ精神は、ビジネスに注がれるべきものであって、ギャンブルに使うためのものではありません」
と厳しく書かれていた。競馬はロマンであることをここに改めて記しておこうと思う。