くすぶり
必然や、偶然や、運命なんてことを、前回書いたが、それらがあるのかどうかはわからないが、『くすぶり』だけは確かに存在すると思う。私は、浅田次郎先生が好きだが、そのエッセイの中にも『くすぶり』についての話が出てくる。ようするに、まことしやかに言えば、『バイオリズム』であったり『げんかつぎ』であったり『ジンクス』であったりする。ついていないやつの近くは、近くによっただけでもそのオーラに飲み込まれる、というあれである。
ここまで、連載で読んでいただいている読者の皆様にはわかるだろう。私が、
「心情的に買えない」と言った馬がことごとく来ていることが。今年は勝浦騎手で行こうと思うとかいったら、また最終レースで落馬してしまった。
昨年の買った騎手のランキングでは、武豊騎手が上位に入っている。これは、普通の予想からなるものも、もちろんあるのだが、つもり積もった『つぶし馬券』のせいでもある。私の中には、
「武豊は、私に稼がせるつもりは毛頭ない」という、確固たる『げんかつぎ』がある。なので、勝負の穴狙いのレースに彼が騎乗している場合、私は必ず、武豊単複馬券を買う。
「私が買ったら、絶対こない」という信念の基に買う、ようするに『武豊つぶし』馬券である。レースはあたらなくても、つぶし馬券を買ったときは、たいていつぶれる。複勝は当たることがあっても、単勝は当たらない。人気どころの武豊複勝馬券がどれほど低配当か、お分かりになるだろう。
本当はそれもキャリアから来る勘なのかもしれない。たかが私が馬券を買ったくらいでどうにかなる騎手ではない。そもそも『呪い』というのは、相手が呪われていると知るか、またはそんなふうに思い込めてはじめて効力を発揮する魔法である。私が買ったか、買ってないかわからないときには効力なんてないのだが、友達の中には真剣に、
「明日、武豊からいくから、絶対に単複買わないでね」といってくるやつがいる。もちろん、自分の予想が穴である場合は、断固断る。
さて根岸ステークスは、ガーネットステークスの時に、
「紙面を派手に飾る名前じゃないな」と娘が断言したタイセイアトムでいこうかと思う。テイエムプリキュアが、二歳女王になった時も、娘は全く同じことを言っていた。その後、プリキュアちゃんには、馬券的においしい思いをさせてもらった覚えはないが……鞍乗の吉田豊騎手には逃げるのが上手いイメージを持っている。ちなみに須貝騎手が逃げ馬に乗っている時も押さえるようにしている。
これを書き始めたのは、日曜日の明け方だが、すでに雪が降っていた。真っ暗な空から降ってくる白い雪をしばらく眺めていた。吸い込まれそうな静けさで、小さな星の粒の中にいるような気分になった。創作意欲満々だったが、途中で睡魔に負け、起きてみると、東京は中止になっていたし、京都の芝の競争がダートに変更になっていた。
瀬戸内海沿い生まれの私にとっては、寒いのは最悪だが、雪は楽しいイベントである。確か、シルクジャスティスが有馬記念を勝った翌年、神戸の実家に向かうために駅にいた時も雪だった気がする。楽しいのに、帰るんかぁと思っていたら、電話が鳴って、つまらなそうな声が聞こえた。
「雪で競馬が中止になって、つまらない」と。
多分、三月一日の中山開催ではないだろうか。まだここまで競馬にのめりこんでいなかったので、
「ふうん」と思った程度だった。
一日競馬がなくなって、翌日なりに代替競馬が開催されるのと、芝のはずのレースが、ダートになってしまうのと、馬にすればどちらが迷惑な話なんだろうか。私は道が悪くなると、芝ならダートの実績を、ダートなら芝の実績を参考にするようにしているので、予想はそんなに変わらない。馬にしてみてもそんなくらいの感覚なのだろうか。なんにせよ、怪我がないことが一番である。
京都牝馬ステークスは、ちょっとあてにし辛いが、シェルズレイからいこうかと思っている。ダート実績はないがクロフネ産駒だし、大丈夫だろう。そこからダート実績のある馬に軽く、軽く流そうと思う。鞍乗の川田騎手は以前あるインタビューで、
「何番人気の馬でも、その馬券を買っているファンの人のためにも、いつも頑張ります」と言ったことがある。穴党の私としては、心強い一言だった。
今回は、これだけつらつらと予想を並べたが、よく思い出して欲しい。私は今、『くすぶり』の真っ最中であることを。これを読まれてから馬券をお買いになる方は、そのあたり、じっくり検討されたし。