一足先に、れいてん高校生
“ありがとう”
俺が猫の時も人間の時も一番使う言葉がある。
それが『ありがとう』だ。
使おうと思って使っているわけではないが、俺はこの言葉を使う場面にたくさん遭遇する。
だから、俺は知らず知らずのうちに、この言葉をたくさん言うようになっていたのだ。
『ありがとう』にはいくつか言い方がある。
『ありがとうございます』とか、それに『どうも』をつけて『どうもありがとうございます』とか、『ありがとね』とか。
どれも結局は相手に何かしてもらった時に言う言葉に変わりはない。
いろんな言い方があるが、俺がよく使うのは『どうもありがとう』だ。
最初に付ける『どうも』がどう言う意味かはよく分からないが、俺はなんとなく『どうも』の音が好きだ。
『どうもありがとう』
俺はそれを言う度に、今日もいろんな人に何かしてもらったなぁと思う。
なので、できれば俺も『どうもありがとう』を同じくらい言われるようになりたい。
言うのも言われるのも、俺にとっては腹の毛がふわっとなる。
俺はその言葉がなかなか好きだ。
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「あぁ、ぶーちゃんじゃない。こんにちは」
「にゃあ」
今日の俺は猫だ。
昨日、寝る前に明日は猫かなぁと思っていたら、やはり起きたら猫だった。
俺はたまたま通りかかったミソノサンに「こんにちは」の挨拶をすると、にこにこと微笑むミソノサンにすり寄った。
最近、人間になったり字を勉強したりしていたせいで、最近ミソノサンに会っていなかった。
腹の毛がひゅうんと風になびくような気持ちだ。
「ぶーちゃんは今日も可愛いわねぇ」
「にぃ、にぃ」
この余り上手ではないミソノサンの撫で方も久しぶり。
ミソノサンの撫で方は上手ではないが、俺はミソノサンの手や体の匂いは好きだ。
いつも、食べ物の匂いがしていてお腹がすく。
ミソノサンはぺこぺこの匂いだ。
「ぶーちゃんに久しぶりにおまんじゅうをあげましょうかねぇ」
「にゃあー」
“おまんじゅう”という言葉に俺は体中の毛がぶわぶわっと逆立つのを感じた。
なんという事だろう。
久しぶりに会ったミソノサンは俺にさばのみそにの端っこではなく“おまんじゅう”をくれるという。
俺は今日ツイてる。
ツイてるというのは良い事がある事を言うのだ。
そう、せんせいが言っていた。
俺は“おまんじゅう”を取りに家の中に入ったミソノサンの背中を追って家の前へちょこんと座った。
人間は勝手に家の中に入ると怒る人も居るので、俺は基本的には「おいで」と言われない限り入らないようにしている。
ミソノサンは動物の毛が落ちるのが気になるらしく、家に入って来てほしくない人だ。
昔そう言っていた。
『おまんじゅうなんて久しぶりだなぁ』
俺は尻尾がピーンとなるのを感じながらミソノさんの戻りを待つ。
『ふふふ。ねこふんじゃった、ねこふんじゃった』
俺は知らず知らずのうちに歌っていた。
そう、最近はやっと寝る前に「ねこふんじゃった」を思い出して体がぶわっとする事も減った。
逆にお気に入りのうたの一つになっていた。
少し前まではしろから教えてもらった「ねこふんじゃった」のせいで、自分の体が人間にぺしゃんこにされるのを想像して眠れないでいた。
そして、そんな日に限って俺は人間から踏まれてぺしゃんこにされる夢を見るからおそろしい。
ちょうど、アカとしろに走って行った時、俺は(多分)しろに踏まれた事があったので、妙に踏まれた時の想像が“ほんとう”のように思い出されて怖かったのだ。
まったく、しろは本当にやっかいな歌を教えてくれたものだ。
そのせでい俺は寝不足になってしまった。
しかし、そうやって眠れないのは1日の殆どを寝て過ごす猫にとっては大きな変で、大変な事だ。
だから、俺はどうやったら怖くなくなるかを考えた。
そこで俺は一つの良い考えを思いついた。
人間に踏まれるのを想像するからおそろしいのだ。
だから別のものに踏まれるのを想像したらいい、と。
俺は踏まれたら逆に嬉しいものを考えた。
『ねこふんじゃった、ねこふんじゃった、おまんじゅうにふまれちゃった』
俺は尻尾をピンと立てながら、勝手にうたの言葉を変えて歌った。
そう、俺は踏まれる想像を、大好きなごはんに踏まれる想像に変えたのだ。
最初はますたーから作ってもらった“びーふしちゅー”
“びーふしちゅー”に踏まれるという想像は、上から“びーふしちゅー”がたくさん落ちて来るという事だ。
それは痛くもおそろしくもない、とてもおいしい幸せな事だ。
そうやって俺は踏まれるものを、しろの“ふれんちとーすと”にしたり、“さばのみそに”にしたり“からあげ”にしたりして、こわいのを失くした。
まぁ、逆に寝る前にそんな歌を思い出すせいで、とてもお腹がぐうぐうなって困っているのだが。
けど怖いより、ぜんぜんいい。
そんなわけで、今では「ねこふんじゃった」は俺のお気に入りの曲だ。
ぴょんぴょん飛び跳ねたくなる音の流れも、俺のお気に入りの理由の一つだ。
「あ、兄貴!」
『あ、アカ』
俺が歌いながらミソノサンを待っていると向こうの方からアカが俺をみつけて走ってきた。
そういえば、せんせいは学校へ行く時、勉強に使う為の道具を黒い“らんどせる”に入れて、それを背負っている。
しかし、アカは何も持っていない。
どうやらアカは今日も学校へは行かないようだ。
しろといいアカといい高校生は気楽なものだ。
「どうしたんすか?兄貴」
そう、アカがにこにこと俺に話しかけるのと同時に、家の奥からミソノサンが戻って来た。
その手には甘い匂いのする“おまんじゅう”が握られている。
「ぶーちゃん、お待たせねー」
「にゅああああああ」
俺は近寄ってきたミソノサンの足元にすりすりすると、お行儀よくミソノサンの足元に座った。
しかし、ミソノサンは俺ではなく俺の隣に居たアカに目をやると「あれまぁ」と驚いたような顔をした。
「あんた、その髪な凄かねぇ」
「あ?んだよ」
ミソノサンの言葉にアカが俺に向けていた笑顔をひっこめ眉間に皺を寄せた。
これは良くない。
俺はアカの顔を見ながら思った。
顔も、声も、言葉も良くない。
(にーとのにーちゃんは本当に大人なのに0点だな!にーとのにーちゃんはバーツだ!バツばっかりだ!)
俺はいつもせんせいに言われる言葉が頭の中に浮かんでくるのを感じた。
アカは、れいてんだ。
アカは、ばーつだ。
「テメェには関係ねぇだろうが」
俺はこれからミソノサンに“おまんじゅう”を貰うのに、なんてダメな態度を取るのだ。
これは、これは本当に良くない。
俺はごはんをくれる大事なミソノサンへのアカのとんでもない態度に、思わずアカの足に爪を立ててやった。
『アカはダメだ!アカは高校生にもなってれいてんだ!ばーつだ!』
「え!?なんすか?兄貴!?」
アカは突然の俺の威嚇と、爪立てに驚いたように俺を見下ろしてくる。
『お前は全然ダメだ!俺はお前にそんな失礼な事をいう奴に育て覚えはない!ミソノサンはごはんをくれる人間だ!あやまれ!あやまれ!』
「あらあら、どうしたのー?ぶーちゃん。おにいちゃんが赤いから怖いのかい?」
怒ってる俺に対して、当のミソノサンはのんびりとそんな事を言ってくる。
人間も猫も大人になりすぎると怒らなくなる。
ミソノサンももうたくさん大人だから気にしないのかもしれない。
けれど、俺はアカの親としてここは怒らねばならないのだ。
「ふーっ!ふーっ!」
「……兄貴、すみません」
なぜアカは俺にあやまるのだ。
俺に謝っても仕方ないだろうが。
これだからアカはばーつのれいてんなのだ。
『ミソノサンにあやまれ!ミソノサンはお前より偉い人だぞ!いつもサバのみそにの端っこもくれるんだ!あやまれ!』
「……は、はい」
アカは俺に向かってしょぼんとした表情になると「あらあら」と俺の背中を、これまた少し下手クソに撫でるミソノサンに向かって頭を下げた。
「生意気な口きいて悪かった」
『悪かったじゃなくてごめんなさいって言いなさい!』
「……生意気な口きいてごめんなさい」
悪かったってなんだ。
悪かった事なんてわかっているのに、あらためて“悪かった”なんて言ってアカはあやまる気があるのか。
俺は自分の知っている言葉でアカにきちんとあやまらせたくて言い直させた。
今度はちゃんと言えた。
まーるだ。
「あらあらー、あんたも饅頭を持っていきなさい」
「は、いや……」
「これはぶーちゃんのだから、ちょっと待ってなさいねぇ」
ミソノサンはそう言うと手に持っていたまんじゅうを俺の前に置いた。
俺は久しぶりに前にする甘い甘いまんじゅうを前に腹の毛がぶわわわとなった。
『ミソノサン、どうもありがとう』
「あらあら、うれしいね、うれしいね。ぶーちゃん」
ミソノサンは俺を一撫ですると、今度はアカの分のまんじゅうを取りに家に入った。
アカは何やら「いや、俺は」と声を上げていたが、ミソノサンには聞こえていないようだった。
「兄貴……」
俺はミソノサンに貰ったまんじゅうを咥えると、頼りなく俺の名を呼ぶアカを見上げた。
しかし、俺としては何をそんなに変な顔をしなければならないのか良くわからなかった。
アカもまんじゅうを貰えるのだから、もっと喜べばいいのに。
すると、今度はすぐにまんじゅうを手に戻って来たミソノサンが「よいしょ」と履きものをはいて戻って来た。
ミソノサンは猫でなくともこうして食べ物をくれる、なんとも優しい人だ。
「ほーら。お饅頭よー。3個あるからお友達と分けなさい。あと、ほら。これはべっこうあめよ。こっちもお友達とわけわけにしなさいね」
「…………」
俺は俺よりもたくさんのモノを貰うアカをジッと見上げると、何やら変な顔のまま固まるアカに向かって鳴いた。
アカ、何か貰ったら黙っていたらいけない。
アカ、またれいてんか。
アカ、またばーつか。
俺の鳴き声にアカはビクリと肩を揺らすと、チラリと俺の方を見下ろしてきた。
「にゃあ」
「………どうも、ありがとう」
アカのどこか掠れたその声に、俺はまた鳴いた。
アカ、まーるだ。




