※彼の夢
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朝倉海道は夢を見ていた。
それは、懐かしい、懐かしい、苦い夢。
先程まで、知らぬ男に感情を揺さぶられていた彼は、隣から聞こえて来た寝息に共に己の意識を手放した。
彼の見ていた夢、それは幼い頃の夢であった。
幼い頃の、彼の心に負った小さな傷の夢。
彼は動物が好きだった。
とりわけ、その中でも猫はとても好きだった。
彼の両親も猫が大好きで彼の家では、真っ白の毛をした“しろ”と言う名の猫を飼っていた。
しなやかな体躯。
透き通る鳴き声。
ふわふわの毛。
遠くを見つめる大きな目。
そして、何者にも縛られない自由な生。
あの自由奔放さに、幼い彼も幼心に憧れを抱いていたのだった。
だから、彼は猫を見かけるとところかまわず話しかけた。
家で彼の両親がそうするように、彼にとって猫との会話はいたって普通で、何の変哲もない日常の一コマに過ぎなかったのだ。
ただ、ある日を境に彼は気付いた。
羞恥心と言う名の鎖が、自分の中ひっそりと眠っていた事に。
彼が小学校に上がり、友人との下校中彼はいつものように通りかかった猫に話しかけた。
すると、彼は友人からある言葉を言われた。
『猫と話すなんて、変なの』
『え?』
彼は意味がわからなかった。
何がどう、変なのかさっぱりわからなかった。
しかし、その日を境に彼が猫に話しかけるのを目撃したクラスメイト達が、こぞって彼をからかうようになった。
皆、口をそろえて彼を『変な奴』と言って笑った。
笑われる度に彼の胸の中はどうしようもない痛みに苛まれた。
猫はモノ言わぬが、こんなにも雄弁に目で語りかけてくれる。
雄弁な声色で鳴いてくる。
幼い彼は確かに猫との会話を楽しんだ日々があったのだ。
しかし、それは“変”で“恥ずかしいこと”なのだと言われる。
どうして。
その疑問が止まぬ中、ただ彼の中に理由もわからぬ羞恥心だけが芽生えていった。
そして、それまで普通だった猫との会話がとても滑稽で恥ずかしい事のように思えてならなくなった。
それから、彼は外で猫を見ても話しかけなくなった。
擦り寄って来ても、鳴いても、ジッと瞳で語りかけてきても。
外では頑なに無視した。
聞こえぬふりをした。
家でもそれは同様だった。
それまで、とても可愛がっていた“しろ”を頑なに無視した。
擦り寄ってくる“しろ”を邪険にした。
彼の中で育った羞恥心は猫の気持を感じさせなくした。
そして、彼はそのまま成長を続けた。
彼は大きくなっていき、そして“しろ”は老猫になっていった。
『にゃあ』
その日、彼が小学校に行く途中、飼いネコの“しろ”は珍しく彼にすり寄った。
学校へ行く彼を追いかけ、鳴き続けた。
その猫がどんな気持ちだったのかは、もう成長した彼には感じ取ることはできない。
しかし、長い事邪険にして彼に近づく事をやめていた“しろ”がその日は彼にしつこく甘えた。
『にゃあ』
だが、彼はいつものように“しろ”を無視した。
家の中ならいざいしらず、ここは外だ。
どこで誰が見ているかしれない。
「……うざいな」
彼はそう呟くと“しろ”を見ようともしなかった。
だが、それでも“しろ”はしつこく彼の足にすり寄るのだ。
『にー、にー』
そうやって懐かしくも、昔よりもか細く鳴った鳴き声に彼はたまらず歩を速めた。
しかし、その時、彼は誤って“しろ”を蹴ってしまった。
なんてことない、力の無い攻撃だった。
けれど、“しろ”はもう老猫で力が弱かった。
“しろ”は転がって「にぃ」と小さく鳴くと、もう彼にすり寄っていく事はなかった。
その最後に聞いた「にぃ」という声が、何故だかその日彼の頭から離れなかった。
その日、彼が小学校から帰ると、“しろ”は家の中のどこにも居なかった。
“しろ”と言う彼の家族はその日を境に、その家から忽然と姿を消した。
死期を悟った猫が姿を消すなんて、ウソかほんとかはわからない。
ただ、彼の中には未だに最後に聞いた、彼の家族の寂しげな声が離れずに居た。
『にぃ』
もの言わぬ猫の、それは確かに想いの込められた“言葉”だった。




