第31話「狐」
「あれが間違った選択をしなければ災いの種にはならんだろうな」
そう篁は告げた。
「今お前たちに話せるのはそれだけだ」
「…………維将を見てきてもいいか?」
躊躇いがちに博雅がそう良源に問う。
その問いかけが唐突だったため、良源は僅かに目を見開いたが、彼を止めるようなことはないと判断したのか小さく頷いた。
それを受けて博雅は坊を出た。
きん、と冷え切った廊を維将が眠っているだろう坊へと急ぐ。
その後を伊吹が付き従うようについてくるのを見て、どうしたんだと問うと。
「奴を見たくはないし声も聴きたくない」
という至極当然な返答が返ってきた。
苦笑を漏らし、進んでゆく。
妻戸を開けて中へと入ると、灯明に火が灯っており、そこから離れた場所に明り除けの几帳が立てられていた。
そこからそっと覗いてみると、維将が疲れ切った表情で大袿にくるまって眠っているのが見えた。
符を張ったと言っていたが、それは一体どこなのだろうかと辺りを見回す。
「馬鹿者。符ならばその小童に張ってあるだろう」
心の中を読んだのか、伊吹がそう指差して指摘する。
「正確には大袿だが」
「…………」
博雅は音を立てずにそっと内に入り込むと枕元へと座って、維将の寝顔をまじまじと見つめた。
あの日からずっと彼は心身ともに疲弊していったのだろう。
その疲弊が限界を超え、あの日のあの行動に移ってしまったのだろうか。
「………もしやこの小童…」
何かに気付いたのか、伊吹が小さく呟きを漏らす。
「どうした? 伊吹」
それに気付き、問いかけた。
だが、伊吹はなんでもないとはぐらかし、辺りを見回した。
「しかしこの坊はなんとも巻書が多いな。何かの調べものをしておったのか?」
「それはたぶん陰陽道の術を記したものだろう。こいつはこっちに来てからずっと忠行殿について基礎を教わっていたようだから」
「なるほど……」
博雅の傍らを離れ、そこかしこにうずたかく積まれている巻書を手に取って開けてみる伊吹。
「あんまり触るなよ」
「わかっておる」
伊吹はその内、隣の坊へと入り込んでしまっていたようだ。
そこは晴明が使用していた坊であり、主が不在でも巻書はそのままの状態で置かれていた。
「…………これは…」
文机の上に置かれていた古びた書物が目に入った。
それは堅く封印が施してあったが、伊吹が手に取るとすぐさま解除されてしまった。
「狐………の封印」
伊吹も晴明が狐と人の間に生まれた混血児であることは妖づてに聞いたことはある。
だが、実際にこの封印を見るまでは眉唾ものだと思っていたことは確かだ。
そこへ良源が維将の坊へ入ってきたことに気付いて、その書物を持ったままそちらへと戻った。
「符の効力は十分にあるが、万が一のこともあるからな」
ここに戻ってきた理由は表向きはそれなのだろう。
だが本音は彼が心配だったからに違いない。
良源は維将の師であり、父や兄代わりなのだから。
「確か伊吹殿、といったか」
維将の枕元に座った良源が、伊吹へと視線を上げながら言う。
「さきほどはすまなかった」
「いや……。人間のああいう言動には慣れておる」
「伊吹。それ……どこから持ってきた?」
今度は博雅が問う。
それ、とは伊吹が持ってきてしまっていた書物のことだ。
「続きの坊だが……」
と指差すの先を見て博雅は、
「そっちは晴明の坊だ。いったい何を持ってきた?」
眉根を寄せた。
「狐……おそらく晴明とやらがかけた封印だろうが」
書物を差し出す。
「わしが取り上げた途端に封印は解除されてしもうた」
「…………」
そりゃあそうだろう。
仮にも伊吹は“元”神なのだから。
心の中でそう呟くも、言葉には出さなかった。
「まあ晴明とやらはその内容を誰にも見せたくはなかったということだろう」
「封印が解かれたってことは読めるんだよな?」
書物を受け取った博雅は、ぱらぱらと頁をめくってゆく。
その時だった。
書物に挟まれていたのだろう紙片が床へと落ちた。
それを拾い上げ、一瞥した良源の眉根が寄せられる。
「どうした? 良源殿」
その様子に何事か感じた博雅が問う。
「…………見覚えのある名前を見つけた」
そして紙片を二人に見えるように裏返す。
「赤子の維将を抱いていた女の名だ」




