第30話「不知火」
闇、と呼ばれた神はゆっくりと女神を振り返った。
「光の。あとは頼む」
そう言ってすぐにその姿を消した。
光、と呼ばれた女神……おそらくは高龗神(たかおかみのかみ)であろう…が神気の軌跡を見送り、博雅へと視線を戻す。
「それで人間。お前が手にしているのはあれが鍛えた太刀だな」
視線は博雅本人ではなく、その手の太刀へと向けられていた。
根源は同じものだからか……少なからず興味を持ったようだ。
「あれが人間に太刀を鍛えてよこすとは驚いたが……お前はこの世界の住人ではないな?」
「…………」
博雅は答えない。
いや、答えることができないのだ。
自分でさえここがどこであるのか、さきほどまでいた二人がどうなってしまったのかすらわからないのだから。
その様子に、女神は苦笑を漏らす。
「恐らくはその太刀の意思なのだろうよ」
「意思?」
鸚鵡返しに問いかける博雅。
「高龗神とお見受けするが、太刀の意思は鍛えた者の分身と考えてもよいものだろうか」
そう続けられた言葉に、女神が僅かに目を見開く。
闇龗神(くらおかみのかみ)の名を知っているからして、その名も知っていることは想定内だったが、神や妖が鍛えた太刀にはそれぞれ意思が内包されていることを知っているということに驚いたのだ。
「人間。お前は何が知りたいのだ?」
手近な岩に腰かけ、問い直す高龗神。
その表情は面白いものを見るときのような笑みが浮かんでいる。
「恐らく俺がここに来たのはこの太刀が呼んだからだろう? その太刀を鍛えたのは伊吹……闇龗神だ。太刀の意思は鍛えた者の意思が内包されているとすれば俺をここに呼んだのは」
「闇が呼んだ、とそうお前は思っているのか?」
あの人間嫌いが。
「………わからない。だが、太刀がここに俺をよこしたのだとしたら……」
「…………」
再び高龗神が太刀へと視線を落とす。
太刀からは己の対である闇龗神の気配を感じる。
それとともに感じるのは覚えのない妖の気配。
「お前がこの太刀を手にした経緯を話してみろ」
「経緯…?」
再び鸚鵡返しに問うと、高龗神が無言で頷く。
神が何かを考えているのは確かだったが、それを問うのは無粋だと判断し、博雅は素直に太刀を手にした経緯を語った。
「………そうか」
全てを聞き終えた高龗神はしばらく目を閉じて何事かを考えていたようだが、おもむろにそう口を開いた。
「お前の言うとおり、伊吹という妖は闇のが変異した姿だろう」
「…………」
「そもそも神と妖は表裏一体として存在している。いわば根は同じというやつか」
一応博雅にわかりやすいように解説を入れてくれているのだろうが、いまいち理解できなかった。
小首をかしげる。
「どういう意味だ?」
「……お前たちの世界でも神を祀っているだろう。神は祀り上げられれば神として存在できるが、一旦忘れられれば神から妖へと変異する」
「………御霊ってやつか」
ぼんやりとそんなことを考える。
だが、それと同じような感じを伊吹からは全く感じなかった。
「まあ、そんな感じだな。だが妖に変異した闇のが鍛えた太刀からは神気しか感じ取れん」
「…………高龗神」
脳裏をよぎった疑問。
それに答えてくれるかどうか疑問だったが、疑問を疑問のままで終わらせたくなかった博雅は問う。
「もし対たる神が消えた場合、あなたはどうなる? 神として居続けることはできるのか?」
「面白いことを問うな、人間」
高龗神の口から苦笑が漏れた。
「だがそれには答えられん。今までそういう事態が起きなかったからな」
「そうか……」
「これから起こることをもしお前が知ったとして、やはり闇のを救いたいか?」
不意にそう問われた。
驚いて高龗神を見やれば、そこには真剣な表情をした神が己を見つめていた。
「……歴史を変えればまた違った未来がくるかもしれんぞ」
「………………流石にそれはできないな」
ぽつりと呟きを漏らす。
「ほう……なぜだ?」
「俺の知ってる奴が言っていたが、“歴史というものはすべて一本の道に沿って紡がれているものであるからして、一部を変えてもその埋め合わせは必ず来る。”……とまあ、こんな感じだったな」
そう言ったのは昔から付き合いのある晴明だった。
博雅の幼馴染が不慮の事故で死んだ直後に言われた言葉だった。
「確かに神の我らでも天網には逆らえないな。たとえ逆らえたとしても、あとでその見返りは必ずくるだろう」
もっともだ、と高龗神が言う。
「ではお前はその時が来たとしても見守る、というわけか」
「正直見守るだけっていうのはつらいが……」
その時だった。
キン、と甲高い金属音が響き渡った。
「……結界が…」
僅かに顔を顰める高龗神。
その傍らに闇龗神が顕現した。
「光の」
「わかっている」
闇龗神の言葉に高龗神は頷き返すと、博雅へと視線を向けた。
「不測の事態が起きた。私たちは行かねばならない」
先に異変のあった場所へ駆け出す闇龗神を視線で追っていた博雅はその言葉に振り返る。
「無事にお前が元の世界へ戻れることを心から祈っているぞ」
そう言い残し、高龗神は己の対を追って駆け出す。
それを見送り、博雅は手にしていた太刀へと視線を落とした。
「お前は一体俺に何を見せたかったんだ?」
なぜこの世界へ飛ばしたのかいまいち理解できていない博雅だった。
と、再び視界が歪む。
恐らくは元の世界に戻る前兆なのだろう。
そう考えて博雅は目を閉じた。
一番最初に感じたのは誰かの呼び声。
そして次第にすべての感覚が蘇ってくる。
ゆっくりと目を覚ますと、そこは御堂の中だった。
目の前には心配そうに眉根を寄せたままの青葉と、伊吹の姿があった。
「あれ………俺、どうした…?」
「どうしたではない」
僅かに表情を緩めた伊吹が溜息とともに言葉を漏らす。
「突然お前が倒れたのだ」
「へ……?」
「いくら呼んでも叩いても起きなかったんだ」
今度は青葉が言った。
二人とも相当に心配していたのだろう。
安堵する表情がそれを如実に表していた。
「どうだ? 体に違和感はないか?」
「……ああ、大丈夫だ」
一応、起き上がって体を軽く動かしてみる。
筋肉痛は多少あるが、それもいたって軽度のものばかりだ。
「博雅」
体を動かしていると、伊吹に名を呼ばれた。
「なんだ?」
「太刀はお前を主と認めたようだ」
晴れやかな笑みを伊吹は浮かべている。
それもそうだろう。
己が鍛えた太刀を使いこなす人間が現れたからだ。
「名をつけてやってくれ」
「……あ、ああ」
太刀は傍らに置かれてあった。
それをそっと取り、鞘から抜き払う。
刀身は研ぎ澄まされ、光を受けてきらりと閃いた。
「………………不知火」
ぽつりとそう口にした。
「この太刀の名は不知火と名付ける」
「良い名だ」
うむ、と頷く伊吹は眩しいものを見るように太刀へと視線をやった。
こうして伊吹の鍛えた太刀は博雅のものとなった。




