第2話 売る前に、生かす
移動販売車は、荒れた大地に土煙を巻き上げながら北東へ走っていた。
道と呼べるものはない。低い草がまばらに生えた平原には、雨に削られた溝や、地面から突き出した岩が点在している。
舗装された県道ばかりを走ってきた車なら、とっくに立ち往生していてもおかしくなかった。
「この車、こんな悪路を走れたか?」
『召喚時に、車体および足回りへ異世界環境への適応補正が加えられております。通常走行であれば、多少の悪路や浅い河川も通行可能です』
「商品が棚から全部落ちていたりしないだろうな」
『荷崩れ防止も補正対象です。卵を含め、破損は確認されておりません』
「そこまで気が利くなら助かるよ」
大樹はハンドルを切り、ナビ画面に表示された赤い線を追った。
集落までの距離は、およそ12キロメートル。車を出してからすでに10キロメートル近く進んでおり、目的地は岩山の向こうにあるらしい。
その途中で、ナビ画面に新たな光点が現れた。
獣人族の子どもを示す2つの光と、それを追う大型魔獣の光が、集落から2キロメートルほど離れた場所を移動している。
子どもたちは村から遠く離れてはいない。それでも、衰弱した幼い身体で魔獣に追われている以上、余裕などあるはずがなかった。
『前方の傾斜を越えた先です。魔獣との距離、およそ70メートル。幼体2名の走行速度が低下しています』
「間に合うか」
『現在の速度を維持すれば、接触前に到達可能です。ただし、前方20メートルに深い溝があります。右へ迂回してください』
大樹は指示どおりにハンドルを切った。
販売車が大きく揺れ、タイヤが乾いた地面を蹴る。傾斜を越えた先で、背の高い草をかき分けながら走る小さな人影が見えた。
先を走っているのは、灰色の耳と尾を持つ少女だった。
年齢は12歳ほどだろうか。泥で汚れた服を着て、さらに幼い男の子の手を引いている。
男の子は何度も転びそうになり、そのたびに少女が腕を引き上げていた。
2人の背後から、黒い塊が迫っている。
牛ほどの大きさがある猪に似た魔獣だった。背中からは何本もの鋭い棘が突き出し、口元から伸びた牙が、走るたびに地面をえぐっている。
大樹が魔獣へ視線を向けると、《ゴッドアイ》が情報を表示した。
《棘鎧猪》
《危険度:C》
《状態:興奮、飢餓》
《特性:突進、棘射出》
「さっきの狼より危険度が高いじゃないか」
『棘の射出にはご注意ください。射程は推定30メートルです』
大樹はクラクションを鳴らした。
聞き慣れない音に、少女が驚いて振り返る。販売車を見た瞬間、恐怖で顔を強張らせたが、逃げる方向を変える余裕は残されていなかった。
大樹は2人を追い越し、販売車を横向きに止めた。
「こっちへ来い!」
運転席から降り、助手席側のドアを開ける。
少女は警戒して足を止めかけたが、背後から迫る魔獣を見て、男の子を押し込むようにして車内へ乗せた。
「お姉ちゃんも!」
「でも……」
「早く乗れ。あいつは俺が止める」
少女を助手席へ乗せてドアを閉めた直後、空気を切る鋭い音がした。
棘鎧猪の背中から放たれた棘が、大樹へ向かって飛んでくる。
数本の棘は途中で見えない壁にぶつかり、乾いた音を立てて地面へ落ちた。販売車へ向かった棘も、車体の手前で同じように弾かれている。
『大樹様が保護対象と認識している生命、および使用中の移動販売車への攻撃を確認。オートマチックパーフェクトディフェンスが作動しました』
「車の中にいる子どもも守れるのか」
『大樹様が明確に守る意思を持ち、かつ一定範囲内にいる場合に限ります。病気、飢餓、疲労、老衰など、攻撃に該当しない現象は防御対象外です』
「何でも防げるわけじゃないんだな」
『名称に絶対とありますが、適用条件は存在します』
棘鎧猪は攻撃が通じなかったことにも構わず、販売車へ向かって突進してきた。
車体の側面へ体当たりされても、絶対防御があれば防げるのかもしれない。しかし、子どもたちが中にいる状態で試す気にはなれなかった。
大樹は車の前へ出て、拳を構える。
「殺さずに止められるか」
『可能です。対象の突進力を相殺し、気絶させる程度へ《必激の拳》の威力を調整します。接触の瞬間に、正面から拳を合わせてください』
「簡単に言ってくれるな」
地面を響かせながら、魔獣が迫る。
本能的には逃げ出したかったが、大樹の背後には販売車と子どもたちがいる。絶対防御があると分かっていても、牛ほどの巨体が突っ込んでくる光景を、平静に見ていられるはずもなかった。
大樹は腰を落とし、右拳を握った。
棘鎧猪が頭を下げ、太い牙を突き出す。
透明な防壁が牙を止めた瞬間、大樹は魔獣の額へ拳を押し当てた。
衝撃が腕へ伝わるより先に、棘鎧猪の体が地面から浮いた。
巨体は後方へ数メートル押し戻され、その場で横倒しになる。土煙が収まったあとも起き上がらず、《ゴッドアイ》には《気絶》《生命に異常なし》と表示されていた。
「本当に死んでないんだな」
『呼吸、心拍ともに正常です。30分前後で意識を取り戻すと推測されます』
「なら、起きる前に離れるぞ」
大樹は急いで運転席へ戻った。
助手席には少女が座り、その膝の上へ弟らしき男の子がしがみついている。2人とも耳を伏せ、怯えた目で大樹を見ていた。
大樹が乗り込むと、少女は男の子をかばうように体を寄せる。
「どこへ連れていくの」
「君たちが住んでいる集落へ戻る。場所は北東で合っているか?」
少女はすぐには答えなかった。
大樹の服装と運転席を見比べ、最後に後部の販売スペースへ視線を向ける。
「人間なのに、どうして助けたの」
「追われている子どもを見つけたからだよ。助ける理由なんて、それで十分だろ」
少女の耳がわずかに動いたが、警戒は解けていなかった。
大樹は無理に話しかけず、販売車を発進させた。
魔獣から十分に距離を取ったところで、男の子の腹から小さな音が鳴る。
男の子は恥ずかしそうに腹を押さえた。
大樹が《ゴッドアイ》を使うと、2人の状態が表示される。
《狼獣人:女性》
《推定年齢:11歳》
《状態:軽度の脱水、栄養失調、疲労》
《狼獣人:男性》
《推定年齢:6歳》
《状態:脱水、栄養失調、低血糖》
男の子のほうが悪い。
「水は飲めるか?」
大樹が尋ねると、少女はさらに身構えた。
「何も持ってない」
「金を取ろうって話じゃない。喉が渇いているなら、水を飲んだほうがいい」
『大樹様。男児には一気に飲ませず、少量ずつ与えることを推奨します。冷たすぎる飲料も避けてください』
大樹は日用品棚から紙コップを取り出し、常温で積んでいたミネラルウォーターの栓を2人の前で開けた。
紙コップへ少しだけ注ぎ、まず自分で口をつけてみせる。
「毒は入っていない。少しずつ飲んでくれ」
少女は紙コップを受け取ったものの、すぐには飲まなかった。
弟が水を見つめていることに気づくと、自分の分を渡そうとする。
「2人分あるから、君も飲めばいい」
大樹はもう1つの紙コップへ水を注いだ。
男の子は姉の顔を見てから、恐る恐る水へ口をつけた。ひと口飲むと目を見開き、そのまま続けて飲もうとしたため、少女が慌ててコップを傾ける。
「ゆっくりだ。まだあるから大丈夫」
「まだ……あるの?」
「水なら何本も積んでる」
少女は信じられないものを見るように、大樹の足元に置かれたペットボトルを見つめた。
辺境では、透明な容器そのものが珍しいのかもしれない。
「食べ物もあるけど、いきなり腹いっぱい食べるのはやめたほうがいいらしい。まずは、これくらいからにしよう」
大樹はバナナを1本取り出し、半分に分けた。
皮をむくところを見せてから渡すと、男の子は甘い匂いに鼻を動かした。小さくかじった直後、驚いたように姉を見る。
「リナ姉ちゃん、甘い」
「そう……よかったね、ルク」
少女は自分の分を食べず、弟へ渡そうとした。
「君も食べろ。まだあるって言っただろ」
大樹がそう言うと、リナと呼ばれた少女は、ようやくバナナへ口をつけた。
噛むたびに、警戒で強張っていた表情が少しずつ緩んでいく。
「俺は山田大樹。大樹でいい。君がリナで、弟がルクか?」
「うん」
「集落には、ほかにも腹を空かせている人がいるのか」
リナは答えるのをためらった。
人間に集落の場所や内情を教えることが危険だと、幼いながらに理解しているのだろう。
大樹は返事を急かさず、前を向いて運転を続けた。
「ところで、俺たちの言葉が通じているのもスキルなのか」
大樹が頭の中で問いかけると、ナビゲーションAIがすぐに答えた。
『召喚時に最低限の言語理解が付与されています。ただし、読み書きへの対応は不完全です。現在は私が会話を補助し、大樹様と相手の言語を相互変換しております』
「王城でも通じていたのは、そのせいか」
『はい。なお、方言や古語、専門用語については誤差が生じる可能性があります』
便利ではあるが、万能ではない。
現地の言葉を覚える必要も、いずれ出てくるだろう。
しばらくして、リナが小さな声で尋ねる。
「その箱の中に、食べ物があるの?」
「箱じゃなくて車だ。この後ろに、野菜や肉、魚、パン、弁当なんかを積んでる。水もあるし、石鹸や洗剤もある」
「弁当?」
「すぐ食べられる料理だよ」
異世界に弁当という言葉が通じないらしい。
説明しながら、大樹は自分の仕事がそのまま通用するわけではないことに気づいた。食材の名前、保存方法、値段の基準、食文化や宗教上の禁忌も分からない。
ゴッドアイとナビゲーションAIがあっても、実際に人と関わる部分まで自動で解決してくれるわけではなさそうだ。
「村には、食べ物がほとんどない」
リナがぽつりと呟いた。
「少し前までは、森で木の実を取ったり、狩りをしたりできた。でも、強い魔物が増えて、森の奥へ行けなくなったの。畑も雨が降らなくて、ほとんど枯れた」
「水は?」
「井戸がある。でも、飲んだ人が何人もお腹を壊して、熱が出た」
大樹はナビゲーションAIへ意識を向ける。
『集落周辺の水源について、遠隔での詳細分析はできません。到着後、ゴッドアイによる確認が必要です』
「ほかの町から食料を買うことはできないのか」
「前は商人が来てた。でも、砦の兵士が道を塞いでから、誰も来なくなった」
「兵士が?」
「獣人の村へ売る物はないって言われた。村から出る人は通行税を払えって。払えない人は、荷物を全部取られる」
単なる不作だけではない。
食料を得る道まで、人間の兵士によって閉ざされているらしい。
大樹は王城で自分を追放した連中の顔を思い出した。鑑定できないというだけで、人を辺境へ放り出す国だ。獣人への扱いも似たようなものなのだろう。
「村には何人いる?」
「分からない。前はもっといたけど、若い人は仕事を探しに出ていった。今は子どもと、お年寄りが多い」
ナビゲーションAIの推定では63人。
そのうち11人が、数日以内に命を落とす危険がある。
販売車の水や食料は無限ではないが、明日の朝5時になれば基本積載量まで補充される。今日の分をすべて配ったところで、大樹自身の生活が立ち行かなくなるわけではない。
問題は、何をどれだけ渡せばよいかだった。
空腹の63人へ好きなだけ商品を配れば、1日分の積載量などすぐになくなる。食べ慣れない物を大量に口にすれば、体調を崩す者も出るかもしれない。
「村へ着いたら、まず具合の悪い人を見せてもらう。食べ物も水も渡すけど、順番は守ってもらわないと困る」
「本当に、みんなにもくれるの?」
「助けられるだけの物は積んでる。ただし、俺は医者じゃない。できることには限界がある」
リナは何度も瞬きをしたあと、深く頭を下げた。
「お願いします。お母さんを助けてください」
「お母さんも具合が悪いのか」
「3日前から、起きられないの」
リナとルクが危険を冒して村の外へ出たのは、食料か薬草を探すためだったのだろう。
大樹はアクセルを踏む足へ力を込めた。
◇
集落は、岩山の裾に寄り添うように作られていた。
木と土を組み合わせた小さな家が20軒ほど並び、その周囲を粗末な柵が囲んでいる。畑はひび割れ、枯れた作物が風に揺れていた。
販売車が近づくと、見張り台から警鐘が鳴った。
「人間だ!」
「子どもたちが乗せられている!」
槍や弓を手にした獣人たちが、村の入り口へ集まってくる。
誰もが痩せており、武器を持つ腕にも力がない。弓を構えている男は立っているだけで息を切らし、槍を持つ老人は足元をふらつかせていた。
「止めたほうがよさそうだな」
『敵意はありますが、積極的な攻撃意思は弱いと判断します。リナ様とルク様の安全を確認させることが、最も有効です』
大樹は村の入り口から少し離れた場所へ販売車を止めた。
先に降りようとすると、リナが腕をつかむ。
「私が先に話す」
「分かった。でも、走るなよ。今のお前は休んだほうがいい」
リナはうなずき、弟の手を引いて車から降りた。
「じいちゃん! 待って! この人は助けてくれたの!」
村人たちからどよめきが起きる。
槍を持った白髪の狼獣人が前へ出て、リナとルクの体を確かめた。怪我がないと分かると安堵したものの、大樹へ向ける目から警戒は消えない。
「人間よ。何が目的だ」
「山田大樹です。近くで2人が魔獣に追われているのを見つけたので、連れてきました」
「それだけではあるまい」
「食料と水を積んでいます。この村に病人と飢えている人がいると聞きました」
獣人たちが一斉に販売車を見る。
食料という言葉に反応したのは明らかだったが、誰も近づこうとはしなかった。
「対価に、何を求める」
白髪の獣人の問いに、大樹は少し考えた。
何もいらないと言い切るのは簡単だが、無償で配り続ければ、いずれ大樹と販売車がなければ生きられない村になってしまう。
今後もここで暮らすなら、助ける側と助けられる側ではなく、互いに続けられる関係を作ったほうがいい。
「今日は緊急事態なので、代金は取りません。今後については、村が落ち着いてから相談させてください。金がなくても、畑仕事や道の整備、車を止める場所を貸してもらうような方法があると思います」
「奴隷にするつもりではないと?」
「そんなつもりなら、わざわざ食料を持って話し合いには来ませんよ」
白髪の獣人は、大樹の目をしばらく見つめていた。
ゴッドアイを使うと、《ガルド》《狼獣人》《村長》《重度の栄養不足》《腰部損傷》と表示される。
「村長さん。俺を信用できないのは分かります。でも、病人を見せてもらえませんか。食べ物を配る前に、誰がどれくらい弱っているのか確認したいんです」
「お前は治癒術師か」
「違います。ただ、人の状態を見分ける力はあります」
大樹が答えると、リナが村長の服をつかんだ。
「じいちゃん、お母さんを助けて。この人、水も甘い食べ物も持ってる。ルクも少し元気になった」
ガルドは孫たちの顔を見た。
迷いながらも槍を下ろし、村人たちへ武器を収めるよう命じる。
「リナの母を見てもらう。だが、妙な真似をすれば、我らは命を懸けて抵抗する」
「それで構いません」
大樹は販売車から、水と食料を運ぶための買い物籠を取り出した。
家へ向かう前に、村の中央にある井戸が目に入る。井戸の周囲には複数の桶が置かれていたが、水をくむ者はいなかった。
大樹が井戸へ視線を向けると、ゴッドアイの表示が浮かび上がる。
《井戸水》
《飲用不可》
《腐敗性微生物を多数検出》
《弱毒性物質を検出》
《魔力を含む粉末の混入痕跡あり》
大樹は足を止めた。
雨不足や、動物の死骸が原因で水が腐っただけではない。
井戸へ、何者かが意図的に何かを入れている。
『自然発生による汚染である可能性は、低いと判断します』
「村長さん。この井戸がおかしくなる前に、外から誰か来ませんでしたか」
ガルドの耳がぴくりと動いた。
「なぜ、それを知っている」
「水が自然に腐ったんじゃない。毒に近いものが混ぜられています」
集まっていた獣人たちの間に、重い沈黙が落ちた。
やがてガルドは、村の入り口ではなく、西にある岩山へ目を向ける。
「井戸がおかしくなる前の日、砦の兵士が村へ来た。税の取り立てだと言って、家や倉を勝手に調べていった。そのうち何人かは、井戸の周りにもいた」
「誰かが、井戸へ何か入れるところを見たんですか」
「見た者はいない。兵士が来た翌朝から、水に妙な臭いがするようになったのだ」
疑うだけの理由はあるが、まだ証拠はない。
食料を届けるだけで終わる問題ではなさそうだった。
大樹は買い物籠を握り直し、村に並ぶ痩せた獣人たちを見る。
辺境で静かに暮らしたいという願いは、異世界へ来てまだ1日も経たないうちに、早くも遠ざかり始めていた。




