第1話 文字化けした男
山田大樹、30歳。
独身で彼女なし。地方の生活協同組合に勤め、食料品から日用品まで積み込んだ移動販売車で、山間部の集落を回っている。
派手さとは無縁の仕事だったが、大樹はそれなりに気に入っていた。
車が来る時刻に合わせて杖をつきながら家を出てくる老婆や、毎週同じ菓子を買っていく子供たちの顔を見ると、単に品物を売っているだけではないと思えるからだ。
「山田さん、卵を1パック取っといてな」
「牛乳もお願いね。低脂肪じゃないほう」
「今週、サバ入る?」
そんな声を思い出しながら、大樹は朝の県道を走っていた。
荷台には野菜や果物、精肉、鮮魚、豆腐、牛乳、卵、パン、調味料、菓子、弁当、惣菜、冷凍食品が載っている。後方の棚にはトイレットペーパーや洗剤、乾電池などの日用品も積んであった。
今日の最初の訪問先は、山を越えた先にある小さな集落だ。
信号が赤に変わり、大樹は交差点の手前で販売車を止めた。横断歩道の前には制服姿の高校生が3人立っており、男子が2人、女子が1人。朝から楽しそうに話している姿が、フロントガラス越しに見えていた。
そのとき、道路に白い線が走った。
「なんだ、あれ」
最初は誰かが強い光を反射させたのだと思った。しかし、白い線は複雑な模様を描きながら交差点全体へ広がり、販売車の下にまで入り込んでくる。
横断歩道にいた高校生たちも異変に気づいたらしく、驚いた顔で足元を見ていた。
大樹がサイドブレーキを引いた瞬間、視界が真っ白に染まった。
◇
次に目を開けたとき、大樹は石造りの広間に座り込んでいた。
頭上には巨大なシャンデリアがあり、周囲には豪華な甲冑を身につけた騎士たちが並んでいる。正面の一段高くなった場所には、金色の冠をかぶった初老の男と、華美な衣装をまとった男女が座っていた。
「ここ、どこだよ……」
近くから震えた声が聞こえた。
交差点にいた高校生3人も一緒だった。男子の1人が腰を抜かし、女子生徒は青ざめながら友人の腕をつかんでいる。
大樹は立ち上がろうとしたが、着ているはずの作業服も、手にしていたはずのハンドルもなくなっていた。移動販売車の姿もない。
「成功でございます、陛下」
白い法衣を着た老人が、歓喜をにじませながら王冠の男に頭を下げた。
「異界より、勇者を召喚いたしました」
「異界って……まさか、異世界召喚か?」
高校生の1人が呟いた。眼鏡をかけた、いかにも物知りそうな少年だった。
大樹も異世界を題材にした漫画やアニメをまったく知らないわけではない。しかし、それを自分の身に起きたこととして受け入れられるほど、頭の切り替えは早くなかった。
「突然の召喚、誠に申し訳なく思う」
国王らしき男が、重々しい声で告げた。
「我が国は現在、魔王軍の侵攻にさらされている。古き神託に従い、異界から強き力を持つ者を招いた。どうか、その力で我らを救ってほしい」
頭を下げてはいるものの、断られる可能性など考えていない口調だった。
大樹は高校生たちの前に出る。
「事情は分かりました。でも、こっちにも生活があります。元の世界へ戻す方法はあるんですか」
広間の空気がわずかに冷えた。
国王の隣に立つ細身の男が、不快そうに眉を寄せる。
「勇者として魔王を討ち果たした暁には、帰還の儀式を行うことができると伝わっている」
「つまり、魔王を倒さないと帰れないんですね」
「そのための力は、すでに神々から授けられているはずだ」
白い法衣の老人が前へ進み、従者から透明な水晶を受け取った。
勇者として本当に戦える力を持っているのか、これから1人ずつ鑑定するらしい。
最初に水晶へ手を置いた男子生徒には、《聖剣適性》《剣聖》《身体強化》という能力が現れた。
次の眼鏡の男子生徒は、《大賢者》《全属性魔法》《高速演算》。
女子生徒には、《聖女》《神聖魔法》《完全治癒》が与えられていた。
能力が読み上げられるたび、国王や貴族たちから歓声が上がった。怯えていた高校生たちも、自分に特別な力があると分かると、わずかながら表情を明るくしている。
「では、最後の方。水晶へ手を置いてください」
大樹は老人に促され、透明な水晶へ右手を載せた。
一瞬だけ、水晶の内部に虹色の光が渦巻いた。
その輝きは先ほどの3人よりもはるかに強く、広間全体を照らすほどだったが、直後に表示された文字を見て、老人は目を見開いた。
「こ、これは……」
水晶には、読めない記号が並んでいた。
《スキル:譁�ュ怜喧縺代※隱ュ縺ソ霎シ縺ソ荳榊庄》
《スキル:螟ゥ逕溘�逕シ》
《スキル:螟ゥ荳翫�譁�ュ励�譁�ュ励�》
《スキル:荳謦撃蠢�蛯》
明らかに何かが表示されている。しかし、この世界の文字にも、日本語にも見えなかった。
「大司教、どういうことだ」
「分かりませぬ。鑑定水晶が故障したのでしょうか」
老人は水晶を叩き、別の鑑定士まで呼び寄せた。何度調べても結果は変わらず、読めない文字列だけが浮かび上がる。
「魔力反応はあるのか」
「ほとんど感知できません。少なくとも、既知の戦闘系スキルではないかと」
細身の男が、ため息をついた。
「召喚に異物が混入したのでしょう。勇者は3人。そこの男は、召喚陣の範囲内に偶然入り込んだだけではありませんか」
「待ってください。読めないだけで、スキル自体は表示されているでしょう」
大樹が反論しても、鑑定士たちは困ったように顔を見合わせるばかりだった。
「文字として成立していない以上、スキルとは呼べません」
「それはそっちが読めないだけじゃないですか」
「鑑定水晶は神代より伝わる聖具です。その表示に誤りなどあり得ません」
誤りがないなら、目の前に出ている文字を読んでみろ。
そう言い返したかったが、大樹は言葉をのみ込んだ。この場で騒いだところで、取り囲んでいる騎士たちに押さえつけられるだけだ。
国王たちはすぐに大樹への興味を失った。
勇者3人には豪華な部屋と教師が用意され、戦闘訓練や魔法教育を受けさせることが決まった。一方、役に立つスキルを持たないと判断された大樹には、城内へ留まる許可すら与えられなかった。
「召喚の影響を受けた異界人を、王都で自由にさせるわけにはいかぬ」
宰相を名乗る細身の男が、淡々と告げる。
「西方辺境へ送る。人の住む開拓村もあるゆえ、そこで生きる道を探すがよい」
「帰還方法を探す権利くらいはあるでしょう」
「魔王を討伐できる者でなければ、帰還の儀式を受ける資格はない」
あまりに一方的な話だった。
高校生たちは何か言いたそうにしていたが、見知らぬ世界へ放り込まれたばかりの彼らに、王国へ逆らえというのも酷だろう。
「すみません、山田さん」
女子生徒が小さな声で謝った。
「あなたたちが謝ることじゃない。それより、言われたことを全部信じるなよ。帰れるって話も、本当かどうか確認したほうがいい」
大樹がそう言い残すと、女子生徒は唇を結び、真剣な顔でうなずいた。
騎士たちに囲まれた大樹は、城の地下にある転移部屋へ連れていかれた。渡されたものは、古い外套と水の入った革袋、小さな銀貨が5枚だけだった。
「転移先は、開拓村の近くなんでしょうね」
「西方辺境であることは間違いない」
魔術師の答えに、妙な引っかかりを覚えた。
「村の近くかと聞いたんです」
「転移座標には、多少の誤差がある」
床の魔法陣が光り始める。
大樹がさらに問い詰めるよりも早く、転移魔法が発動した。
◇
大樹は乾いた地面へ投げ出された。
周囲に村はなく、あるのは赤茶けた荒野と、遠くに見える黒い森だけだった。道らしい道さえ見当たらない。
「多少の誤差って範囲じゃないだろ、これ」
革袋を確かめると、水は半分ほどしか入っていなかった。食料もなく、方角を知るための地図や磁石もない。
最初から、生きて王都へ戻すつもりなどなかったのだ。
腹立たしさはあったが、ここで怒鳴っても水分を消費するだけだ。大樹は外套を頭からかぶり、日差しを避けながら周囲を見渡した。
そのとき、背後で低い唸り声が聞こえた。
振り返ると、灰色の獣が3頭、岩陰から姿を現していた。見た目は狼に近いが、体長は大型犬をはるかに超え、額から黒い角が生えている。
逃げても追いつかれる。
大樹は地面に落ちていた石を拾い、少しでも武器になりそうなものを探した。
先頭の獣が地面を蹴った。
鋭い牙が、大樹の喉元へ迫る。
直後、大樹の体を透明な膜が包み込んだ。
獣は見えない壁に激突し、弾き飛ばされる。続けて飛びかかってきた2頭も、同じように空中で勢いを失い、地面へ転がった。
『敵意を伴う攻撃を確認。オートマチックパーフェクトディフェンスが正常に作動しました』
落ち着いた男性の声が、頭の中に響いた。
「誰だ?」
『私は、マスターの保有スキル《ナビゲーションAI》です。音声はマスターが業務で使用していた車載ナビゲーションを参考に、最も信頼を得やすい形式へ調整しております』
声は低く穏やかで、どこか古い屋敷の執事を思わせた。
「スキルが使えるのか?」
『当然でございます。召喚先の鑑定装置は規格が古く、上位言語で記述されたスキル名を正常に変換できなかったようです』
「あれは文字化けだったってことかよ」
『おおむね、その認識で問題ございません』
獣たちは起き上がったが、見えない壁を警戒して距離を取っている。
『マスター。右拳へ意識を集中し、目標を排除する意思をお持ちください。《ワン○ンマン》が発動いたします』
「名前の癖が強いな」
『正式名称は《必激の拳》ですが、マスターが直感的に理解できる名称へ翻訳されております。威力は調整可能ですので、ご安心ください』
どの程度調整すればいいのか分からない。
大樹は先頭の獣を殺さず、二度と襲う気をなくす程度を思い浮かべながら拳を握った。
獣が再び飛びかかってくる。
大樹は半歩踏み込み、鼻先へ拳を当てた。
ほとんど力を入れた感覚はなかった。しかし、巨大な獣の体は横向きに回転しながら数メートル吹き飛び、乾いた地面を滑って止まった。
残った2頭は動きを止め、先頭の獣がよろめきながら立ち上がると、一斉に森の方向へ逃げていった。
「微調整でこれか」
『相手の耐久力に対し、戦意を喪失させる最小値へ自動調整いたしました。骨折などの重傷はございません』
「便利すぎるだろ……」
大樹が呟くと、視界の端に淡い光が浮かんだ。意識を向けた途端、透明な板のようなものが目の前へ現れる。
『《ゴッドアイ》が起動しました。対象の名称、状態、能力、危険性などを確認できます』
遠ざかっていく獣へ目を向けると、《角狼》《空腹状態》《危険度D》という情報が表示された。
さらに自分自身を意識すると、文字化けしていた能力が、今度ははっきりと読めた。
《山田大樹 30歳》
《種族:異界人》
《スキル:コ○プ販売車》
《スキル:ゴッドアイ》
《スキル:ナビゲーションAI》
《スキル:オートマチックパーフェクトディフェンス》
《スキル:ワンパンマン》
「販売車って、まさか……」
『呼び出しを念じてください。ただし、出現には車両を置けるだけの平坦な場所が必要です』
大樹は目の前の荒野を確認し、仕事で毎日乗っていた移動販売車を思い浮かべた。
空間がゆがみ、白と緑の車体が音もなく現れた。
外見は、元の世界で使っていた販売車そのものだった。運転席へ回ると鍵が差さっており、エンジンも問題なく始動する。
後部の販売スペースを開けた大樹は、思わず息をのんだ。
キャベツ、ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、リンゴ、バナナ。パック詰めされた肉や魚、刺身、豆腐、牛乳、卵、パン、弁当、惣菜、冷凍食品。調味料や菓子、飲料水だけでなく、洗剤、石鹸、タオル、トイレットペーパーまで、出発前に積み込んでいた商品がすべて揃っている。
冷蔵庫も冷凍庫も正常に動いていた。
「これ、売ったら終わりじゃないのか」
『使用または販売された物資は、翌日の午前5時に自動補充されます。車両の燃料と業務用電力も補充対象です。ただし、1日に補充される量は、現在の基本積載量が上限となります』
「毎日、この量が補充される……?」
野菜も、肉も、魚も、牛乳も、卵も、生活用品も。
大樹1人が生きていくだけなら、余るどころの話ではない。
『最寄りの人里を検索いたしますか』
「頼む。食料があっても、ここで1人はさすがにきつい」
『周辺地形を走査します』
しばらくして、車載ナビの画面に簡素な地図が表示された。道路のない異世界であるにもかかわらず、地形や高低差まで正確に描かれている。
『北東へ約12キロメートル進んだ場所に、小規模な集落があります。ただし、集落内の生命反応は著しく衰弱しております』
「衰弱?」
『栄養失調、脱水、複数の感染症が確認されます。集落人口は推定63名。うち11名が、数日以内に死亡する可能性があります』
大樹は荷台を振り返った。
水もある。食料もある。石鹸やタオルも積んでいる。
自分が生きていくだけなら、わざわざ危険な土地へ近づく必要はない。絶対防御があるとはいえ、集落の住人が友好的とも限らなかった。
辺境で静かに暮らす。
面倒事には関わらず、王国とも魔王とも距離を置く。
そう決めたはずだった。
「……11人か」
それでも、明日には補充される商品を抱えたまま、助けられる人間を見捨てるという選択は、大樹にはできなかった。
「集落まで案内してくれ。車で通れない場所があったら、早めに教えてくれよ」
『承知いたしました、マスター』
「それと、マスターはやめてくれ。山田でも、大樹でもいい」
『では、大樹様とお呼びいたします』
「様もいらないんだけどな」
『呼称につきましては、今後の信頼関係を踏まえて調整いたします』
妙に頑固な執事のような返答に、大樹は苦笑しながら運転席へ乗り込んだ。
エンジン音が、誰もいない荒野へ響き渡る。
勇者として戦うつもりはない。国を救えと言われても知ったことではないし、魔王を倒す力があるのかも分からない。
ただ、腹を空かせている人間がいるなら、食べ物を届ける。
生活に困っている人がいれば、必要な品物を積んで走る。
それは異世界へ来ても、大樹がこれまで続けてきた仕事と同じだった。
『進行方向、右前方に生命反応を確認しました』
「集落の人か?」
『人族ではありません。獣人族の幼体が2名。大型魔獣に追跡されています』
大樹はアクセルを踏み込んだ。
「最短で行くぞ。道を出してくれ」
『承知いたしました。なお、静かなスローライフをご希望であれば、見過ごすという選択肢もございます』
「それができたら、こんな仕事を10年も続けてない」
ナビ画面に赤い進路が表示される。
大樹の移動販売車は土煙を上げながら、助けを求める小さな命のもとへ走り出した。




