第46話 第七章・5 鑑定士、魔人と攻防を繰り広げる
さらなる強化を遂げたエルマンがリュークに迫る。
だがリュークはその攻撃を躱しつつ、巧妙にエルマンを「ある場所」へ誘い込んでいく――。
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エルマンに生け贄として取り込まれたフォリスの群れは、冒険者が犠牲になった時とは違って、やつのレベルを上げたわけではなかった。
そもそもフォリスのようなワンダーに、「レベル」という概念はない。やつらに備わっているのは、邪神の眷属たる暗黒の力そのものだ。その暗黒を身に受け、エルマンは今、新たな変貌を遂げようとしていた。
やつの背中を割って伸びた一対の翼は、巨人の体躯に反比例して、ずいぶんと小さい。だがそれは、「翼に見合ったサイズの本体」が、巨人の殻を破って現れようとしているからに過ぎない。
――そう、こいつは、羽化だ。
巨人が動きを止める。触手に覆われた不気味な肉体が艶を失い、表面にいくつもの亀裂が走る。
そして、背中の翼が翻った刹那――。
巨人が、爆ぜた。
無数の残骸となって弾け、黒い噴煙を上げながら、ガラガラと崩れ去る。まるで倒壊する建て物のように。だが――この時点で、本体はすでに殻を抜け出し、空高く舞い上がっていた。
「あれは――!」
オルタが見上げ、叫んだ。その声に俺もまた、軽く上空を振り仰ぐ。
漆黒に染まった空が見えた。
その黒き虚空の中に、エルマンが佇んでいた。
巨人の肉体を捨て、再び人に近いサイズにまで縮んだエルマンは、しかし異形であることには変わりなかった。
頭から爪先まで全身を覆う、鎧にも似た硬質の皮膚。複数の体節に分かれて見えるそれは、昆虫のようにも、あるいは甲殻をまとった竜のようにも見える。
背には細い翼が生え、尻からは悪魔の如き長い尾が伸びる。
唯一顔だけが、やつが人間だった頃の原形を留めている。もっとも、オールバックだった頭髪は無数の角に取って代わり、その目は赤の輝きを帯びたまま、戻ることはない。
――魔人。そんな形容が、とてもしっくり来る。
「まったく、ずいぶんと悪趣味な姿になっちまったな」
俺は顔をしかめ、正面に向き直った。
第十一階層へのゲートはもう間近だ。しかし――この追いかけっこ。ここからは、少しばかり面倒になりそうだ。
「飛び込むぞ!」
後ろのオルタとロミィに大声で合図し、俺はタイラントを一気に加速させた。
風を切る。だが同時に上空からもう一つ、空気を裂いて音が迫るのを、俺の耳が鋭敏に捉える。
しかし予測済みだ。俺はタイラントを急旋回させ、真上から突っ込んできたエルマンの攻撃を、ギリギリで躱した。
「――チッ、下らん小細工を!」
すれ違い様にエルマンが毒づく。確かに、飛び込むと言いつつ曲がってみせたのは、かなり露骨な小細工だったかもな。
「エルマン、普通に喋れるようになりましたね」
「え、そこ感心するとこなの?」
そんなオルタとロミィの会話を聞き流しつつ――。
地上で体勢を立て直そうとしているエルマンを尻目に、俺は今度こそ、第十一階層へと続くゲートに飛び込んでいった。
着いた先は、覚えのある石造りの通路だった。
フロア全体が「廃都」という巨大なロストサークルで構成されていた第十二階層と違い、この第十一階層は、オーソドックスなダンジョンの構造を採っている。さすがにドラゴンに乗って飛び回るほどのスペースはない。
「――封!」
俺は素早くタイラントを籠手の形に戻し、左腕に再装着した。もっとも、その本質を完全に閉じ切ったわけじゃない。やや開放したまま、表面にはドラゴンの甲殻を留めておく。
手には、エルマンからもぎ取った《英雄の紋章》が握られている。これはやつを誘導する餌だ。落とさないように、しっかり持っていないとな。
「オルタ、こいつは返す。ロミィと二人で先に行け」
そう言って俺は、賢者の鍵をオルタに投げ渡した。
「リュークはどうするのです?」
両腕で鍵を受け止めながら、オルタが訊ね返す。俺は「後から追う」とだけ答え、向かうべき場所の名を、二人に告げた。
その名を聞いて、オルタが目を丸くする。ロミィは心得ているようで、にんまりと笑みを浮かべる。
「ロミィ、オルタのサポートを頼む」
「オッケー、任せて! 行こう、オルタ!」
「はいっ!」
二人が走り出す。だが、その背中を見送る猶予はない。
今通ったゲートに俺が向き直るのと、そこから黒い影が躍り出るのと、同時だった。
「くくっ、追いついたぞ、鑑定士ぃっ!」
エルマンが叫び、その右手に生えた鋭い鉤爪を、頭上から俺に振り下ろしてきた。
もちろんタイラントで受け止める。だが――さすがに体が衝撃で揺らぐ。やつのパワーは、これまでとは桁違いだ。
それでも俺は余裕の体で、ニヤリと笑ってみせた。
「追いついた? 違うな。待っててやったのさ」
「ふん、ほざけ!」
次いでエルマンのもう片方の腕が、俺を襲った。
さすがに左腕のタイラントのみで、やつの両手をガードすることはできない。俺はとっさに床を蹴って足を浮かせると、そのまま第二の蹴りをやつの胴に放った。
――硬い。まるで壁を蹴るような硬さだ。だが、ダメージを与えるのが目的じゃない。
反動で、俺の体がエルマンから離れる。エルマンが繰り出した第二の攻撃は空を切り、俺は無傷のまま、やつから距離を取って体勢を立て直した。
「ふん、小賢しい立ち回りだな。貴様がどんなに大口を叩いたところで、所詮レベル1の鑑定士に過ぎん! 今の私に敵うと思うな!」
そう叫ぶや、エルマンの右手首がメキメキと音を立てて変形する。五本の指が捻じ曲がって一つにまとまり、己の背丈ほどにまで伸びる。
その形状は――なるほど、槍を模したか。
もともと武器の腕を磨いてこなかったエルマンだが、今ならば、特定の職業の力を取り込んだことで、まともに扱える武器種がいくつかある。その一つが槍だ。だからやつは、その異形の肉体を変形させ、槍を再現した。
「ホーリー・ランス!」
エルマンが叫んだ。聖なる力を槍にまとい突撃する、聖騎士の専用スキルだ。
禍々しい漆黒の槍に、白い光が迸る。まったく、何の冗談だと言いたくなるような光景だが、この攻撃をまともに食らうわけには行かない。
俺は床に転がり、突進してきたエルマンの一撃をあっさりと躱した。エルマンが舌打ちする。だが――こいつは純粋に、やつの失態だ。
もともと突撃系のスキルは、命中率に難があるもの。聖騎士の真似がしたけりゃ、専用スキルのデメリットぐらいは、しっかり把握しておくべきだったな。
俺はほくそ笑みながら、そのまま立ち上がり、やつの背後を取った。しかし、ここから反撃には繋げない。繋げたところで、ダメージを与えられるはずがないからだ。
だから――ここでやるべきことは一つ。
「来い、罠よ!」
右手を掲げ叫ぶ。同時に手袋の中から飛び出した宝箱が一つ、エルマンの足を打ち、パカッとその口を開いた。
中から光が溢れ出る。その光が何なのかは、やつもすでに知っているはずだ。
「ふん、石化トラップだと?」
そう、俺がグロウとの戦いで見せた、あのトラップだ。……しかしエルマンの体は、石化の光を浴びたにもかかわらず、一向に石に変わる様子がない。
「……なるほど。僧侶の自動発動スキル・《状態異常無効》か」
「ふん、馬鹿め! 目論見が外れたようだな!」
エルマンがせせら笑う。だが――やつが自分の足元を見下ろした途端、その表情が凍りつくのを、俺は見逃さなかった。
やれやれ、ようやく気づいたようだな。俺が宝箱と一緒に、密かにやつの足元に投げたものに。
「え、《英雄の紋章》……!」
エルマンが絶句する。そこには、さっき俺がやつから奪い取った《英雄の紋章》が転がっていた。
もちろん――見事に、ただの石ころになって。
「あーあ、ご愁傷様ってやつだな」
俺はそう言うなり、素早くその場から逃げ出した。背後でエルマンが、獣じみた雄叫びを上げるのが聞こえた。
――よし、煽るのはこれぐらいで充分だろう。
あとはオルタ達の待つ場所まで走るのみだ。俺は床を蹴り、全力で通路を突き進む。
「マジックボルト!」
後ろでエルマンの声が響く。攻撃魔法か。
「開!」
急いでタイラントの翼だけを展開し、背面を守る盾とする。直後、いくつもの魔法の矢が翼を撃ち、さらに物理的な衝撃が、その飛膜を突いた。
槍だ。やつがすぐ背後まで追いつき、直接攻撃を繰り出してきたようだ。なるほど、向こうは背中の翼が小さい分、通路でも素早く飛び回れるってわけか。
だったら――やむを得ない。
「封!」
翼をしまい、同時に振り向きざま、俺は勢いよく左腕を振り下ろした。
バシッと手応えが走り、エルマンの呻きが漏れる。タイラントをまとった一撃が、やつの顔面を弾いた瞬間だった。
とは言え、所詮怯ませただけだ。しかしこの隙を逃さず、俺は次の一手を繰り出す。
それは――もちろん、ブレスだ。
左手から溢れた灼熱の炎が、エルマンの視界を遮る。ダメージは与えられずとも、これで簡単な時間稼ぎにはなるはずだ。
やつが炎を振り払っている間に、俺は再び走り出した。
「待て、貴様!」
エルマンの怒号が飛ぶ。そして再び、空を切る音。
やつが、まっすぐに突っ込んでくる――。
その攻撃を察知し、俺は素早く横道へと転がり込む。エルマンが勢い余って通り過ぎていくのを尻目に、立ち上がり、そのまま横道を走り進む。
――目的地は近い。そう、すでにゴールとなる扉は見えている。
俺はその扉に向かって、ラストスパートに入った。
「逃がさん!」
エルマンの声がした。
やはり、すぐ背後だ。
そして、俺が体ごと振り返った刹那――全身を、強い衝撃が襲った。
……決してダメージを負ったわけではなかった。しかし、レベル5600の魔人の突撃は、さすがにタイラントだけで受け切るには激しすぎた。
俺は、吹き飛んだ。
宙を舞い、そして為す術なく、壁に激突を――。
「――しないっての」
宙で身を捻りながら、俺はニヤリと笑った。
あいにく、こちらもひととおりの体術は心得ている。とっさに左手を伸ばし、激突しかけていた壁をつかむ。ドラゴンの鋭い鉤爪は、石のブロックに噛ませるにはちょうどいい。
俺は腕の筋肉にものを言わせて衝撃を和らげると、そこから壁を伝うように、横っ飛びにジャンプした。
扉へ向かって。そして、ぶつかった勢いでその扉を押し開き、中へ飛び込む。
弾みで床に投げ出される。体を丸めて受け身を取り、すぐさま立ち上がったところで、中で待っていたオルタとロミィが駆け寄ってきた。
「リューク!」
「大丈夫だ。来るぞ」
俺がそう告げた刹那。エルマンが扉を潜り、中に入ってきた。
そう、ついに、この部屋に。
――誘導成功。
俺は息を整え、改めて、やつに向き直った。
「こ、この部屋は……?」
エルマンが思わず目を見開き、叫んだ。
つい今までの怒りさえ忘れ、歓喜にも似た感情が、やつの心を染め上げる。……それはおそらく、ほぼすべての冒険者が抱く「本能」から来たものだろう。
俺は――エルマンにそんな感情を起こさせたこの場所を、今一度見やった。
城の謁見の間ぐらいはある、石造りの大部屋。しかし、大事なのは広さじゃない。ここが遺跡の中でも別格の場所だってことは、この部屋に無数に転がる「あるもの」を見れば、誰にでも分かるはずだ。
そう、この部屋こそ、俺の鑑定魔術が最大限の力を発揮する場所。
俺にとって、最も有利な戦場――。
「ようこそ、宝物庫へ」
四方を埋め尽くす宝箱の山に――無尽蔵のレリックに囲まれ、俺はニィッと口元を吊り上げてみせた。
エルマンを宝物庫に誘い込んだリューク。
鑑定士の反撃が、ついに始まる!
お読みいただきありがとうございました。
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