オアシス 前編②
それは、ジャックとミーナが出会ったドラゴンなどより、遥かな大きさを誇る――ミミズの魔物だった。
「サンドワームって······」
次にそう口にしたミーナが、文献を読んだ過去の記憶を探り、その魔物のことを思い出していく。しかし、その間にもジャックは『あの魔物には自分等では太刀打ち出来ない』と悟り、
「今のうちに逃げるぞ!」
何か思い出そうとするミーナの腕を持って、立たせようとする。
「ま、待って······!」
だが、その時だった。
「動くなっ!!」
スライが今までとは全く違う様子で、ひどく叱り付けるように叫んだ。その軽い調子とは掛け離れた、怒るとも言えるほどの声に思わずビクリとするジャックとミーナ。ジャックの持つ――ミーナの逆の腕にくっついて立ちかけていたフィリカも、自然とその声に身を縮め、寄り添うように腕にしがみついていた。
「あぁ、わるい······」
座ったままのスライは、怯えさせてしまったのに気付き、場をピリつかせてしまったのと、自分が珍しく取り乱したことも踏まえて、やや目を伏せて謝った。そして、そう叫んだ理由を、攻撃性のない、控えめな小声で言った。
「奴は地中で、砂に広がる振動を頼りに獲物を探すんだ。だから獲物と思われないためにも、今は動かないほうがいい」
彼が見つめる魔物は不気味なアーチを描きながら、地中へと潜り始めていた。
ジャック達三人は再び、振動を出来るだけ起こさぬよう、そっとソリの上へ腰を下ろしていた。その状態でミーナは思案に耽り、スライは頭を抱えている。
「滅多に出るもんじゃねぇんだけどな······、なんでこんな時に遭遇するんだ······? バジリスクといい······。今日は厄日か······?」
端から見ても、彼が相当参っているのが伝わった。そんな彼を一瞥するミーナは、隣のジャックに聞こえる程度で、
「でも、ここに居続ける訳にもいかないわ······」
「何処かへ去った可能性は?」
「考えにくいわ。サンドワームが潜ってから地鳴りはないもの」
あれから砂は一度も揺れていなかった。つまりそれは、魔物がまだあの辺りに居ることを示している。ミーナは念のため「フィリカ、ここからサーチで捉えることは?」と尋ねたが、彼女は首を横へ振った。
「姿を出さないんじゃ、私の魔法も通用しないだろうし······」
「あんな大きさじゃ、剣でも敵うもんじゃないよな······」
移動も出来ず、討伐することも出来ない。
見えぬ暗雲が二人にも立ち込める。
すると、
「で、でも! 一歩間違えれば、私達喰われてましたし。今回は、不幸中の幸いと思いましょう?」
控えめながらも、周りを元気付けるように声を掛けるフィリカ。彼女は、自分の小銃も敵わないと悟り、具体的な案があるわけではないが、とりあえず自分の出来ることをする。その彼女の姿に、少しだけ“前向きにならなくては“と感じる三人。最年少の彼女が一番前向きで考えてるのに何を。と、誰もが思っていた。
そして、
「そうだな。悪いことばっか考えて、沈んでてもしょうがねぇ」
そう言ったジャックがさらに提案。
「とりあえず、ただ待ってても時間の無駄だろうし、あの魔物の情報共有はどうだ? 俺は振動で獲物探すなんて知らなかったし、もしかしたら、ミーナもスライもお互い知らないことがあるかもしれないだろ?」
四人は、炎天下の中フードを被り、傍にコップを置いて向かい合っていた。
「スライ。私はあなたの言葉でサンドワームが『獲物を振動で探す』ってのを思い出したけど、あなた、この魔物は見たことあるの?」
元気を取り戻しつつあるスライは、
「いや、見たことはない。ただ、昔から『サンドワームが出た時は動いちゃいけない』って教えられてきたんだ。それと噂も聞いてて『青緑の身体に、茶色の斑点がある』って」
「なるほどね。それ以外に知ってることは?」
「いいや、何も。『サンドワームを見た時は神に祈れ』っていうくらい。奴はそう移動することがないから、何日もそこに居続けるか、運良く追ってこないのを祈って移動するかって意味なんだ」
「なるほど······。けど、それに賭けて移動するには、少しリスクが高いわよね。――そう、分かったわ。ありがとう」
次に、ジャックが気になっていた質問を。
「そういえば、なんであそこにアイツは現れたんだ?」
遠くにあったはずのサボテンの位置を目で示すジャック。
「それは、さっきのバジリスクが戻ってきたからだと思うわ。サンドワームが現れる前、一瞬だけど黒い影を見たから」
「なるほど。俺等はそのバジリスクに救われたってわけか······」
納得したジャックは、目をソリの上に落とす。
「でも、そうするとあの魔物はバジリスクを食べたってことになるんですよね? どうして石化しないんでしょう?」
「サンドワームには抗体があるのよ。さっき見たように、砂ごと丸呑みするからその過程で色んな抗体も出来たと言われてるわ」
「それじゃあ、やはり麻痺も駄目ですね······」
そうして、再び考え込む四人。――と、ここで「なぁ、ミーナ」とジャックが彼女の魔法について尋ねる。
「姿さえ現せば、あの大きさは炎で包めるのか?」
「ギリギリ出来ると思うわ。ただ、その魔力を維持して燃やし続けるとなると、最後まで持つかどうか分からないわ」
「じゃあ、変に無駄撃ちは避けたいとこだな」
「そうね」
すると、
「なぁ、そもそも炎って奴に効くのかね?」
二人の会話を聞いていたスライが間に入る。ミーナは「確かだけど······」と、顎に手を当て、
「図鑑には『極端な熱に弱い』って書いてあった気がするわ。だから、地中にいるのがほとんどなんだと」
「へぇー、始めて知った」
「あっ!」
すると突如、ミーナとスライが話す裏で、少し大きめに声を上げるジャック。「あんたうるさいわよ」とミーナは小さく叱るが、ともあれ閃いたことを話す。
「じゃあ、いけるんじゃないか?」
「何が?」
「振動で敵は感知するんだろ? ならさ、釣りみたいにロープ付けた物を何でもいいから遠くに投げてさ、その囮に食い付いたとこを魔法でバーッとやればいいんじゃないか?」
「なるほど! それはいいですね! 私達より小さいバジリスクでも反応したくらいですし、それならいけそうな気がします!」
「なっ!? それでミーナが魔法でやればあの敵も――」
「その前に」
光明を見出だし、はしゃぐ二人の声を遮るようにミーナ。彼女はそう言っては一度ソリの荷物へ視線を移し、
「何投げるのよ」
と、それが厳しいであろうことを伝える。
ソリの上には最低限の食料。水の入った一斗缶が二つ。ガロンバッグやカバン等、各々の荷物。そして、研究室から担いできたあの大きなリュックだけだった。
「投げれそうな物なんて一つもないわよ? 砂漠を越えるのに必要なんだから」
おまけに辺り一面は砂。石を投げることすら叶わない。――と、ここで自分の閃きに窮したジャックは、つい、一番大きなリュックを見てはいつものような緊迫感のない調子で、
「······その、リュックの中」
「ダメ」
「そっちの食料」
「あなただけ食事抜きでいいなら」
「······フィリカのおやつ」
「あなたがおやつになってください」
彼女等の悉くの否定に「はぁ······」と肩を落とすジャック。なかなか良い案だと思ったけど、また振り出しか。と、かなりの落胆。だが、
「いや、でもまだ投げれる物はあるかも」
と、思案していたスライ。彼はその顔を上げると、
「ミナっち、そこの一斗缶は? 実は、一つは予備のためのものなんだ」
「えっ、そうなの?」
「あぁ。皆、砂漠は初めてって聞いてたから“余裕を“と思って用意した物でね。けど、ミナっち等、案外進めるもんだから、このままならそれも必要なさそうなんだ。俺の体感からだけど、あと一つ缶を残せばザバには行けると思う」
「なるほど······。それなら話は変わってくるわね」
水は必需品と考えていたミーナは思わぬ発見に、顎に手を当ててもう一度、ぶつぶつと思案。――と、その間に、
「あんな重いの投げられるか?」
「水飲むなりして減らせばいいだろ?」
「そうですよ。出来るだけ先に飲んで、残りをコップに移しておくことも出来ますし」
「んー、そうだけど······」
――と、本来、この好転に一番喜ぶはずのジャックが素直に喜べぬ様子。その理由は、スライが一斗缶発言をしてから、そうなった場合『誰が投げるか』という答えが見えていたから。少なくとも女性陣はなく、残るは保有魔力で失態を起こしたばかりの同期。自ずと答えは出た。
ここで、考え込んでいたミーナが「そうね」と顔を上げる。
「あれを投げてみましょう。けど――」
そして彼女は、ジャックが恐れていたことを口に。
「水は減らさなくていいわ」
スライとフィリカは「えっ?」と声を揃えるが、ミーナは気にせずジャックを見ては、
「あなたならいけるわよね? アレくらい。魔法あるんだから」
やや責め口の調子に、ジャックは嫌な予感を覚えつつ、
「いや、いけるだろうけど、遠く、安全な場所まで投げるって······反動で俺の腰砕けんじゃねぇか?」
「いいわよ、あんたの腰なんかどうでも」
「良くねぇっての。お前、俺の腰をなんだと思ってんだ」
「不届き者の腰よ」
「誰が不届き者だ。証拠でもあんのかってん――」
「それで」
そして、声を被せるミーナは責め口の理由を打ち明けた。
「私に黙って、薬を持ってたことは許してあげるわ」
再び「えっ?」と声を揃えたスライとフィリカ。だが、その傍でジャックは、自分さえ忘れていた、突然持ち出された全くもって心当たりのある話題に、肝の底まで冷やしていた。ビクリとしては、全身をピタッと止めて。
「私が言った“魔法あるんだから“ってのは、あなた、いま薬持ってるんでしょ? って意味よ。それを薬のことと思わず平然とした顔するなんて、あなたやっぱり、昔と比べて随分、立派な神経を持つようになったわよねぇ」
皮肉を述べるミーナは目を流して、鼻から強く溜め息。
「あ、あぁー、知ってたんだ······」
三人の視線を浴びる中、ジャックがなんとか絞り出せたのはそれだけだった。彼女は追い打ちを掛ける。
「“知ってたんだ“じゃないわよ。あんた、船で自分で言ったんじゃない。私が"魔法は?"って聞いたら"持ってる"って。私が、おかしいと思わないと思う? 部屋を出てからさっきまでこの袋は一度も開けてないのに。どうせ、部屋で丸薬について聞いてる時にでもかすめたんでしょう? 一つぐらいバレねぇだろって。分かるに決まってんじゃない。馬鹿なの?」
「······」
ハナから墓穴を掘っていたこと。そして、罵倒よりも心の内まですっかり見透かされていたことに情けなくなり、ぐうの音も出なくなるジャック。両隣からは「最低ですね」「最低だな」と、冷ややかなヤジが飛んでいた。窮地であるにもかかわらず、まるで普段のような研究科の空気。
「でも、どうして勝手に持ち出したんです? ミーナさんが怒ることなんて、ジャックさんが分からないはずもないでしょう?」
「いや、ほら······急に魔物と会った時、渡す暇ねぇよなぁと思って······」
「あぁ、話でしか聞いてませんが、前の狼の時みたいにですね」
「そう」
「ホントかしら」
「ホントだっての······」
「まぁ、結局、船でも使う余裕なかったけどな」
「ばかっ、それ言うなって——」
「なに、そうなの?」
ミーナはジャックのほうを見て、その真偽を確認。沈黙の威圧に問い詰められるジャックは頷くか悩んだが、夜船での件もあり、これ以上彼女に嘘を重ねられず、結局、コクリ、と黙って首を縦に。ミーナは軽蔑を通り越して、深い溜め息。
「呆れた······」
だが、怒りが晴れたわけではないため、
「なによ、盗んどいて全然ダメじゃない。腰だけじゃなくて、もう全身粉々に砕けて死ねばいいわ」
「ご、ごめんなさい······」
ジャックは、彼女のほうを向いて土下座。側では、その痴話喧嘩を見て「場合によっちゃ盗むのアリなのかね?」「尻に敷かれてますね」などとヒソヒソ話し合っていた。
ともあれ、
「まぁいいわ。この話は置いといて、とりあえず今はこの状況を打開しましょう」
ミーナは場を仕切り直し、三人を改める。
「私が薬を飲んだら、あなたはアレを投げてちょうだい。魔法を使えば、あなたなら安全な場所まで届くはずよ。腰のほうも、魔力の調節さえ間違わなきゃ無事にね」
慎重に顔を上げていたジャックは、これまでとは違い、冗談ではない彼女の言葉に、居住まいを正して「わかった」と真面目に答える。
「それと、あなた達にもこれを渡しておくわ」
ミーナは「使わなかったら、後で回収するから」と言いながら、フィリカに赤と白の丸薬を一つずつ、スライにも白の丸薬を一つ渡す。先程、使ったの魔法と色が違うだけの丸薬に、スライは、左手に乗る玉を指差しながら、
「この白いのはどういう魔法?」
「身体強化よ。筋肉の収縮を補助するだけだけど、多少は使えると思うわ。あなた、魔力調節は上手のようだし、準備無しにでもすぐ使えるんじゃないかしら」
そしてミーナは「まっ、さっきの見る限り、五秒持ったら良いほうだけど」と、さっきのショックを思い出したかのように少しだけ素っ気なく付け加えた。スライは「それでも助かるよ」と感謝を述べた。その後ミーナは、フィリカも交えて、その薬を用いた際の魔力の使い方を二人に指南。
「わかったわね?」
「はい」「あぁ」
二人はしっかりと頷いて、大丈夫という旨を表した。