オアシス 前編③
そうして、入念に準備を終えた四人。
「くそっ······だからって、なんで水を入れたまま······」
「うるさいわよ、黙ってやりなさい」
文句を言いながら、前屈みのまま慎重に缶を運ぶジャック。出来るだけ遠くに飛ばせるようにと、薬を服用する前に木の端へと運んでいた。ちなみに、運んでいる時ジャックは、水を入れたままの理由をミーナに尋ねたが、
『念のためよ』
――としか言わなかった。
その考えが全く分からないジャックは、先の件もあり、今は仕方なく素直に従う。そして、端まで運んだ所で、缶にロープを頑丈に巻き付ける。
「よし。んじゃあ投げるぞ?」
「あっ、待って」
するとミーナは、水を捨てないと言った割に、一度あの大きなリュックの元へ行ってはこちらへ戻り、缶の栓を空けると何かを入れ、栓を再び閉めた。加えて、水滴が一滴ゆっくり落ちる程度の、本当に小さな穴を、彼女は缶切りで缶の端へと空けていた。
「よし、これでいいわ」
「それも意味あるのか?」
「もちろんよ」
ミーナは、久々の、見下したような得意気な顔をして見せる。それに見慣れているジャックは「ふーん」と、どうでもいいように言って、ポケットにしまっていた――あの、船で使わなかった秘密の薬を飲んだ。
「あー、怖ぇなー」
「いい? 後ろ向いて、振り上げるように投げなさいよ? じゃないと、本当に腰が砕けるわよ」
「わかってるよ」
いよいよ、気を引き締めなくてはいけなかった。
下手をすればこちらに危険が及ぶ。
最悪の場合は“死“だ。
投げる忠告していたミーナも、炎の薬を服用する。頷いてお互いの準備完了を確かめる。そして、よっ、と缶を持ち上げるジャック。少しでも抵抗を減らせるように、フィリカとスライはロープを持っている。
ジャックは缶をぶら下げる腕を軽く動かし、投げる際の筋肉に意識を巡らす。二、三度で腹辺りまで持ち上げて、指先から離れるまでをイメージ。そしてそのイメージがつくと、再び振り子のように二、三度勢いをつけてから一気に魔力を送り込み、思いっ切り缶を後ろへ投げた。
「んあああああっ!!」
通常ならば数メートルで落ちそうな缶は、まるで、大砲でも撃ったかのように、勢いよく遠くまで飛ぶ。それと共にシュルルル、と後を追い掛ける八の字のロープ。片方をソリの端へと結んだそれは、いよいよ終わりのほうまでいくと、ピンっ、と伸び切って缶と共に落ちた。
缶は僅かに鈍い音を立てて着地をした。ジャック達から、三十十メートル程離れた距離に飛んでいた。
「あらら、ロープのほうがちょっと足りなかったか」
「あぁ······無駄に浪費した······」
全身が凝り固まったような反動に襲われているジャックは、投げた勢いのまま仰向けになり、その着地点を逆さに見ながら呻き苦しんでいた。
「あんた、あんまゴロゴロすんじゃないわよ」
「少しくらい許せ······」
――と、その時、
「あっ! 見てください!」
フィリカの声と共に、皆がその方向へ目を向ける。
サンドワームが潜った地点から、砂が、まるで生きているかのように左右にうねりながら盛り上がっていた。そして、徐々に生まれるそのうねりは、ロープの付いた缶の元へと向かっている。
「ミーナ頼むぞ!」
「えぇ、任せて」
予定とは若干違うものの、このままいけば訪れる機会を逃すまいと、ミーナはいつでも炎を発現出来るよう、魔力だけをその缶のほうへ伸ばしていく。――が、
「ん?」
異変をいち早く感じたミーナは魔力を止める。他の三人も、彼女ではなく、そのうねりの異変に気付き「ん?」「あれ?」「んー」と三者三様の声。
「そう、上手くいくわけないよね」
落ちた缶に食い付くと思ったサンドワームは、食い付くどころか、その手前で急に止まっていた。念のため、その後も変化があるかも――と、しばし待つが、それからも変化はなかった。
「止まっちゃったな」
うつ伏せになっていたジャックが口を開く。すると、
「ってことは、俺の出番か」
座って構えていたスライが立ち上がり、ソリと缶に繋がるロープを引っ張り始める。ロープの長さ、砂が抵抗を作ることで、こちらへ引き寄せる力がより必要となるが、なんとか、缶は擬似餌のように少しずつこちらへ寄ってきた。
「おぉ、いい感じいい感じ」
「頑張ってください、スライさん」
この中で、素の腕力が一番の、彼ならではの役割だった。
砂漠の漁師とも言えそうな彼の牽引に、サンドワームも少しずつ動いては、缶との距離を縮めていた。その距離も、やがて小岩一つ分ほどに。だが、
「ミナっち」
――と、彼は引っ張る手を止めた。
「これ以上は厳しいかもしれない」
一瞬、どうしたのか、と思うジャック達だが、その理由は彼の手元で分かった。投げる前に、もしサンドワームが食い付いても自分達が安全でいられる距離を計る、目安として巻いた赤い紐がそこまで来ていた。これ以上は、サンドワームが仮にも食い付いた場合、自分達も巻き込まれる恐れがあった。
途中まで作戦が上手くいき、魔物を引き出せると思ったが、流石に万事休すという所。
ただ――一人を除いて。
「大丈夫、想定の範囲内よ」
ミーナは全く動じることなく、凛と仁王立ちで腕を組みながらそう言った。
「スライ。ソリのロープを解いて」
「ん?」
「フィリカ。魔法であの缶を熱して頂戴」
「――? 分かりました」
「あなたは······囮の準備をしてればいいわ」
「もっとねぇのか、他に······」
しかし、ミーナは淡々と「もしもの時、フィリカの次に控えといて」炎の薬をジャックに渡した。
各々が、彼女の指示に従う。
スライがロープを解いたことを知らせると、フィリカが薬を飲んで炎を飛ばす。
包むように燃える一斗缶。
ミーナは小さく「上手くいけばいいけど······」と呟いていた。しかし、その組んだ人差し指は、彼女の心を示すようにパタパタとゆっくり動いていた。
やがて、三分ほど熱した。
横たわった一斗缶は、変わらず、砂の帽子を被り身体を半分だけ出して埋まったまま。その銀の身体が黒くなっていくだけで、いくら熱してもそれ以上の変化は見られない。また、その頃、少しずつフィリカの息が上がり、魔法も弱くなり始めていた。
「大丈夫か、フィリカ? 代わるぞ?」
「いえ······まだ、大丈夫です······」
だが、彼女の顔には、砂漠渡渉より多くの汗と疲労が現れている。本当にこのままでいいのか悩むジャックは、変わらず腕を組んで缶を見据えている彼女を尋ねる。
「なぁミーナ。違う方法にしたほうがいいんじゃないか? さっきから何も変わらないし、これじゃ無駄に疲労溜めてるだけじゃ——」
すると、彼女は言葉を遮って、
「いいから。計算ではあと少しのはずなの······」
と、徐々に小さくなる声で答えた。ミーナの指先は、素早く上下に動き始めていた。心の焦りを表すかのように。しかし、彼女は毅然とした様子だけは貫いた。
その視界の端に映る彼女に答えるように、フィリカは身体に鞭を打つ。火力が少しだけ戻った。
そして、同じ光景を見続け、かつ、フィリカの放つ熱で全員がぼんやりし始めてきた頃だった。
僅かに、コトコト······と小さく音が聞こえた。
その音は、缶のほうからだった。
すると、フィリカの肩に手を置くミーナ。
「よくやったわフィリカ、頑張ったわね。後は任せて」
「はい······」
そうしてミーナは左手を前に突き出し、缶に向け炎を放った。かつて、魔物から逃走する時に使った業火を、缶の周囲だけを一点に包むように。手を下ろしたフィリカは、お尻から木の上へ座り込んでしまっていた。
缶は、彼女から役目を引き継いだミーナによって、先程よりも激しく鳴り始めていた。カンカンと鉄を強く打ち付けるような音。その音はまるで――警鐘のようだった。
「――っ! そうか······」
「なるほどね」
ジャックとスライは、ようやく彼女の目的を知る。
缶を投げる前に彼女が入れたのは石だった。正確には、あの馬鹿でかいリュックに入っていた沸騰石。打ち付ける甲高い音は、それらが中で弾ける音だった。
また、缶に穴を空けたのは、沸騰した際に密閉の容器が破裂しないようにするためのもの。加えて、水を沸騰させることによって生まれる気泡によって僅かにその場で缶も揺れていた。
まるで――小さく足踏みするように。
そして、気泡によって揺れるその缶は、
「かかったわね」
あの魔物の元まで届いた。
あの“地響き“と“うねり“が再び始まる。
誘われた魔物は缶の真下へ。
隆起が収まって一度平坦になると、ミーナは炎を消した。
その直後――、
バシャアアアン!!
大きな音と共に、サンドワームは砂を巻き上げ姿を現した。
だが、その巨体はバジリスクの時と違い、砂の上をのたうち回っている。
「抗体があるとはいえ、火傷はしてくれるのね」
業火に熱せられた缶は、中身こそ熱湯だが、鉄の身体そのものは、遥かに、通常の魔物が耐えられる温度を超えていた。
「ミーナ!」
「わかってる!」
砂塵が晴れ、いよいよ、サンドワームの全容が見え始めていた。彼女は、決してその影を逃さぬように強く睨むと、もう一度――今度は全力で炎を放った。
大波のようにうねる炎が、僅かな砂埃を押し飛ばす。
サンドワームの身体は、一気に炎に包まれた。
より一層激しく暴れる巨体。
振動がこちらまで届き、ソリをギシギシと鳴らして揺れる。
ミーナはそれに負けぬよう足を踏ん張りつつ、炎を絶やさず飛ばす。サンドワームは炎から逃げるよう何度も砂に潜ろうとするも、地表――露になった自分自身の身体が焼かれることで、反射的に何度も砂から飛び上がった。
だが、ならば振り払おうというようにサンドワームは身体を左右へ動かす。しかし、炎はどこまでも首を絞めるように纏わりつき、決して標的から離れようとはしなかった。
「いいぞ、ミーナ! 効いてる!」
「すげぇ······」
応援するジャックの横で、やや前のめりのスライは言葉を失っていた。
やがて一分ほど経った頃。その業火に耐えれなくなったモンスターは、徐々に動きを弱らせていく。
「もう少しだミーナ! 頑張れ!」
そして、その掛け声に答えるように、生命の活動限界が近い魔物へ追い討ちを掛けるように、バッ、と炎が強くなった。もはや、身体をどれだけ四方へ動かしても、その魔物が外へは決して出られないほどの炎だ。
そして、ジャック達の足には振動も伝わらなくなり、オレンジの炎の中で、魔物は黒い影でその場で波打つ。
しかし、それも数秒後――、
最後に一度だけ、思いっきり頭を天高く持ち上げると、サンドワームは崩れるように、ドシン······、と大きな音を立てて倒れた。
「やった、か······?」
それっきり、魔物動くことは二度となかった。
炎は、ミーナがゆっくりと手を下ろすと共に消えた。
そこに残っていたのは薄い青緑も斑点も無い、ただの、巨大な黒の塊だけだった。




