結界と仙術
維心は、義心と帝羽、それに慎也と明輪、他軍神の将達に指示を出し、結界内を捜索させていた。
明輪は憔悴し切った顔でいたが、それでも必死に飛び立って行った。瑠維は、床に臥せって起き上がれぬようだ。
維心は、ため息をついた。皇女らしく育ててしもうたので、瑠維は維月のように自分で何とかしようとは思わぬようよ。
自分の娘ながら、それが当然だということも忘れて、頼りないことだ、と思う自分に維心は自嘲気味に薄っすらと苦笑した。
義心が、戻って来て膝をついた。
「王。結界内は捜索しておりますが、未だ何も。我ももう二度ほど上空から皆が探す様を巡回致しましたが、何も気取れませんでした。」
維心は、義心を見た。
「…前世から仙術には面倒を掛けさせられたもの。我も警戒して結界にはそれなりの色を付けておるゆえ、もしやと思うておるのだ。」
義心は、意外だったらしく、膝をついたまま顔を上げた。
「色、と申されますと?」
維心は、頷いた。
「十六夜も一度攻撃されたから、魔法陣には警戒して月の結界に引っかかるようにしておるのだが、我もそれを真似ての。と申して、十六夜のように魔法陣が見えるというだけではない。我は見えずとも、結界がそれを攻撃するようにしておるのだ…つまりは、我が知るような神の術では無く、仙術のような異質な物には排除しようと焼くようにしておる。だが、我にはそれが己の気で出来た結界がおこなっておるのに、どうやら此度のように気を無効化するとかいう仙術では気取れぬようでな。真実、我が結界がそれを焼いたかどうかも分からぬ。ここへ戻って主の話を聞くまで、結界が役に立たなんだかと思うたのだが、どうも違うようぞ。」
義心は、言った。
「結界を出ておらぬということは、結界を出られぬということだと。つまりは、結界は魔法陣を焼いたのだと予測されたのですね。」
維心は、頷いた。
「その通りぞ。これまでの例を見ても、実行犯は深く何も知らぬ。魔法陣を消されては、恐らく復活させることも出来ぬのだろう。」
義心は、しかし微かに首を傾げた。
「…しかし…ではどうやって明輪の結界を?王の結界を抜けたことで魔法陣を損傷したのなら、明輪の結界は明輪に気付かれずに抜けることは出来なかったはず。」
言ってしまってから、義心はハッとしたように維心を見上げた。維心は、それを見て頷いた。
「乳母ぞ。」維心は、呆れたように目を細めた。「乳が出ぬではならぬから若い乳母をつけるが、良し悪しよ。蒼の所の新月の乳母のように、美しい子は己のものにしとうなるのやもしれぬの。まあ真実は分からぬが、恐らくは乳母が連れて出たのではないか。本来は共に結界を抜けて出てそこで殺す予定であったやもしれぬが、それが出来ぬからさっさと厄介払いしたのだろう。明蓮は、結界内にまだ必ず居る。もしも魔法陣を復活出来たとしても、援軍が来ようとしておったとしても、龍軍が多く警戒しておって動けぬはずぞ。明蓮を取り返すなら、今しかない。」
義心は、それを聞いて視線を正して頭を下げた。
「では、我は今一度巡回を。」
維心は、頷いた。
「頼んだぞ。」
そうして、義心はそこを出て行った。
翆明は、公青と話してからというもの、軍神達を育てるのに力を注いでいた。
正月も節分もそっちのけで領地内の警備の仕方などを軍の編成から変えていたら、気が付くと結構な時間が経っていたのだ。
それでも向こうの神の宮などは、しょっちゅう他の宮の侵攻などがあった時代を抜けているので、どんなに小さな宮でもこれぐらいの事はしているらしい。
つくづく、自分達は恵まれていたのだと思わされてそれはそれで面白くなかった。
今日も、公青は蒼に例の件を聞きに行ってくれているらしいと聞き、翆明はそれに期待していた。
奥宮は落ち着いているとは言うものの、綾がまた腹に子を宿して今は具合を悪くしているので、面倒など起こってもらっては困るのだ。
なんやかんや言っても綾はかなりのやり手な妃で、綾の采配で奥宮は滞りなく回っているので、その綾が臥せっていると綻びが出て来てしまうのだ。
翆明が綾の様子を見て来ようか、と綾の部屋へと足を向けると、部屋の前で綾の悲鳴が聴こえた。
「誰かある!誰か!」
翆明は、急いで戸を開いた。
「綾?!何事ぞ!」
綾は、侍女達に袿を着せかけられて寝台から降りているところだった。
「王!」綾は、侍女達を振り払って翆明に駆け寄った。「紫翠が!部屋に居らぬと、侍女が!」
翆明は、綾を抱き寄せながら言った。
「落ち着かぬか、乳母はどこぞ。散策にでも出ておるのではないのか。」
綾はぶんぶんと首を振った。
「我の許可無く部屋から連れて出るのは禁じておりまする!あの乳母は若いゆえ、紫翠に何かあってはと我がそのようにしておるのですわ!居らぬなら勝手に出て行ったということ。早う連れ戻して下さいませ!」
翆明は、確かに変な輩がうろついたことがあるので、綾が神経質になるのも理解出来た。なので頷いた。
「わかった、ならば頼光に探させる。案ずるな、その辺りに居るであろうから。主は休め。腹の子に障るゆえ。」
綾は、まだ不安そうにしてはいたが、それでも肩の力を抜いた。
「はい。すぐに、我の所へ連れて来るように申してくださいませ。」
翆明は、頷いた。
「わかった。」と侍女達を見た。「頼んだぞ。」
そうして、翆明は頼光と紫翠を探した。
そして、最初に思ったより大事が起こったのだと、知ることになったのだった。
月の宮に滞在している公青は、宮からの書状から顔を上げた。
「…遅かったか。案じておった事が。」
蒼は、朝の茶を飲みながら言った。
「何がだ?」
隣では、新月が黙って控えている。公青は険しい顔のまま言った。
「紫翠よ。宮から居らぬようになったと、翆明が知らせて参った。昨日の昼頃乳母と共に姿が見えなくなり、日中の事ゆえ散策にでも出ておるのかと探したが見つからぬ。そのまま夜になり、ついに戻らず失踪したのだとわかった。今も範囲を広げて傘下の宮の軍神まで使って探しておるようだが、ようとして行方は知れず。」
蒼は、表情を硬くした。
「…また乳母を使ったのか。」
公青は、ため息をついて頷いた。
「美しい子ならば乳母も言いくるめるのは容易いであろうし、それで狙うのやもしれぬが、しかしなぜに幼い皇子ばかり。育てて利用しようてか。新月でうまく行かぬのを知っておるのに、なぜにそんな事をする。」
新月は、下を向いた。
「…分かりませぬ。そもそも我がこちらへ戻った事は、父上が告示されて広く神世は知っておるのに、我の口から己の名が漏れるとは思わぬのかと。同じような手口を使えば、容易に破られましょう。」
蒼は、考え込むような顔をした。
「確かに…しかし維心様は定士の…いや今は定利の宮に、某かの沙汰を考えられてもおかしくはないのに、何も仰らなかった。何かお考えなのかもしれないが、今は明蓮の行方を探す事に注力されておるから。」
公青は、蒼を見た。
「確かな証拠を揃えねば、宮を告発するなど龍王も面倒が起こると二の足を踏む。そこから理不尽なと兵を上げる王が出ぬとも限らぬし、そうなると戦国に逆戻りよ。まして定利が知らぬで通せば、もはや死んでおる王のこと、問い質すことも出来ぬし、こちらが不利。様子を見ておるとみるのが正しいであろうな。」と、立ち上がった。「宮に書状を書いて参るわ。翆明も必死で探しておるようであるし、我が軍神にも行かせるようにする。跡取りの皇子がやっと出来たと喜んでおったのに、これでは哀れよ。」
蒼は、頷いた。
「こちらも仙術の対抗策を急がせる。」
公青は頷いて、出て行った。




