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記憶

維心が、維月を連れてそれこそ入って来たくなさそうな顔をして、蒼の居間の扉から入って来た。維月は、入って来て早々、新月を見つけて、嬉しそうに駆け寄ろうとした。

「まあ月夜!ああ本当に案じておったのよ、良かったこと…、」

と言いかけたところを、維心ががっつり肩を抱いて、止めた。

「待たぬか維月。客が居るのだぞ。それに、今は新月だと申しておったであろうが。主は何かと一つのことに掛かると回りが見えぬようになる。」

維月は、維心に叱られて確かにそうだった、としゅんとした。

「はい。申し訳ありませぬ…。」

十六夜が、急いで自分の座っている椅子の方へと維月を手招きした。

「ああいいよ、お前はそんなだから。こっち来い、ここが空いてるから。」

維月が素直にそちらへ向かおうとすると、維心が維月の手をぐっと握って先に立ってそちらへ歩き出した。これも、普通なら王に従って歩くのだから、維心が間違っていないし、維月の方が間違っているのだが、十六夜がそれを見て文句を言った。

「なんでぇお前は固いんだからよ。実家でぐらい羽を伸ばさせてやれよ。」

維心は、維月を挟んで向こう側に座りながら、憮然と言った。

「どこまで広がるのだ、その羽とやらは。礼儀は弁えねばならぬ。宮でも外でも他に見られて貶められるようなことがあってはならぬのだ。そういうものぞ。」

公青が、苦笑して言った。

「相変わらずであるの、主らは。ようそれで龍王妃が務まるものぞと思う時もあるが、そんなものやもしれぬ。」

維月は、公青にまで言われてとても恥ずかしかった。分かっていても、月の宮へ帰って来ると、今生の甘やかされて育った素が出て来てしまい、維心に咎められて思い出す、ということが頻繁に起ってしまうのだ。

新月が、それを黙って見ている。蒼は、新月の方を見て、言った。

「今生、祖母でも伯父でも無いが、この二人は確かに死んだ二人の生まれ変わりぞ。頼りにすると良いと思う。」

新月は、そう言われて頭を下げた。

「はい。お祖母様、伯父上、長らく失礼いたしておりました。ただ今は新月と名乗っておりまする。」

維心が、それに会釈で返した。

「よう生きておったもの。瑤姫も生前死ぬまで案じておった。何かあれば力になるゆえ申すが良い。」

新月は、深々と頭を下げ直した。

「は。感謝致しまする。」

確かに維心の方が似ている。

十六夜も、蒼も公青ですらその様子を見て、思った。維月は、今叱られたばかりなので、女は黙ってるのが普通の神の世なので、ここは黙っていた。

すると、そこへ玲が入って来て頭を下げた。

「王。お呼びでしょうか。」

もう初老に差し掛かっている玲を見て、蒼は頷いた。

「玲か。見てもらいたいものがあるのだ。」と、公青の持つ紙を指した。「それぞ。」

玲は、スススと進み出て公青からその紙を受け取ると、そこに記された魔法陣をじっと見つめた。そして、すぐに顔を上げた。

「無効の魔法陣でございます。この場合、結界など気を使うものに対して、影響を受けないように出来るものです。ただ、範囲は狭く、せいぜい人一人分ぐらいでしょうか。これを盾に描けば盾は気弾の影響を受けぬものになり、体に描けば体がそうなるといった具合ですね。」

公青は、片眉を上げた。

維心が、眉を寄せて言った。

「また仙術などどこから来たものぞ。面倒なのではないのか。」

蒼は頷いて、公青から聞いたことを掻い摘んで維心に話した。維心は、ますます眉を寄せた。

「ならば西に誰かがちょっかいを出しておるという事か。面倒な、また解くのに全ての仙術に有効な解き方の巻物その5とか6とか言い出すのではあるまいの。」

玲が、急いで言った。

「王、ですがそれはこの月の宮にある巻物ですので大丈夫でございます。それに、我の頭に全て入っておるので、解き方なら分かりまするし。」

維心は、チラと玲を見た。

「ならばそれを破るのは容易いのだの?」

玲は、頷いた。

「はい。術者を殺す必要もありませぬ。これを不完全なもの、つまり一部でも消してしまえば良いのです。影響は消えます。」

公青は、ため息をついた。

「捕らえねばならぬではないか。ではなくて、これを使えぬようにするのはどうすれば良いのか知りたいのだ。知らぬ輩が勝手に入って来ぬように結界を張っておるのに、こんなモノを書くだけですいすい入って来られては忙しゅうてならぬわ。何かないのか。」

玲は、うーんと首をひねった。

「…少しお時間を。考えてみまするゆえ。お借りしてもよろしいでしょうか。」

公青は、頷いた。

「我は要らぬし主が持っておればよいわ。どれぐらいかかりそうか?」

玲は、困ったように紙を畳みながら答えた。

「まだなんとも…防ぐ方法が無い場合、最悪新しい仙術で対抗するよりないやもしれませぬ。そうなると、新しい仙術を組むので時も掛かりまする。」

公青は、ため息をついた。

「ま、しようがないの。我にはどうしようもない。頼んだぞ。」

玲は、頭を下げて出て行った。

維心が、考え込むような顔をした。

「しかし…なぜに西か。何が目当てで翠明の宮の皇子などさらおうとする。安芸の方も未遂であったようであるし、今まで何も無かった土地に何かあるということは、こちらからの影響と考えて間違いあるまい。しかし、こちらではここ数百年特にどこかの皇子が居らぬようになったなどと騒いだことはないが。」

蒼は、新月を見た。そう、新月が居なくなった時も、ここのところ皇子の失踪など無かったのに、と維心は言った。だが、新月は居なくなり、そうして実際は側に隠されていた…。

「我の時とは事情が違うようでございます。」新月が、口を開いた。「我の失踪からまた誰も居なくなっておらぬということなら、我の件は考慮に入れぬ方がよろしいかと。」

維心は、目だけで新月を見た。

「確かに主の語った事実を聞いたが、毛色の違うような気もするの。だがしかし、仙術を使って主の気を抑えて色を変えたり、そのようなことをしておったのだろう、定士は。」

新月は、その鋭い目に少し驚いたが、表面上は普通に頷いた。

「はい。しかしあれは、定士というより、明玄がおこなっておりましたが。」

維心は、目を細めた。

「同じことぞ。」と、また考え込むように視線を正面の虚空へと戻した。「定士…確かに我に恨みを持っておったわな。というて、今から数えれば遠い昔、2000年ほど前の前世の我が皇子の頃のことを根に持っておるだけであるが。今はあれの皇子である定利(ていり)が王だが、変わらず恨みを持っておるのは知っておる。」

十六夜が、うんざりしたように維心を見た。

「恨むって皇子の頃からお前、何やったんでぇ。もう何代も前からお前を恨んで来たってことだろう?」

維心は、嘲るようにフンと鼻を鳴らした。

「神世を平定したのだから恨みなど売るほど買っておるわ。だが、あの宮の恨みというのは、我個人に向いておるの。龍族にではないわ。」と、心配そうに見上げる維月に気付いて、フッと表情を緩めた。「案じずとも良い。話したであろう?我が破邪の舞いを習おうとして独り庭で舞っておった時のこと。」

それを聞いて、維月も十六夜もビクッと体を動かした。そして、顔を見合わせる。公青が、それを見てイライラと言った。

「何ぞ?舞いなど我とて父が舞った時は覚えねばと庭で隠れて舞っておったわ。それの何が悪いのだ。」

「普通はそれで終わりだわな。」と、十六夜は蒼と新月のことも見て、続けた。「維心のそれは、龍王に伝わる破邪の舞いってヤツで、父親の張維が舞ったのを見て子供の維心が舞ったんだよ。そうしたら、張維の時には表面に見えてる悪いモノが消されて終いだったのに、維心の時には心の中にある悪いモノまで一気に命ごと消しちまったんでぇ。力が大き過ぎてな。だが、まだ子供だったし心の中まで消したのは、龍の宮周辺の宮々の悪意を持った王とか臣下達だけだった。その後育ったら反抗も出来なくなるってんで、維心は子供の頃から回りに狙われまくったのさ。」

あまり言って欲しくはなかったらしい。維心は、じっと黙っていた。

蒼は、仰天した…つまり、維心様の舞いの破壊力は大変だってことじゃないか!

「ちょっと待て十六夜、じゃあ維心様には間違っても舞ってもらっちゃ駄目だってことだな?えらいことになるから。」

十六夜は、何度も頷いた。

「そうだよ。こいつが舞う時は世界を諦める時だと思えばいいさ。」

公青が、やっと我に返って言った。

「では、つまりその、定士とか言うやつの宮の、王が主のその、舞の力で滅しられたと?」

じっと皆が話すのを見ていただけの維心は、やっと頷いた。

「そうだ。そのうちの一つ。我があの舞いで滅したのは全部で8つの宮の王と軍神、臣下でその後神世は大混乱だった。譲位だ沙汰だと大騒ぎであったからの。」

新月が、怪訝な顔をした。

「沙汰?」

維心は、そちらを見た。

「我ら龍族に叛意があるからこそ破邪の舞いで切り裂かれたのであるからの。その命でもって証明してしもうたあやつらは、その種族諸共本来なら消すべきであった。だが、そうなるとまた戦であるし、父も面倒であったのだろうの。王と臣下の命を差し出したとして、後は不問に付して宮の存続を許したのだ。まあ、我が王座に就いた後の戦でその八つのうち五つは滅した。なので、現存しておるのは、現王の定利の宮と、あと二つ。我の結界南側にある(せい)の宮、西にある久礼(くれ)の宮。もちろんあれが起きた時の王からは二度ほど代替わりしておるから、こやつらは直接にはあのことは知らぬであろうがの。」

公青が、険しい顔で維心を見た。

「怨嗟の念とは受け継がれるもの。恐らくはその政も久礼も主を恨んでおろうの。」

維心は、いとも簡単に頷いた。

「そうであろうな。だが、あれらに我に抗う気概などないわ。指一本で滅しられるのも知っておるし、我が破邪の舞いでも舞おうものなら己らの命がないのも知っておろうしな。」

維月は、複雑な顔をして十六夜を見た。十六夜は、維月の頭をぽんぽんと叩いた。

「大丈夫だって。戦にならねぇように、維心だって舞わねぇしそいつらの気持ちを知ってて放って置いてるんだからよ。心配すんな。」

維月は、ホッとしたように顔をする。維心は、少しばつが悪そうな顔をしたが、それでも言った。

「神世とはそんなもの。戦にするならさっさと起こして消しておるよ。主は何も案じることはないのだ、維月。」

維月は、今度は維心を見上げて頷く。維心は、維月の表情から硬さがなくなったのでホッとして公青の方を見た。

「主には説明しようぞ。この新月が連れ去られたのは、700年ほど前のこと。侍女を使って連れ出させ、定士の宮に隠されておった。気が漏れても分からぬようにと、腕に仙術の魔法陣をつけられてな。だが、これは定士に仕えておった流れの軍神達と共に北へと逃れて最近にやっと見つかったのだ。まあ、理由は我を倒すための道具にしようということだったが、侍女がこれを連れ出した時の思惑は、己の里へ連れ帰って育て、己の伴侶にしようと考えたからのようであった。当然これを連れ出すことを促した定士の手の者に殺されて世にないが、生きておってもとうに死んでおるであろう。」

公青は、新月をまじまじと見た。

「なんとの。確かにこれも、幼い頃にはかなり美しい子であったろうしの。連れ出させようと思うたら侍女をたぶらかせばいいのだから、容易であったろう。」と、ハッと蒼を見た。「…美しい子?もしや、翠明の宮の紫翠も…もしや?」

維心は、首を縦にも横にも振らなかった。

「分からぬな。だが、偶然にしては出来過ぎておる。少し、調べてみても良いやもしれぬ。」

それを聞いた蒼は、急に不安になった。もしかして、この侵入騒ぎが、神世を揺らせることになるのでは…?

新月も、もはや黙って維心の話を聞いていた。

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