美しい子
瑠維は、生まれたばかりの娘、瑠美を乳母に預けて、5つ違いの子である上の息子、明蓮を寝かしつけていた。
明蓮という名は、明輪の曽祖父に当たるこの宮の序列五位であった軍神の名で、もう今は世にないが、生まれた時はまだ存命だった。
例にもれず、その曽祖父の明蓮も王命の神で、瑠維がここへ降嫁した時には病づいていたが、涙を流して喜んでいた。そして、生まれた跡取り息子に自分の名を付けると聞いた時にも、王の血筋に繋がる曾々孫に自分の名が残るのだと何よりも喜び、そして明蓮を震える腕で抱いて、なんと美しい事よと微笑みながら旅立った。
そんなわけで、明蓮は、その一族の中でもそれは大切に育てられていたのだった。
龍の王族とは大したもので、瞳の色こそ継いではいなかったが、普通の神とは違い、明蓮は生まれて数カ月で言葉を発した。視線もしっかりしており、赤子らしくないと思いながら育てた。
そして現在、ついている教師も舌を巻くほどの理解力を示すこの息子に、瑠維は兄や父を見て、敬意を表さずにはいられなかった。それでも、子供なのは確かなので、こうして寝る前には側に居てやるのが瑠維の日課だった。
今夜も、明蓮を寝かせた寝台の脇に座り、瑠維は明蓮が眠るのを待っていた。
「母上。」
5歳とは思えないほどしっかりした口調で話す明蓮に、瑠維はその額にかかる髪を撫でてやりながら答えた。
「どうしたのですか?いつもすんなりと眠るのに、何か気になることでも?」
瑠維が問うと、明蓮は頷いた。
「はい。我は、最近屋敷で嫌な気配を感じるのです。父上は、何も無いとおっしゃるのですが、我は母上や瑠美、侍従達に何かあってはと、案じられるのですが。」
瑠維は、驚いて明蓮の顔をまじまじと見つめた。
「まあ、嫌な気配?困ったこと、我にも何も分からぬけれど、でも父上が何もないとおっしゃるのなら、きっと大丈夫だと思いますよ。ここには、父上の結界もありまするし、それに王の結界もあるのです。おかしなことを考えるような輩がここまで来るのは難しいと我は思いますよ。」
明蓮は、フッと肩の力を抜いた。
「はい。確かに王の結界を抜けて来られる輩など居りませぬ。我の気のせいでありますね。」
瑠維は、その自分によく似た明蓮を心底可愛く思い、額にそっと口づけた。
「大丈夫。さあ、もう休むのです。明日は、また教師の龍が、今度は宮から遣わされるのだと聞きました。あなたがとても利口であるから、もうこちらの教師では役不足であるとかで。母はとても鼻が高いわ。また明日ね。」
明蓮は、素直に頷いた。
「はい、母上。」
そうして、目を閉じた。
そして、見る間に寝入って寝息を立てる明蓮の額にもう一度口づけると、側に立つ乳母に軽く会釈して、瑠維はそっとそこを後にしたのだった。
維心と維月は、結局のその日は月の宮に泊まった。
公青も残っていたので、翠明の皇子の紫翠の誘拐未遂事件と、700年前の月夜…新月の誘拐事件の関連性なども考えながら、まずは仙術の対抗策が、玲から来るのを待っていたのだ。
新月は、結局維月の顔を見てもぴくりとも表情を動かすこともなく、維月自身も維心の手前、嬉々として寄って行くことも出来ず、特に問題なく過ごしていた。
里帰りではない、と言う維心を尊重して十六夜は自分の部屋へと帰り、維月は維心用の対で昨夜は休んでいた。
例によって夜明けには目を覚ましていた維心が待つこと一時間、いつもより早く、維月は目を覚ました。
「…維心様?」
目を開いてすぐに維月は維心を呼んだ。維心は、月の宮に居ても寝起きに間違えずに自分の名を呼ぶ維月に心底愛おしいと思い、維月の頬に自分の頬を摺り寄せた。
「維月。目覚めたか?本日は常より早いの。」
維月は、維心を見て微笑んだ。
「なぜだか、何かに呼ばれたように目が覚めましたの。」と、フッと息をついた。「それにしても…月夜、いえ新月は驚くほど立派になっておりましたわ。瑤姫の血か維心様によう似た風情であって。皆と話を聞いておる様を見ておって、もう子供ではないのだから、と思いましてございます。別人のように、遠く感じて寂しい限りでございますが、それでもあちらはこちらを祖母と慕ってもおらぬですから、あまり馴れ馴れしく寄ってはならぬなと思いました。維心様の若い頃の様と似ておるのを思うと、親しくもない縁戚にまとわりつかれては恐らく面倒に思うだろうことは私にも分かりましたし、私も距離を置いて接しようと思っております。」
維心は、維月なりに考えたのだと微笑して頷いた。
「そうよの。あれは我らの知らぬ場で育ち、生きておったのだ。今更に我らが縁戚だと寄ってたかって側に参っては、無下にも出来ぬし面倒だと思うやもしれぬ。まあしかし、蒼の子であるのだから。何かの折に話す程度なら良いのではないか?我とて縁戚との付き合いなら皇子の頃はしておったもの。ま、嫌々ではあったがな。」
維月は、フフと笑った。
「維心様は、そのように感じられまするわね。分かりますわ。」と、維心の胸に身を寄せた。「それにしても…もう少し、龍王の妃らしくせねばなりませぬわ。維心様には、よう辛抱してくださっておるのですもの。それに甘えて、普段は好きに過ごさせて頂いておるのですから、せめて外では維心様が恥をおかきにならぬように、もう少し精進致します。」
維心は、頷いて微笑むと、維月を抱き寄せた。
「良い。主からそのように思うてくれておるだけで我は報われる思いぞ。公の場でさえしっかりしておったら、後は好きにして居って良いのだ。昨日は公青も、それに新月だって初対面であったし、我も厳しく言うてしもうた。」
維月は、維心の胸にスリスリと頬を摺り寄せた。
「維心様…。」
維心は、もう維月が愛おしくて仕方がなかった。
「よしよし…愛い奴よ。今少しこのまま過ごそうぞ。」
維心が、維月に唇を寄せ、維月がそれを受けようとしている時、いきなり真横から大きな声がした。
「維心!維月!お前ら帰れ!大変だぞ!」
「!!」
二人は仰天して声の方を見た。すると、寝台の真横に十六夜がずっとそこに居たかのように立っていて、こちらを見ていた。
「また主か!いい加減にせよ!無礼であるぞ!」
維月も、今度ばかりは叫んだ。
「そうよ十六夜!あなたね、ノックぐらいしなさいよ!まだ寝てたらどうするのよ!」
十六夜は、落ち着きなく体を揺らしながら言った。
「ああ、すまないな、どうせ寝てなんかいねぇだろうが。じゃなくて、お前ら帰れ!大変なんだって言ってるだろうが!」
維心は、憮然として起き上がる。維月は、慌てて自分の襦袢の前合わせを寄せると、維心に襦袢を着せかけた。維心は、それに腕を通しながら十六夜を睨んだ。
「帰れとはなんぞ。大変とは?新月がまたどこかへ行ったのか。」
十六夜は、ブンブンと首を振った。
「新月じゃねぇ!明蓮だ!臣下の子は皆臣下なのかもしれねぇが、一応お前達の孫だろうが!今龍の宮から使者が着いたんでぇ!帝羽じゃ寝てるお前達の部屋へ踏み込めねぇし、オレが来たんだっての!」
「ええ?!」
維月が、口を抑えて絶句した。維心は、険しい顔をして寝台を降りた。
「戻る。帝羽に申せ。」
十六夜は頷いて、パッとその場から消えた。維月は、ガクガクと震える体を無理に抑えながら、維心に着物を着つけながら、涙目になりながら言った。
「…先ほど…私が何かに呼ばれたような気がしたのは、もしかして瑠維か、明蓮を気取ったのかもしれませぬ。私…なのに気付いてあげられないなんて…。」
維心は、いつもなら着替えさせられるままになっているのだが、自分でも帯を巻きながら首を振った。
「そのように気に病むでないぞ。」と、維月にも着物を着せかけてやった。「そら、我が手伝うゆえ。宮へ戻ろう。我が探すゆえ、案ずるな。」
維月は、涙を流しながら着物を急いで着ながら、頷いた。
「はい、維心様。お手数をお掛けしてしまって…月の宮の侍女は、呼ばねば来ぬから。」
維心は、維月の帯を器用にさっさと結びながらまた首を振った。
「良い。このぐらい何でもないことぞ。」
確かに、維心は維月を着替えさせるぐらい一瞬の事だった。侍女に遅い遅いと怒るのも、道理かもと維月は思ったが、それどころではないので、着替えてすぐに維心の手を取った。
「では維心様、お連れくださいませ。」
維心は頷いた。
「参る。」
そうして、二人は部屋を出て回廊を抜けて飛んだ。
そして、待ち構えていた帝羽と共に、出発口から龍の宮へ向けて飛び立って行ったのだった。




