対面
十六夜と維月、維心、蒼は、北の大地の端に建つ屋敷の上に浮いていた。
この辺りは、人も善良で気が澄んでいて、それは清々しい。
神など居なくても、この辺りの人は十分に幸福であり、それ故に維心も、この辺りまで気を付けて見ている必要もないのだ。
たまにあちらから、何かから逃れて来たあまり良くない気質の人が紛れ込む事はあっても、ここの善良な人の間でまるで浄化されるように落ち着くのも、見て知っていたのだ。
なので維心達力のある神は、中央の人が密集する地域を見張り、悪い気が蔓延るのを抑えていたのだ。
「…やはりあれはここに居る意味はない。」維心は、その様を見ながら言った。「ここの人の気の清浄さはどうだ。神が手を貸す必要もない。人の世の困り事を解決するぐらいなら、我らほどの力が無くとも出来る。月夜は、やはりここでは無用の長物よ。」
蒼は、黙ってその屋敷を見下ろしている。十六夜が、暮れて来る夕日を背に、言った。
「じゃあ、行くか。まず、蒼だけ先に。様子見て、オレ。で、維心と維月はここで様子見てて来れそうだったら降りて来て、逃げそうだったら確保ってことで。」
維心が、頷いた。
「蒼の目から見ておくゆえ。あれが逃げようとしても、我と維月からはまず逃れられぬゆえな。任せておけ。」
蒼と十六夜は頷いて、屋敷の方へと降りて行った。
蒼と十六夜は、気配を消したままそっと奥の、月夜の部屋らしき場所の窓を覗き込んだ。月夜は、じっと座って夕暮れで暗くなっている屋敷内、ランプの灯りが灯る中、まるでいつかの維心のように、一人考えに沈んでいた。
側には誰の気配もなく、さっき月から見たように人払いをしているようだ。
着物の質はあまりよくないようだったが、じっと座っているその姿は、重厚感があり威厳に満ちていて、とてもあの、小さかった月夜と、同じ人物などには見えなかった。
十六夜は、蒼の背をそっと叩いた。
《さ、行って来い。オレはここで、見てるよ。》
念でそう言う十六夜に頷いて、蒼はその窓を開いた。そして、中へと入って行った。
月夜は、ハッと顔を上げた。
窓が…?!
慌てて振り返ったそこには、遠い記憶の中にある、見覚えのある顔の男が、着物姿で浮いて、自分を見下ろしていた。
「……!!」
月夜は、慌てて飛び上がった。そして、その男が入って来たものとは別の窓へと一瞬にして飛び、外へと飛び出した。
「月夜!」
それを見た十六夜が、急いでそれを追いかける。蒼も、その後ろを追って出て来ていた。
月夜は、驚くようなスピードで飛んだ。そこまで、本当に一瞬の出来事だった。
「…結構速いな!」
十六夜が叫ぶ。が、目の前で突然に何かの力に掴まれたかと思うと、月夜は宙ぶらりんになった。
「く…!」
月夜は、必死に力を放ってその拘束から逃れようとする。だが、その月夜の目の前には維心が浮いて、月夜に向かって手を上げて気を放っていた。
「おとなしくするが良い。主は我が眷属。我が力には敵わぬ。」
月夜は、首を回して維心の方を見ると、キッと維心を睨み付け、そして薄っすらと目を光らせた。
「…主か、龍王。なぜに我などのためにこのような果てまで参った。」
維心は、片眉を上げた。目が光るのは、心底怒っている時なのだが、自分はこの前世の甥にあたる月夜と、それほど面識はない。いつもうんざりするほどいろいろな神に恨まれて来たものだが、この月夜に関して、こんな目で見られるようなかかわりが、そもそもないのだ。
維心が言葉を返そうと口を開くと、蒼が先に追いついて来て、月夜の前に出て睨みつけて言った。
「月夜!維心様はオレのために共に来てくださったのだ。お前がそうやって生きて存在しているのは、誰故だと思っている。龍の王族と月の血が混ざって存在しておるのだぞ。主の生き方にとやかく言うつもりはないが、その前に主は父に説明する義務があろうが!」
今や同い年のような二人だったが、蒼には月夜を息子として育てていた記憶があった。同じように、月夜にも蒼を父として育っていた記憶があった。月夜は、維心の気に拘束されたまま、蒼の前にうなだれた。
「…は、父上。」
十六夜が、そんな月夜と蒼の間に割って入った。
「まあまあ、とにかくは話だろう。別に月夜がここで暮らしたいなら暮らしてたらいいってお前も言ってたんだし、なんでこんなことになったのか、その理由を聞くために来たんだ。こいつを連れて帰って叱るためじゃねぇ。一旦、月夜の屋敷へ戻って、話を聞こうじゃないか。」
蒼は、頷いた。
「そのつもりだよ。」と、月夜を見た。「主、今出て来た部屋が良いか。それともこのまま、月の宮へ参るか。」
月夜は、息をついた。
「我の屋敷へ。」
それを聞いた蒼は、維心に頷きかけた。維心は、月夜を拘束していた気を消失させる。
そして、蒼と並んで降りて行く月夜の後ろを十六夜がついて行くのを見て、維心は言った。
「…我は戻る。」
十六夜が、驚いて途中で振り返った。
「え、お前行かないのか?」
維心は、首を振った。
「あれはなぜか我にわだかまりを持っておるようぞ。身に覚えは全くないが、それでも何かあるのは確か。我が居っては突っ込んだことは言うまい。先に戻っていよう。近しい身内だけで聞いて参るがよい。」
維月が、十六夜に続こうとしていたが、急いで戻って来て、維心を見上げた。
「維心様がそうおっしゃるのなら、私も。」と、十六夜を見た。「私達、ずっと龍の宮に居って、月夜と四六時中接しておったわけではないわ。もしかしたら、何かあるのかもしれないし、私も維心様と一緒に戻る。十六夜は、蒼と一緒に月夜の話を聞いて来て。でも、後からきっと何を話したのか教えてね。」
十六夜は、前世月夜が居た頃のことを思い出していた。あの頃、まだ月の屋敷から月の宮へと移ったばかりだった。維心は相変わらず維月を龍の宮に置いていて、時に里帰りする維月を追って来た時ぐらいしか、月夜と接することが無かったはずだ。維月も、同じぐらいの頻度であったし、戻っていた時も、常に側に居たわけではない。月夜の中で、一番近いのは恐らく蒼と十六夜だけだろう。
十六夜は、維月の手を握って頷いた。
「分かった。じゃあ聞いて来る。」と、維心を見た。「維月を頼む。」
維心は頷いて、維月を抱き上げた。そうして、月が昇り始めた空を、南へと向かうと、一瞬で見えなくなった。
十六夜は、蒼と月夜を追って、あの月夜が居た屋敷の部屋へと降りて行ったのだった。
維心は、維月を気遣って自分一人で飛ぶよりもゆっくりと飛んで龍の宮へ到着した。居間へと降り立つと、それを気取った侍女が入って来て、頭を下げた。
「お帰りなさいませ。」
維心は、頷いて言った。
「茶を。」
侍女はもう一度頭を下げるとそこを出て行く。維心は、じっと黙っている維月を促していつもの椅子へと並んで座った。
「維月、どちらにしても、あれの失踪の原因が分かるのだ。壮健であったし、まずは良いではないか。案じるでない。」
維月は、フッと息をついて顔を上げた。その表情は、もう思いつめたようではなかった。
「…分かっておりますわ。あの子はあのようにすっかり成人しておりましたし、あの子なりに考えがあってああしてあの地で暮らしておったのでしょう。もう大人になったあの子を見て、私の中ではいつまでも小さな子供だったことに気付いたのですわ。維心様と思うほどにしっかりと威厳のある様になっておって…私が悩んでどうなるというわけではないと思いました。何を言ってもあの子が納得しなければ進まないのですものね。」
維心は、思いのほか落ち着いた様子の維月に、ホッとした。侍女が、茶を二人の前に置いて頭を下げて下がって行く。
それに口をつけていると、兆加が入って来て頭を下げた。
「王、ご帰還と聞きましてご挨拶に参りました。王妃様のご様子も落ち着いていらっしゃるようにお見受けして安堵致しておりまする。」
維心は、朝大騒ぎで予定を空けさせたのを思い出し、苦笑しながら頷いた。
「主も知っての通り、蒼のたった一人の皇子が見つかって今まで対応しておったのだ。今、蒼と十六夜が本人と話しておるところ。我が眷属、我が血筋に繋がるものであるし、我も今後を見守らねばならぬと思うておるところよ。維月もようやっと見つかった皇子が壮健で立派に育っておったので、落ち着いておるのよ。」
兆加は、神妙に頷いた。
「さようでございまするか。瑤姫様の御子となれば王とかなり近い御血筋であられまするし、龍であられるのですから見つかったことは大変に喜ばしいことでございまする。それで、明日からのご予定はどういたしましょうか。王に於かれましては、明日以降も謁見が詰めておりまして、これ以上別の日に振り分けるとなるとかなりの過密なご予定になってしまうかと案じておるのですが…。」
維心は、フーッと息をついて、横を向いて手を振った。
「ああ、明日からは良いわ。どうせ明日は今日の分が回って来て午後からも謁見で埋まっておるのだろうが。これ以上一日中縛られてはたまらぬからの。」
兆加は、ホッとしたように頭を下げた。
「は。では明日より通常のご政務ということで。」
維月は、それを聞いて気遣わしげに維心を見上げた。
「維心様…私があのように嘆いておったから、明日から無理をお掛けするようなことになってしもうて申し訳ありませぬわ。本当に…ご心配をおかけしてしもうて。」
袖で口を抑えて下を向く維月に、維心は肩を抱いて首を振った。
「良い。主は気にすることはないのだ。己の宮のことを己の宮で解決することも出来ぬで我に陳情に来る奴らが悪いのだ。精査させておる臣下も臣下よ、最近緩いのだ。なんのための精査ぞ。あのように大勢の謁見を受けおってからに。誠に龍王に目通りを許すほどの案件なのだと自信を持っておるのだなと会合で詰めようと思うておるところよ。」
下がろうとしていた、兆加がギョッとしたような顔をした。維月は、慌てて首を振った。
「まあ維心様、そのような。皆維心様に目通りするのを長く待っておるのだと申しまするし、そのように厳しくしてしまったら、会える神が少なくなってしまって…」
維心は、フンと鼻を鳴らした。
「そもそも龍王とは、そのように軽々しく対面出来るものではないのだ。臣下達がそのようにしてしもうたくせに、謁見はポンポン入れて来よるのが矛盾しておると言うのよ。我は、この機会にしっかり基準を見直そうと思うておる。」と、兆加を睨むように見た。「そのつもりでの。」
兆加は、慌てて深々と頭を下げた。
「は、ははー!」
そうして、急いで出て行った。恐らくは、他の重臣にこのことを知らせようとしているのだろう。
維月は、少なからず自分の行いがきっかけになって維心がこんなことを言い出したので、ため息をついた。確かに、最近は謁見が増えていて、そう困った案件でも、維心でなければ解決できないような案件でもないと聞いていた。維心が若くなって言いやすいと言うこともあったのだろうが、確かに前世五代龍王だった時と比べたら、かなり神と会っていたのも確かなのだ。
維月が複雑な顔をしているのに、維心は兆加を見送って上機嫌で維月を見た。
「さ、では湯殿へ行って寝る仕度をしようぞ。どちらにしても、十六夜が知らせて参るのは明日になろう。参るぞ、維月。」
そうして、維心と維月は、その日はそのまま休んだのだった。




