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新月

蒼と月夜は、先ほど月夜がじっと座っていた部屋へと足を踏み入れた。

十六夜は、まだ降りて来ていない。月夜は、さっき座っていた場所へと座り、その前の座布団へと蒼を促した。

「そちらへ。」

蒼は、頷いてそこへ座った。すると、十六夜が追いかけて窓から入って来て、蒼を見て言った。

「維心と維月は帰るってさ。身内で話した方がいいって。」

蒼は、黙って頷いた。月夜は、それを聞いてピクリと眉を動かした。

「…維月?」

十六夜は、何も言われないのに蒼の隣にどっかりと胡坐をかいて座りながら、頷いた。

「ああ、来てたんだよ。維心の後ろに庇われてたから見えなかっただろうがな。」

月夜は、グッと眉を寄せた。十六夜は、怪訝な顔をしたが、何も言わなかった。

シンと静まり返る。蒼が、険しい顔のまま、言った。

「…では、話を聞こう。残念ながらあれほどに嘆いて案じていた瑤姫はもう世にないが、オレが話を聞く。あの日、瑤姫が部屋から出て寝入ってから、一体何があったのだ。」

瑤姫と聞いて、月夜は少し顔を歪めたが、しかしすぐに立ち直り、蒼をその青い瞳で真っ直ぐに見据えて、言った。

「…我はあの頃、まだ身は人で言う6歳ほどの大きさでした。あの日、母上が部屋を出られてすぐの頃に、侍女が入って参りました。その侍女は、まだ人の屋敷で住んでおった幼い頃から我の世話をしておった信頼しておった女。我は、何の警戒心も持たずに、起き上がってどうしたのかと問いました。」

蒼は、黙って聞いている。

月夜は、そのまま自分のこれまでを話し始めた。



幼い月夜は、起き上がった。

「…小菊(こぎく)?どうしたのか?」

瑤姫を乳母、侍女達に育てられた月夜は、幼い頃からもう、神の話し方のそれだった。小菊という侍女は、慌てたように月夜の側へと駆け寄って来た。

「月夜様…我は、聞いてしもうたのでございます。月夜様はお利口であられるのでお分かりになるはず。どうか、我の言うことをよう聞いてくださいませ。」

月夜は、いつも世話をしてくれている侍女なので、素直にこっくりと頷いた。

「申せ。」

小菊は、ゴクリと唾を飲み込んで、小声で言った。

「…月夜様、このまま、この月の宮に居ってはなりませぬ。我は、聞いてしもうたのです…王と、龍王様のお話を。月夜様は、こちらでお育ちになれば、無事ではおれませぬ。」

月夜は、びっくりして小菊の顔をまじまじと見た。

「え、父上と叔父上が?」

二人とも、殺気など感じたことはない。だが、小菊は何度も頷いた。

「今は御身お小さいので良いのですわ。ですが、王は月であられて不死。龍王様に於かれてはもう1700歳であられまするが、皇子が居られ、龍の宮でお世継ぎとしてお育ちであられまする。ここは月の宮で、月でなければお世継ぎにはなれませぬ。月夜様は龍族であられるので、こちらのお世継ぎにはなれないのです。しかも、王は不死であられるのでお世継ぎなど必要なく、月夜様がお育ちの後、処遇に困られると。龍王様にも、龍で、しかも月の力も少し継いでいる月夜様が居たら、ややこしい事になるとおっしゃって。」

月夜は、胸がドキッと波打ったのを感じた。

月夜は、歳の割りには大変に頭の良い子だった。恐らくは、龍王の血筋であるからだろうが、他の誰よりも頭の成長は早かった。

なので、侍女が言うことが、確かに有り得ることなのだと分かってしまった。

「…では、もしかして、龍王様は我が居ると、皇子と争うことになると?」

侍女は、何度も頷いた。

「やはり月夜様はただの御子様ではありませぬ。その通りでございます。将来宮が乱れる元になるゆえ、このままにしておくことは出来ぬ、幼いうちに処分しておかねばならぬと。」

処分…。

月夜は、その言葉の意味を知っていた。神世では、王座争いが起こることがあるのは知っている。そうして、宮が中で争っている間に、回りの宮に付け込まれて攻め込まれてはならぬので、王は争いの元になる子を世継ぎと決めた者以外を処分してしまうことがあるという…。

自分は、龍の宮の争いの元になるのではと思われて、消される。

「だが…だが、父上は?」

侍女は、悲し気に袖口で口を押さえて、首を振った。

「王は…何しろこの宮も、全て龍王様から送られた物でございます。龍王様からそのように求められて、逆らうことはお出来になりませんでした。近いうちに、あちらの手の者が結界を抜けて、月夜様を狙って参ると。王は、その時知らぬふりをするように申し渡されておりました。」

月夜は、愕然とした。ならば…父上は我を見捨てられた。確かに、この宮と臣下のことを考えれば、我一人のことで済むのならと考えられてもおかしくはない…。まして、母上はその龍王の妹。そして祖母は龍王の妃なのだ。離れられるわけはないし、龍王の言うことに、逆らえるわけはない。

「我は…我はどうすれば…。」

小菊は、月夜の両肩を抱いた。

「月夜様、小菊がお連れ致しまする。月夜様のお力なら、月の結界は気取られずに抜けられる。そうして、我の里へ参りましょう。さすれば、潜むことが出来まする。すぐに龍の追手はかかりましょうが、その御身の気を隠して、じっと潜んでおれば、誰にも見つけることなど出来ませぬ。お小さい頃からお育てしたのですもの。このようなことで、月夜様を殺させたり致しませぬ。」

「小菊…。」

月夜は、小菊を信じた。小さい頃から、ずっとついていた侍女だった。瑤姫の信頼も厚い。その小菊が、嘘を言ってこの宮を出るメリットなどないのだ。ここに居た方が、遥かにいい生活が出来るはずなのに、自分のためにそれを捨てようとしてくれているのだ。

小菊は、涙ぐみながら、微笑んだ。

「さあ月夜様。何も案じることはありませぬから。結界外に、我の里の者が迎えに来ておるはずですの。そのままそっと、こちらを出て参りましょう。」

月夜は、頷いて小菊に連れられて部屋を出た。そして、結界は自分の力で小菊と自分を包んですんなりと抜け、そしてそれからは、出来るだけ自分の気を隠して、小菊と二人で必死に小菊の里という場所を目指したのだった。


その日は折よく新月で、月の光は全く降り注いでいなかった。

暗い森の中、小菊と二人で歩いて行くと、前方から、黒い着物を羽織った、甲冑姿の数人が現れた。

「ああ、迎えが。」小菊が、ホッとしたようにその軍神らしき人に歩み寄った。「さあ我の里へ…、」

それは、一瞬だった。

その黒ずくめの軍神の一人が、軽く手を振ったかと思うと、小菊は声を立てる暇もなく、バッタリとその場に倒れた。

「!小菊!」

月夜が、慌てて小菊に駆け寄ると、軍神の一人がその月夜を掴んで、首を振った。

「なりませぬ。この女は、月夜様のお味方ではありませぬ。こうやって宮から連れ出したのは、月夜様を己の側だけに置きたいだけに他なりませぬ。確かに月夜様の御身は龍王から狙われておりまするが、まだ手を下す様子はなかったものを。このように宮を出て参られたなら、恐らくは叛意有りの輩と逃げたと思われて、さっさと消すことを選ぶでしょう。処分する良い材料を与えてしまわれたのです。」

月夜は、絶句した。どういうことだ…小菊が、嘘を言っていたと?

「あれは…嘘であったと申すか。」

軍神は、首を振った。

「大筋は真実でありまする。ですが、宮を出すのは危険に晒すような物と、我ら留めようとこちらへ参った。だが、遅かった。こやつの里の者とかいう輩は、我らが処分しておきました。あれらに吐かせたところによると、月夜様が瑤姫様に似てそれは美しいお子であられ、あの侍女はおこがましくも育って末を己の伴侶にしたいと、月夜様をお育てしておったとか。いつか連れ去ることを考えておったが、龍王の企みを知り、事を急いだのだと聞き申した。月夜様、強くおなりくださいませ。これからは、月夜様に大変に厳しい事になりまする。今は、龍王には敵いませぬ。ゆえ、逃げて潜むしかない。恐らくは明日から四方に龍軍が飛んで、大変な騒ぎになりましょう。龍王が諦めるまで、逃げ延びねばなりませぬ。我らと、共に参られますか?」

月夜は、呆然とその男の話を聞いていたが、驚いて見上げた。

「…主らと?主らも、共に追われることになろうぞ。」

その軍神は、顔を隠している黒い布を下ろして、苦笑した。

「どうせ、我らはお尋ね者なのです。そのように幼い御身で同じ境遇である月夜様が、不憫に思ったゆえのこと。これからは、己で考えて行動せねばなりませぬ。お出来になられるか?」

月夜には、選択の余地はなかった。どちらにしても狙われているのなら、これらに賭けて、共に行くしかない。

月夜は、頷いた。

「我は、主らと共に参る。己のことは、己で守る。だが、我の身が大きくなるまで、主らにも手助けしてもらいたい。」

その軍神は頷いて、月夜を抱き上げた。

「我は、明玄(めいげん)。では、共に参りましょうぞ。我らの、隠れ家へ。」

そうして、月夜は明玄に抱かれて、その森を離れた。

その日は新月で、それから月夜は、名を新月と変えて、呼ばれることとなった。

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