訪問者
公青は、沈んで行く日を見ながら、公明が戻るのをイライラと待っていた。
会合には、これほど時間は取らないはずだ。終わったらすぐに戻るようにと公明には言いきかせておいたが、それでもまだ戻るという先触れも無かった。
同じように戻るのを待っていた臣下達も、不安げにしている。
もしかして、何かあって龍は公明を宮へ留めようとしているのではないのか。
公青は、公明を行かせたことを、後悔し始めていた。
すると、暮れて暗くなって来た空を、隼人が戻って来るのが見えた。公青が自分の結界にかかったのを感じて居間で待っていると、隼人はそこへ入って来て、待ち構えていた臣下達と公青の前に膝をついた。
「王、ご報告に戻りましてございます。」
公青は、眉を寄せて険しい顔をした。
「主だけか。公明は?」
隼人は、ためらいがちに顔を上げた。
「公明様は、あちらで本日は他の王と同様にとどまられ、明日の朝こちらへ戻られるとのこと。」
臣下達は、顔を見合わせている。公青は、ますます眉を寄せた。
「どういうことぞ?あれには、終わったらすぐに戻れと申しつけておったはず。」
隼人は、伏し目がちになりながら、それに答えた。
「は…確かにそれは、公明様も承知されておりまするが、あちらには紫翠様、明蓮が滞在しており、そちらの話が大変に学びになるため、しっかりと聞いてから帰りたいとおっしゃられて。東の様子など明蓮は詳しく知っており、それを自分も学んでおかねばと。」
皇子が、父王の言いつけを守らずに勝手に学びのためにあちらに留まると決めたと?
公青は、目に見えて腹を立てて、顔を赤くしながら唸るように言った。
「…我の命を違えて、あれはあちらに滞在したと?学ぶとて、数時間で学べることなど無いであろうが。すぐに帰れと申せ!」
じっと聞いていた臣下が、公青をなだめるように横から言った。
「王、しかしながらもう日も落ちて参っておりまするし、ここはあちらの宮へお泊りになる方が自然ではないかと…他の王も宴に出ておって明日宮へと発つのでありましょうし。」
公青は、それを聞いて臣下を睨みつけた。
「何を言うておる!あれは我の命を無視しておるのだぞ?!我の名代で参っておるというのに!戻って会合の様子を報告するのがあれの務めであろうが!」
隼人は、公青を見上げて一歩も退かない視線を向けた。
「王。公明様が会合にお出になったとて内容のことなどここで王にご報告出来るほど、成長されてはおりませぬ。本日は月の宮王蒼様に面倒を見られてやっとのことであったとか。相留も伊佐も会合の席まではお供出来ぬので、内容までは分かりませぬ。公明様が何か実のあることをと、明蓮から学びたいとおっしゃるのも宮のためなのではないかと思われまする。」
公青は、隼人を睨みつけて手にあった扇を投げつけた。
「何を申す!父の命であるぞ!」
隼人は、飛んで来た扇をサッと片手で受け止める。今までの隼人なら甘んじてそれを額で受けただろう。公青が驚いて両方の眉を上げると、隼人は立ち上がって、言った。
「王は分かっておられぬ。今の王は王ではあられぬ。気の大きさではありませぬ。我が仕えていた王は、そのような肝の小さなことはおっしゃらなかった。だからこそ、我は王と頂きお仕えして参りました。我は、ただ今は王と頂いておるのは公明様。公明様の方がより、宮の大事を知られ、宮の将来を見据えて考えていらっしゃいまする!」
臣下が、息を飲むのが聴こえる。公青は、激昂して手を振り上げた。
「逆らうか!」
公青の手から、気弾が飛んだ。臣下達は必死に自分の頭を庇って床に伏せる。しかし軍神である隼人は、スッとその気弾を落ち着いて片手を上げると、簡単に叩き落とした。
明るい閃光が一時瞬くが、すぐに公青の気弾は跡形もなく消える。公青は、歯ぎしりした…そうだった、今の自分の気は、この隼人と同じぐらい。戦ったとして、勝てるかどうか五分五分だろう。いや、常に緊張した場面で立ち働いている隼人の方が、今は恐らくは有利かもしれない。
それを、隼人は知っているのだ。
臣下達も、それを見てその事実に気付いて愕然としている。じっと睨み合う公青と隼人を代わる代わる見て、じりじりと後ろへと下がりながら、どちらにつくでもなくこちらを見ていた。
隼人は、公青を睨み返していたが、フッと悲しげに視線を緩めると、頭を下げることもなく、言った。
「…公明様のお供をせねばなりませぬ。龍の宮へ戻りまする。」
そうして、公青からの返事を待つこともなく、踵を返すと窓から夜空へと飛び立って行った。
そうなっても、残った臣下達は何も言わずに、ただ顔を見合わせているだけだ。
公青は茫然と隼人を見送っていたが、今さっき気を発して上げたままになっていた手をぐっと握り閉めると、狼狽した目でただ公青を黙って見ている臣下達には目もくれずに、夜の庭へと物凄いスピードで飛び出して行ったのだった。
公青は、ただ闇雲に自分の宮の結界内を飛んだ。
今まで、全力で飛んでこんなに遅いことはなかったのに、久しぶりに外気に触れながら一心不乱に飛んで、自分の気が本当にあの大きさを失ったのだと実感した。
いつか戻る、気が小さくなったままだったとしても、そのまま統治していればそのうちに戻るはずだと、そうすればすべてはまたもとに戻るのだと公青は思っていた。
だが、そうではなかった。
王が王として君臨していられるのは、その気の大きさだけではなく、常に民を守り宮を守るために考え、それを考えて行動することだったのに。
翠明も、安芸も、甲斐も、定佳も、あの気の大きさであっても王として多くの宮を傘下に置いて君臨していた。自分は生まれながらの気の大きさに甘んじることなく、全てを考えてこの島を安定させるために、生きていたのではなかったか。
それが、少し呆けていた間に離れ、焦るあまりに宮の存続だけでなくその地位を守ることに固執して、するべきでない判断をし続けてしまっていた。
そしてそんな自分を、間近に見ていた筆頭軍神に知られ、見放されてしまったのだ。
つまりは、宮で自分の次に力を持つ存在であった隼人に、仕えるにたる王ではないと判断されてしまったのだ。
このままでは、臣下達も皆自分を離れ、隼人に倣って幼い公明を王として、細々と宮を存続させることを選ぶだろう。
気が付くと、自分の宮の結界の端まで来てしまっていることに気付いた公青は、ハッと空中で止まった。
宮の結界…今は、自分の結界を出る勇気は、公青には無かった。
これまで、世に怖いものなど何も無かった。生まれながらにこの気であったなら恐らくこれほどに恐れはしなかっただろうが、急に力を無くした自分には、とてもこれ以上遠くへ一人で向かえる気持ちにはなれなかった。
そんな自分が情けなく、公青はその綺麗に刈り込まれた芝の上に降り立って、座り込んでうなだれた。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
公青は、奏に会いたかった。王としての資格なしと臣下一同に背を向けられ、ここを追放されたのは奏ゆえだった。奏さえ居れば何も要らないと思って、自分で判断したことだった。今も、奏さえ居てくれれば、何もいらなかった。だが、その奏が居ない。あの時自分を庇った隼人さえも今の公青には見切りをつけている。公青はもう、どうしたらいいのか本当に分からなかった。
公青が芝の上に手をついて、下を向いてじっとうなだれていると、目の前にある結界の向こう側、生い茂る木々の間から、低い声が聴こえて来た。
「…その気、元へ戻したいと思われるか。」
突然のことに、公青は弾かれたように起き上がった。今の自分は、その辺の軍神にすら劣るはず。今襲われたら、ひとたまりもない…!
じっと声がした方向に目を凝らして構えていると、また声がした。
「理不尽だと思われぬか。妃が亡くなって少し休んでいただけではないのか。主に罪はない。」
公青は、見えない誰かに声を張り上げた。
「誰ぞ!?」
すると、木々が動いたように見えた。
そちらを見ていつでも攻撃出来るように構えながら警戒していると、木々の間から歩み出た影は、結界の手前で立ち止まり、こちらを見た。
「公青殿。我は主に会いに参った。瀬利と申す。」
その相手は、黒い着物で己の甲冑を隠していたが、髪は黒く、目は月明かりで透けて薄い青のような、銀色のような感じだと分かった。見たこともない風貌だ。しかし、端正な顔立ちなのは間違いなかった。神の中でもここまで整った顔立ちはあまりなく、力のある神が美しい女を娶った結果と思われるので、大概が王族であるのが通常の考えだったが、公青はまだ会ったことのない男だった。
「瀬利?聞いたこともない。」
公青が警戒したまま言うと、瀬利というその男はフッと薄っすらと笑った。
「己が知る神ばかりではなかろうが。我らのようなはぐれ者を、全て把握しておるとお思いか。」
公青は、驚いた顔をした。はぐれの神?これが?この、おおよそそこらには居そうにない美しい顔立ちの、洗練された動きをする男が?
「…偽りを申すか。主はおおよそはぐれの神などという風貌ではないわ。」
瀬利は動じることもなく答えた。
「はぐれの神の、何を知っておられるのだ。それよりも主、我がこの宮の結界までたどり着いたのは何故なのか不思議に思わぬか。主には領地の結界もあろうが。」
言われて、公青はやっと思い立った。そうだ…この男は宮の結界には入っていないが、自分の領地の結界の方は抜けて来ているのだ。だからこそ、ここに居る。しかも自分は、それを気取りもしていなかった…。
「主…!我の結界をどうやって抜けて参った!」
瀬利は、諦めたように息をついた。
「困ったことよ。気を失ったことは余程主の心の重荷になっておるようよ。そんなことにも言われねば思い当たらぬとはの。主は本来、愚かな王ではない。早う気持ちを整えよ。そうせねば主、朽ち果てるまでそのままぞ。」と、チラと後ろを見た。「…そうよな、あまり長居はしとうないのだ。何しろ、月も居れば地も居るのだからの。そこで主に問いたい。主、我と参るか?」
公青は、思ってもなかったことに、目を丸くした。今会ったばかりの男と、ここを出ろと?
「我に何の利があると申す。ここは我が宮ぞ。はぐれの神に成り下がれと?」
瀬利は、辛抱強く首を振った。
「宮など後から取り返せば済む。主とてそれは分かっておるはずよ。ここに居っても飾りの王ぞ。皇子は言うことを聞かず、筆頭軍神には背かれ、臣下も遠巻きに見ておるだけ。主は気を取り戻さねばならぬ。そうして再び西の島の王として君臨するのだ。そのために、ここを出るのだ。我はどっちでも良いのだぞ?あまりに主が不憫であるから迎えに参っただけぞ。どうするのだ。」
公青は、呆気に取られて瀬利を見つめた。この男は、今さっき話していたことまで知っている。自分の結界も軽々と抜けて来て、そうしてここに居る。この男なら、恐らく自分が庭へ出て来なくても、宮の奥まで来て公青に話しかけただろう。自分の結界の他にも軍神達の護りもあるのに、それを軽々と抜けて来ているのだ。
それに、今言われた通り、もう公青には何もなかった。
蒼ですら困ったように微笑むだけで、自分が助けを求めても手出しは出来ないようだった。臣下も何も出来ず、隼人も自分を見限った。息子である公明すら自分に逆らい、ここに居てもこれから先何があるというのだろう。
ここで果てても、いいのかもしれぬ。
公青は、じっとこちらを見つめる男のその、不思議な色の目を見つめ返した。
「…いいだろう。主が何者かも分からぬが、それでも良いわ。ここに居っても我には無用の長物として隠居する未来しかないだろうて。ならばこのまま、主とここを出て死するのも良いかもしれぬ。」
瀬利は、それを聞いて今度はクックと声を立てて笑った。
「死する覚悟をせねば我と来れぬと。」そう言いながらも、瀬利は手を差し伸べた。「まあ良い。我と参れ。気を遮断する膜を被っておるゆえ、主には我の気が見えぬだろうが、共に来てそれを見れば我と来たことが間違っておらなんだと悟るだろうぞ。」
公青は、もう何でもいいとその手を取った。
瀬利は、宮の結界から抜けて来た公青の手を掴み、そうしてそのまま、木々の暗い間を抜けて物凄いスピードで公青の領地を離れて、東へと向かったのだった。




