夜
明蓮と紫翠にいざなわれて行った奥宮にあるそこは、大変に広い落ち着いた雰囲気の居間だった。
公明は、王の居間でもないここは、恐らく皇子皇女の居間なのだろうな、と推察していた。しかし、今龍の宮に居る王族は第一皇子の維明、第二皇子の維斗だけのはずなので、第一皇子が別に対を持っていると聞いているここでは、恐らくここを使うのは維斗という皇子だけだろうと思った。なので、王妃はここを紫翠と明蓮に使わせているのだろう。
紫翠は、慣れたように側の椅子へとよじ登って座った。
「どこなり座るが良い、公明。」
明蓮も、紫翠の斜め前の椅子へと腰かけている。公明は、苦笑しながら紫翠の前の椅子へと座った。
「まるで己の宮のように申す。主は居候であろうが。」
紫翠は、赤子の姿なのにしっかりとした視線で公明を見て、手を振った。
「ああ、良いのだ。どうせどこへ行こうと我は皇子であるしの。父上の宮と同じように奥に住まわされておるし、維月様も己の宮と同じと思えと申してくれておる。そのうちに主のように政務だなんだと面倒になるのだから、赤子の姿のうちは甘えさせてもらうつもりよ。」
赤子の口から出たとは思えない言葉に公明が唖然としていると、明蓮が苦笑して公明を見た。
「我だけの時はいつもこのようなのだ。前世の成長した記憶は抑え込むと申しておったのにこれよ。」
紫翠は、心外な、という顔をした。
「主は知っておるのに、赤子らしゅうなど今更であろうが。これでも気にしておるのだぞ。赤子がこのような口を聞いたらどう思うかいちいち考えて話しておるわ。主らと居る時ぐらい、良いではないか。」
公明は、仕方なく頷いた。
「まあ知っておるのは我らだけであるし。良いとしようぞ。」
明蓮が、それを見て苦笑していたが、公明を見て気遣わしげになった。
「だが、父王の命を違えて良いのか公明。先ほどこちらへ来る時に隼人が迎えに参っておったではないか。我から東を学ぶなどと申しておったが、こんな僅かな間にそんなことが出来ぬだろうに勘気を被るのではないのか?」
公明は、眉を寄せた。
「良いのだ。隼人も反対せなんだではないか。」と、膝の上に肘をついて、そこへ顎を乗せた。「…最近の、父上がおかしいのだ。」
紫翠と明蓮は、顔を見合わせた。おかしい?
「…それは、妃を亡くされてということか?」
紫翠が言うと、公明は首を振った。
「確かにそれがきっかけであろう。だが…」と、少し黙った。そして、声を落として続けた。「ここは奥であるし、侍女の気配もないゆえ、主らには申す。父上は、翠明殿を呼びつけて己の良いようにしようとなさったようぞ。我には臣下達は何も言わぬが、隼人がここへ来る前に教えてくれた。あれは、最近では我によういろいろ報告してくれる。父上は紫翠を宮へ寄越せと申して、翠明殿がそれを承諾せぬとなれば捕らえて牢へ繋いだのだそうだ。」
明蓮が、険しい顔をする。紫翠は、驚いて身を乗り出した。
「して、父上は?ご無事であろうの?維月様は何もおっしゃっておらなんだ。母上と毎日文を交わしておられるし、大層なことは起こっておらぬはず。」
それでも、紫翠は心配そうだった。綾から何か言って来ていても、維月が自分に黙っている可能性があるからだ。
公明は頷いた。
「大事ない。翠明殿は宮から逃れて己の宮へ帰られた。その時、碧黎という地の化身が現れて、翠明殿を救ったのだと聞いておる。父上は…その時に、ご病気になられた。」
紫翠は、ホッとした顔をする。しかし明蓮は、険しい顔のまま公明を見た。
「ならばマズいのではないのか。此度の会合では、その事は?」
公明は、首を振った。
「いや、何も。我は公には何も知らぬことになっておるゆえ、そのせいではないかと思うておる。だからこそ、父上は我をここへ来させたのではないかとも。」
明蓮は、考え込むような顔をした。
「…困ったことよ。ならば主の父は王座を退くよりないのではないのか。主なら罪はないが、戦にでもなったら宮ごと滅しられる。その時は主とて同罪よ。唯一の道は、王だけが責任をとって皇子に殺されること。そうすれば、皇子は罪はなかったのだと判断され、宮も残る。」
紫翠も、公明も息を飲んだ。明蓮は、睨むように公明を見ながら続けた。
「前例がある。我はこの宮の歴史書を読んでおるから。龍王が統治するようになってから、こちらの地は太平であるが、それを乱そうとするものは王は容赦なされない。王に敵うものなど、神世には居らぬ。主は何としても、戦を回避せねばならぬぞ公明。」
公明は、愕然と明蓮の話を聞いていた。あちらではついぞそんなことはなかったが、こちらでは宮の数が多い分、たくさんの争いがあったのだと聞く。明蓮はそれに精通しているのだから、言っていることは恐らく間違っていない。だとすれば、我は王座に就かねばならぬのか。あの父上を、退位させて…。
「…難しい。」公明は、唸るように言った。「我が成人近くまで育っておれば、それも可能であったやもしれぬ。だが、今はならぬ。頭の中ばかりが育っておっても神世では認められぬ。軍神達もついては参るまい。我は、まだ立ち合いもそううまくはない…。」
うなだれる公明に、明蓮は膝を進めた。
「案じるでない、公明。主は既に、隼人を味方につけておる。」
公明は、驚いたように顔を上げた。
「隼人を?なぜにそう思う。」
明蓮は、頷いた。
「主、隼人からことの次第を聞いておるのだろう?父王からの命でないのは確か。なぜなら、主に知らせるのなら己で知らせれば良いのだからの。わざわざ隼人に伝えさせる必要はない。」
公明は、うんうんと頷いた。
「それで?」
明蓮は続けた。
「先ほどのことよ。おかしいと思うてはおったのだ。隼人は、主がここへ残ると申したのに、反対せなんだ。隼人が仕えておるのは公青様。軍神は王の命には絶対に従う。本来なら、主を諫めて無理にでも連れて帰るのがあれの務めよ。だが、あっさりと主の命に従った。なぜなのだ。」
公明は、ハッとした。確かにそうだ。隼人は、全く反論もせず頭を下げて、宮へと知らせをと出て行った。あのようなこと、これまででは、考えられなかった。
「…ならば、あれは我に仕えておると申すか。父のことは、もう?」
それには、明蓮はため息を付きながら椅子へと背を預けながら答えた。
「恐らくはの。隼人は、公青様が主の母を娶って追放された時、皆に王座へと押されたほどの軍神だと聞く。世の動きもよく見えておって、我が今言うたようなことはとっくに分かっておるのではないのか。だからこそ、王として仕えようと決めた主に報告をし、主の命に従う。我は、そうではないかと思う。」
公明は、考え込む顔をした。隼人が…ならば我はまだ、宮を守るため、父を下ろして王座へ就くことが出来るやもしれぬ。
「良いことを聞いた。」公明は、真面目な顔で明蓮を見て、言った。「いよいよとなれば、我が王座へ就くと隼人に申して策を練ろう。実は…父の病は、病ではないと我は隼人から聞いておるのだ。」
それには、紫翠も明蓮も目を見開いた。
「仮病ということか?」
公明は首を振って、もっと声を落として言った。
「碧黎が、父と翠明殿の気の大きさを入れ替えた。隼人は、その場に居て碧黎の言うことも聞いておって、我にそれも事細かに報告してくれた。ゆえに父は、もう一生あのままであろうの。」
紫翠は、びっくりしたように小さな手で口を押さえた。
「ならば父上は、今気が大きくなっておると?ゆえに本日も、会合に来なんだと…。」
明蓮も驚いた顔をしていたが、スッと冷静な顔になった。
「ならば翠明様は、戦を避けようとなさっておる。それが誠なら、一気に攻め滅ぼすことも可能であったはずなのだ。己が捕らえられたのであるから、報復だと言えば神世に示しもつくしの。だが、それをしなかった。翠明様は大変に賢明な王であられるようぞ。」
公明は、それを聞いて黙り込んだ。翠明は賢明だった。だが、公青がそうではないと判断されたため、気を取り上げられてしまったのだ。
明蓮は、息をついて天井を仰ぎ見た。
「それにしても…地というのは何という力を持っておることよ。生まれ持った気の大きさを変えることが出来るとは、我は聞いたこともない。これは神世に知られたら、大変なことになるであろうぞ。案じられることよ…。」
相変わらずの明蓮の視野の広さに、公明は感嘆した。龍王の血と、月の維月の血をもった母が居るという明蓮は、生まれた時から何か自分とは別のものを頭に持っているのではないだろうか。
まてよ、月…。
「…明蓮、主、もしや地と縁繋がりなのではないのか。主の母は龍王の皇女であろう?龍王には月しか妃が居らぬし、その月は、地の娘なのでは。」
明蓮は、チラと公明の方を目だけで見た。
「血など薄まっておるわ。我にあの曽祖父の力があれば享などの術にはかからなんだと思うぞ。我は普通の神ぞ。」
とてもそうは見えないと公明の紫翠も思っていたが、ふと、紫翠が顔を上げた。
「…維月殿の気配が近付いて来る。我を迎えに参ったか。」
明蓮は、窓の外を見上げた。
「もうそんな時間か。」
気配の方を振り返ると、仕切り布が揺れて優しい声がした。
維月は、そろそろと紫翠を訪ねて奥宮の王族の居間へと足を踏み入れた。
ここは、瑠維や維斗、維明が集まって話をしたりと使う場で、維心の居間まで呼び出すまでもない場合は、維月も維心もよくここまで来ては、子供達と話していたものだった。
今となっては、瑠維は嫁いで維明は皇太子の対へと移り、維斗しか使っていない状態で、紫翠が来てからは明蓮と紫翠がよく使っていた。
今はそこへ、公明も来ているはずだった。
脇の仕切り布を避けて覗くと、思った通り三人が向かい合って座っていて、維月が来るのを気取っていたのかこちらを見上げていた。
「お邪魔したかしら。そろそろ眠らねばならない時間かと様子を見に参ったの。紫翠、少なくともあなたはもう休まなければね。こちらへおいでなさい。」
紫翠は、素直に立ち上がると、維月の差し出した手に向かって歩いて来た。
「はい、維月様。」
維月は、あまりに愛らしいので身悶えそうだったが、こらえて紫翠を抱き上げた。
「まあ良い子ね。愛らしいこと、紫翠は。」と、明蓮を見た。「明蓮、あなたもあまり夜更かしはいけないのよ?ですけれど本日は公明殿がいらしておるから多目に見てあげましょうほどに。常、良い子であるから、特別ね。」
維月は、軽く片目をつぶってウィンクした。明蓮は、嬉しそうに維月を見上げて頭を下げた。
「はい、王妃様。ならばこれよりは、我の部屋へ移りまする。」
維月は、少し考えて、頷いた。
「わかりました。ならば公明殿も、こちらで休むと伝えておきましょう。褥の準備をさせておくわ。公明殿、ごゆっくりなさってね。」
公明は、立ち上がって頭を下げた。
「は。お心遣い感謝し申す。」
そのませた言いように少し驚いた維月だったが、思えば明蓮と同じように賢い子なのだと、聞いている。維月は、微笑んだ。
「何なりとご不自由のないように。」
そうして、紫翠を抱いて出て行った。
明蓮は、嬉しそうに公明を振り返った。
「公明、話して夜明かしなどあの時以来であるが、それも可能ぞ。今夜は語り明かそうぞ。」
公明は、しかし維月が去った方向を見ていた。
「紫翠も共ならもっと良かったのにの。まああれはまだ姿は赤子であるしな。それにしても紫翠は、維月殿になついておるようよな。育った記憶があるのにあのように。」
明蓮は、公明を促して自分の部屋へと歩きながら、頷いた。
「何やら前世の記憶でも知り合っておったのだとか。大変に世話になっておったのだと聞いたぞ。もちろん、王妃様は紫翠の前世など知らぬから、あくまでも翠明様の皇子として可愛がっていらっしゃるのだがな。」
公明は、明蓮と歩いて行きながら、もう気持ちを入れ替えて考えていた。宮を、守らねばならぬ。父上が宮をどうしたいのか分からぬ。だが、隼人が我についているというのなら、あれと話し合って対策を練らねば。今夜は、とにかく明蓮に相談して状況を正確に把握して先を読んでおかねばならぬ!




