第十五話
草薙涼子。
草薙楓。
ハンス・クレシテャン。
藤堂琢馬。
そして、エーテリンデ。
五人は草薙の庭で、それぞれ血を滾らせていた。
「退魔師たちよ、死ぬ準備は出来たかの。我は一片たりとも手加減することなく、そなたらを殺すぞ」
「わたくしたちを甘く見ないことね。必ずや殲滅してみせます」
「呵々、よう言うた。では、やってみせい」
「言われなくとも」
涼子が動いた。双剣を繰り出し、空間を刻みながら結界を編む。吸血鬼の身体能力も相まって、凄まじい速さで大結界が創りだされる。
空中に蜘蛛の巣のような幾何学模様が浮かび上がる。捕縛結界。魔を相手取るとき、その結界はダイヤモンド以上の強度を発揮する。霊的な網である。
「その程度か?」
しかしエーテリンデが触れるだけで、結界は掻き消えた。
「まだまだ!」
今度は実際に涼子が間合いを詰めての斬撃を繰り出す。直接攻撃。だが、斬撃は赤い剣によって防がれた。エーテリンデの獲物、血刀である。
「貧弱じゃのう。三百年前に我を封じた草薙は、もっとずっと強かったぞ」
斬撃をことごとく血刀にて防ぎ、また、時に斬り返した。涼子の身体に切り傷が走る。吸血鬼の魔力によって付けられた傷は、吸血鬼の再生能力を邪魔するようだった。血が、止まらない。
「姉さん、下がって!」
楓とハンスが前に出る。涼子は傷口に手を当て、退魔の呪いをかける。吸血鬼の呪いと調和し合い、傷が塞がる。
「俺も忘れるなよ」
楓とエーテリンデ、ハンスと琢馬が一対一の構図となった。背後では涼子が援護をする。
楓の陰陽刀が奔り、エーテリンデの爪を切断した。すぐに再生するが、次の斬撃には間に合わない。血刀の斬撃を紙一重で避けて、エーテリンデの腕を狙った。エーテリンデは身を斜めに傾け、斬撃を躱す。
「呵々、こうでなくては面白くないの。楓とやら、おぬし、我の分身と戦い慣れておるな」
「そう。わたしは五年間、あなたの分身と戦い続けてきた」
「では本体の強さを教授してやろう」
血刀が閃き、軌跡を空中に残しながら斬撃を振るう。文様は逆五芒星。楓は中和する五芒星を描きながら、同様に斬撃に対処する。
「吸血鬼の身となった者は、皆一様に速度を存在の上限まで加速できる。つまり、わたしとあなたの斬撃の速度は一緒。あとは練度の問題ね」
「その通りじゃ。そなたは怪異というものをよくわかっておるのう」
「人も、魔も、光の速さを超えることは出来ない。ただそれだけのことだわ」
「昔はそうでもなかったのじゃがのう。人の想念により、魔は形作られる。我もまた然り。汝もまた然り。まったく、この百年で我が身は結構な不便を押しつけられたものじゃて」
「たとえば流水を渡れないこと? それとも日光に弱いことかしら。それとも、銀の銃弾が苦手なことかしら」
「全部じゃ。全部、この百年で我が身に刻まれた呪いじゃ。まったく、人は怪異を退ける方法を編み出し、世に広めた。怖いのう、情報化社会。呵々」
楓とエーテリンデが剣を交える中、ハンスもまた、琢馬と交戦していた。
「前にあったときには随分と世話になったな。これでお返しが出来るかと思うと嬉しいぜ」
琢馬の動きは、全体的に無駄が多い。だが、それでも暴風のような攻撃と、吸血鬼の再生能力は侮れなかった。
エーテリンデの完全復活により、寵児である琢馬もまた、力を増していた。
「黙れ、化け物風情が。何度やろうと貴様は俺には勝てん。成り立ての化け物ごときに負けるほど、俺は耄碌してはいない」
「それはどうかな。俺だって少しは力の使い方を覚えたんだぜ!」
拳をただ突き出すだけで、波動が空間を伝ってハンスを殴打する。吸血鬼の魔力の解放だ。
「草薙! こいつは全部俺に任せて、エーテリンデの方に二人がかりでいけ!」
「プライドが傷つくなあ。まあ、仕方ないことなんだけどな。俺ももうちょっとエーテリンデに訓練してもらえばよかったぜ」
言いながらも、ハンスの聖書の紙片による攻撃を打ち落とし、銀のナイフを血刀で受け止めていた。
楓の言うとおり、吸血鬼の速度は驚異的だった。ハンスの攻撃では、見てから迎撃が間に合ってしまう。
だが、そこはハンスも然る者。紙片にフェイントを混ぜ、また信仰の力を使い、隙を突いては攻撃を届かせている。
涼子がエーテリンデに向かって駆けた。
「呵々、そうじゃな。我の相手は汝ら草薙が懸かるのが道理じゃて」
「三百年前の再現、今ここで起こして見せましょう」
「おう、やれるものならやってみよ。三百年前に我を封じた者も、そなたのような目をしていたわ。何者にも屈せぬ強靱な目じゃ。使命に殉じる戦士の目じゃ。いいのう、その瞳――欲しくなってしまうわい」
轟きと共に、血刀が振り下ろされる。エーテリンデの渾身の一撃。楓は持っていた刀を手放し、衝撃を受け流し、また新たな陰陽刀を生成する。斬撃を刀で受けてはいけなかった。
これからのエーテリンデの斬撃は、すべて回避する必要があった。柔の剣術から剛の剣術へと切り替えたエーテリンデにまともにつきあっていては、身が持たない。
涼子が短刀を投擲する。斬撃によって砕かれた。と同時に、短刀に込められていた呪が発動する。目くらましの閃光。
太陽の光に酷似したそれは、ハンスを除くこの場の者すべてにダメージを与えた。
来ることがわかっていた涼子と楓は、耐え、即行動に移れた。その一瞬が勝負だった。
両手に拳銃を持ち、十二発全段を地面に放射する。先日の、黒いエーテリンデとの戦いの再現だった。
発動する涼子の結界。
以前と違うのは、結界内部にいるのはエーテリンデだけではないことだった。楓が、痛みに耐えながらもこの瞬間を狙っていた。退魔の力に身を焼かれながらエーテリンデに向かって走る。
今しかなかった。誰にとっても。エーテリンデにとってさえ。
エーテリンデは、全魔力を楓のブローチに叩きつけた。
吸血女王の力と、退魔の力を全力で注入された宝石。それはもはや、今までのブローチではなかった。
ブローチの装飾が弾けとび、宝石が砕けた。
宝石は、莫大なエネルギーを周囲に滾らせ、しかる後に収縮した。
顕れたのは、闇だ。何者も吸い込む、真実の闇。ブラックホールの如き、光さえも逃がさぬ空間。
涼子にも、楓にも、理解が及ばなかった。ただ本能が、これが魔そのものであることはわかった。
魔の正体、すべての魔。そういったものが、ブローチの宝石に込められていた。賢者の石。闇を鋳造して形作られた、第五実体。
そしてこれこそが、エーテリンデの目的だった。
エーテリンデは、その闇にこそ用があった。自身を生み出した世界の、その答えを得るために。
エーテリンデは、真祖は、闇によって生まれる存在だった。自らが生まれた意味を、闇が持っている筈だった。
そして答えは、無、であった。
生誕に意味がなかったわけではない。ただ、無であった。闇は闇、無は無、ただそれだけのことであった。
「……そうか。やはり、そうじゃろうなあ」
感慨深げに、エーテリンデは呟いた。
知っていることを、再確認したようなものだった。闇は答えをよこした。それは、エーテリンデの生誕に対する答えだった。
そして対価は、エーテリンデの存在そのものだった。
「……灰は灰に、塵は塵に、じゃ。時代と共にずいぶんとうつろうたが、闇に過ぎぬ我は、闇に帰するのが物の道理。呵々」
闇に触れたエーテリンデの身体が、自壊して逝く。
ここにきて、ようやく涼子達も何が起こっているのかを悟った。郷愁を満たしたエーテリンデは、ここで果てるつもりなのだ。
「先に地獄で待っていなさい。どうせ、すぐに追いつくわ」
「楽しみにしておるわ、我が愛し子たちよ。汝らとの剣楽、悪くなかったぞ。呵々、呵々呵々呵々」
「エーテリンデ、俺も一緒に逝くぞ。短い間とはいえ、俺の生は、エーテリンデに血を吸われたときから、エーテリンデと共にあった。俺の死もまた、エーテリンデと共にある」
「おお、そうか。それはありがたい。世界にただひとりぼっちで逝くのは、なかなかに寂しいことであったからなあ。我は、本当に良い子を持った」
穏やかな表情を浮かべるエーテリンデ。
エーテリンデの手を。琢馬が掴んだ。触れる端から琢馬の身体が自壊していく。
そして、すべてが消え失せた。
――風が薙いだ。慟哭の闇はその口を閉じ、そして、後には何も残さなかった。