あなたを信じ、頼ること (2)
そんじょそこらの貴族の娘より体も心も鍛えられている琳華ですら疲れている。他の秀女たちはもう、身体的にもくたびれ果てていた。疲れに比例し、侍女を叱る声もどうしても強まってしまう。しかしそれらの素行を見聞きした下女たちは全て、上司である女官に報告をしている。
「やっぱり琳華様は淡いお色より濃い色の方が」
朝食後の座学の時間の前。
廊下に出れば朝の挨拶よろしく丹辰の衣裳と化粧の見定めが始まる。もはやこれは二人の日課になっていた。秀女が残りの八人になってから妙に彼女は突っかかってくるようになったと言うか。それに合わせるかのように取り巻きもしらーっとした表情を琳華に向ける。
そんな視線など意に介さない『最年長の年増』である琳華は「丹辰様、今日は一段と華やかでいらっしゃいますね」と普段通りの挨拶を交わす。
比較的丹辰は華やかな色合いの羽織を着ているが今日の髪形もいつもより気合が入っているように見えるのは気のせい……ではないような気がする。
「気分転換も兼ねていますの」
伯丹辰の親も上級官僚だ。何か情報を得て今日、このあと短い時間ながら秀女全員が皇子と直に謁見をすることを知っているのではないだろうか、と勘繰ってしまう。
「そうですね。日々、同じでは……」
「ね、だから琳華様も先日のくっきりとした色合いの紅の方が似合ってらっしゃるわ」
単純に年齢のことを言われているような気もするが琳華自身も淡い色の紅より濃い色の方が合っているとは思っていた。何より濃い色の紅は母が選んでくれた。何となく距離を置いていたが母は娘の肌や顔立ち、それに似合う色をよく知っていたのだ。
「琳華様はお肌も綺麗ですしどのようなお化粧品を使われているのかご教授していただきたいのですが……今日はご予定、空いてらっしゃいますか?」
今日の今日か、とは思ったが付き合いの悪さで角を立てたくはない。しかし今日はこの後に順次、皇子と謁見が控えているので空くのは夕方か。
それを丹辰は知らない、として……その後にお化粧談義。偉明からも別に呼びたてられてはいない。
「是非に。丹辰様のご招待ですもの、よろこんで」
にこっと笑って場を流す琳華は背後に控えていた梢に「そう言うことだから支度をお願いね」と伝えておく。
「わたくしと丹辰様のお部屋のどちらにしましょうか」
「琳華様がよろしかったらなのですが……わたくしの部屋にお招きしたくて」
「ええ、構いません。楽しみにしていますね」
偉明に毒されている気がしてならない。
この笑顔も、声音も、言葉も――すべては皇子の為に、と思ってのこと。あとちょっと自分が宮正になりたいが為に。
ちょっとした下心なくして大役は務めきれない、と言うか使命が大きすぎるのでもっと現実的な心構えや望みを持っていたかった。それは偉明にも相談しており、彼は許してくれている。
そんな彼の「話のスジが通っているなら構わんだろう」の言葉は日頃から若い部下を管理する立場が見えた瞬間だった。でもそれだけで琳華の心は軽くなっていた。
そしてその日の午前中は最悪の滑り出しとなる。
全てを知っている琳華は例外であるが年齢順で皇子との謁見があると通達された秀女たちはいつ、自分が呼び出されて皇子の前に連れて行かれるのかが分からなかったのだ。初めに呼び出されたのは丹辰が取り込んでいた取り巻きの一人、秀女の中で一番年齢が若かった葉。化粧はいつもきちんとしていて問題は無さそうだったのだがやはり心の準備と言う物が出来ていない。
もはや半べそをかきながら女官に東宮まで連れ去られて行った。
ともなれば、次は誰が呼ばれるのか。
秀女たちが集められていたのは寄宿楼の二階部分、下の部屋に化粧を直しに行く事は許されず……俄かに場が荒れ始める。
暫くしてからまた一人、次もまた丹辰の取り巻きの尹が迎えの女官に連れて行かれたのだが一番最初に連れて行かれた葉は未だ帰って来ていない。
「劉家、愛霖様」
残り、五名――琳華の隣の席でじっとしていた愛霖が呼ばれる。部屋に戻ることは許されず、手洗いにも下女がついてきた。唯一、部屋の中に積まれている教本として使っている書物などを読むことは許可されていたので琳華もそれを読んでいたのだが……愛霖も緊張した面持ちで椅子から立った。
「愛霖様。本はわたくしが片付けておきますから、ご武運を」
本をどうしよう、ときょろきょろしていた愛霖に声を掛ける琳華。どうやら極度の緊張をしているらしく言葉にも詰まり、琳華に何度もうんうんと頷いて女官に連れられて行った。
琳華も席から立つと愛霖が読んでいた作法の書を手に広間の前部にある卓に自分が読み終わった物と一緒に返しにゆく。
「あの様子では皇子様とまともに話など出来ないかと……そうは思いません?」
「丹辰様……」
また新しい物を一冊、と琳華が手にしようとした時だった。
「それに何となく、年齢順で呼ばれているように思えます。あとはお家柄?わたくしと琳華様が呼ばれていないとなると」
確かに琳華の年齢は一番上であるが丹辰も次の次。間に他の秀女が挟まっていたがその女性は既に家に帰されていた。伯家の格も周家の下である。秀女同士で話をすることは禁じられていないので琳華は丹辰の隣、空いてしまった葉の席に浅く腰を下ろす。
「呼び順は多分、そうなのでしょう。愛霖様については前にもお話したように偶然、わたくしの隣になって……あとはそう、まだ年齢的なものもありますから緊張されてしまうのも」
「……琳華様が皆に平等にお優しいのは分かります」
人の目がある、と言ってももうこの場にいるのは丹辰の取り巻きの楊と他に二名、そして琳華だけ。廊下には秀女が化粧品を取りに行ったり不正を働かぬよう下女が番をしているが女官は近くにいない。
「そのお心から貴族の幼い子女に向けて家庭教師もされていた、と」
「え……ええ、そうですが」
「わたくし実は以前、お見かけした事があって」
「そうなのですか?」
そんなに近くはないと思うけれど、と琳華は自分の頭の中にある屋敷近辺の絵図を思い浮かべるが……ない。周家は東側、間に商家や繁華街などを挟んでいるので大通りの向こう側へは用がなければ、輿にでも乗る機会が無ければあまり行かない。丹辰の屋敷は多分、そちら側。
「本当に偶然でした。ちょうど琳華様がお帰りになられる時だったと思います。小さな姫君に対してとても礼節に富んだ別れの挨拶をしていらっしゃって」
ああ、と琳華は思う。いつもの帰り際のアレだ。
ことさら小さな姫君とはよく『ごっこ遊び』をしている。しかしそれはただ子供に付き合ってやっている訳では無く、きちんとした礼儀作法についての学びを持たせていた。
「そのお姿を拝見して、なんて優しくお美しい方なのかしら……と」
「は……?」
開いた口が塞がらなくなった琳華は羽織の袖で口元を隠す。
思わず素の声が出てしまったが目の前の丹辰は胸の前で手を組みながら瞳をきらきらと輝かせてどこか夢の世界を見ているようだった。
「小さな姫に対してあの完璧な礼儀作法、優しい眼差し、立ち去られたあとも侍女と楽しそうにお話をされて」
はてさて、彼女は一体どこまで見ていたのだろうか。
そしてなぜ、その姿が周家の末娘の自分であると気がついたのだろうか。
「わたくし、すぐに侍女にあとをつけるように……いえ、決してやましい思惑ではなくて」
うっとりとしながらとんでもない事言っている丹辰に琳華は今、自分がどんな顔をしているのか知りたくなった。たぶん、かなり、酷い表情をしているに違いない。
「そうしたら周家のお屋敷に辿り着いて……それからずうっと、いつかお会いできないかしらと思っていました。ですから今回の秀女選抜、貴族の子女からの輩出枠に琳華様が選ばれたことについてはもう、本当に……素敵な御方と競い合えること、とても光栄に思っていましたの」
言っちゃった、と恥ずかしそうに両手で顔を隠す丹辰に唖然とせざるを得ない琳華は目だけで残っている者たちを見るが全員から視線を逸らされてしまった。しかも皆がうんざりした表情をしている。これは、もしや……丹辰はいつも自分の部屋に取り巻きを招いては『周琳華』についての話をしていたのだろうか。
「でもわたくしは……琳華様にはなれませんから」
顔を隠していた丹辰は言う。
自分は自分。いくら憧れがあったとしてもその人に自分はなれないと呟いた。
「琳華様のような透き通った高潔さがわたくしには足りない。だから皆と切磋琢磨をしようと思って……」
徒党を組んでいた理由はつまるところ伯丹辰の『自己の研鑽』の一環だったと受け取れる。また琳華が残っている取り巻きの楊を見るとうん、うん、と頷かれて「丹辰様はいつも琳華様は、琳華様なら、とおっしゃっては作法のお稽古を」と暴露してくれた。




