朝焼けが燃やす命
一週間近くが経った、聖歴1673年2月1日。
朝が来る。忌々しい夜が終わって、太陽が昇るのだ。
ヴィルヘイムは太陽が地平線に見えだす少し前から起きていた。四時くらいだったと思うが、具体的な時刻は知らない。すぐに朝食を済ませて会議室へ向かうと、夜通し作戦を指揮していたクレイグが椅子から立ち上がって挨拶をしてくれた。
「おはようございます、ヴィルヘイム兄さん。幸い、ヨルムンガンドはあれから何も動いていません。ずっと青薔薇の周りを旋回していて…まあ、動きがあった方がいいのかもしれないですが」
「おはよう、クレイグ。ずっと起きていたんだろう? 仮眠を取って来るといい。俺はもう食事も済ませたからな、ここからは任せてくれ。何かあれば呼ぶさ」
「そう、ですか。分かりました。ヨルムンガンドが気になりますが、眠いのも事実ですしね…。では、失礼します、兄さん」
「ああ。おやすみ」
一礼して部屋を出て行ったクレイグを扉が閉まるまで見つめ、その後テーブルに置かれた資料に目をやった。ヨルムンガンドに関する各地からの報告書、夜の間にオーランド帝国から届いた連絡、エンリケイド革命軍の動きやクレアの行方、国民の避難状況など。確認すべきことは多かった。
「おはようございます、ヴィルヘイム陛下」
廊下から現れたラムロスがコーヒーを用意してくれた。刺激的な苦みが脳を覚まし、眠気が完全に飛び立っていく。紅茶が主流のアストレア王国ではコーヒー豆を得ることは難しく、品種も少ないためさすがに帝国で飲んでいたほどの高級品ではないが、むしろその粗雑な味が今はちょうどいい。
「いつも助かる」
「いえ、これがわたしの仕事ですので」
淡々と読むべき資料を種類別にまとめ出すラムロス。だが、彼も少し疲れているのだろう。目の下にくまがあることが伺える。
けれど指摘したところで彼が仕事を休むような性格ではないことも知っている。よってヴィルヘイムはそれ以上声をかけることもせず、資料を読み始めた。
『ヨルムンガンドは午前2:00、クリスティア宮殿上空を旋回中。一時間に一度、青薔薇に向けて小さな息吹を吐くものの青薔薇に異変はなし。』
ヨルムンガンドが何故青薔薇に惹かれているのかはいまだ不明だ。何か理由があってのことなのか、それとも生物的な本能によって怪しい存在の正体を突きとめようと攻撃しているのか。ただあれ以来、特に大きな動きがないのは確かだ。
『午前1:30を持って王都より全国民の避難が完了いたしました。現在王都には軍部及び軍部に所属する王侯貴族の方々がいるのみで、その他の王侯貴族の方々及び使用人等にも避難していただきました。マレフィア宮殿からも一般人である使用人たちは避難させたため、これより事態が解決するまでは下位の軍人がヴィルヘイム陛下を始めとする方々の使用人を務めさせていただきます』
事実、三日前からヴィルヘイムの身の回りのことは下位の軍人がしていた。ヴィルヘイム自身が軍人という事もあり、こういった事態の中でも高級品を使用して使用人たちに身だしなみを手伝わせて、ということはない。必要最低限のことが出来ればいいし、そしてその必要最低限のこと、つまり入浴や着替えなどはヴィルヘイム一人で熟せる。食事は用意してもらうが、腹がたまればなんだっていいという始末。元よりマレフィア宮殿にはそこまでの数の使用人が必要ないので、軍人で回しても問題なかった。
『オーランド帝国南側国境付近、ハルラ山にて、エンリケイド革命軍の将軍エルシオ・ロレンスと接触。イグナルが殺害を試みたものの、五色の竜が上空に出現した隙に逃亡されました。しかし、洞窟に隠していた武器の回収に成功、現在イグナルに所持させております。 ガウエル』
ふむ、湖水でイグナルとガウエルが合流するというのは以前ガウエルから送られてきた報告書で何となく分かっていたが、そういう結末になったか。エルシオ・ロレンス。自身も会ったことのない相手だが、革命軍を指揮するほど強いのだろうか。それとも頭が切れるのか、無鉄砲なだけの老人か。会ってみたいものだ。
それにしても、イグナルが将軍を殺しにかかるとは。精神的に若いとは思っていたが、それほどまでだったか。しかしガウエルが傍についていて、武器を所持させても良いと判断したのならばまあ、問題はないのだろう。少なくともイグナルの忠誠は本物だ。オーランド帝国に不利になる動きはしないはず。
イグナルに初対面で殺されかかる人物か。なおさらエルシオ・ロレンスと会ってみたくなるな。
『エンリケイド革命軍が国境付近より撤退。こちらは警戒態勢は解いておりませんが、ひとまずの危険は去ったと言えるかと。クレア・アストレアが国境を越えたという目撃情報はありませんので、エンリケイド側にいるものと考えられます。 エーゲル・グラード・フィルス』
この状況でエンリケイドと戦争になるとさすがに厄介だ。海軍が強いエンリケイドを相手に負けるとは思わない。あちらは王侯貴族を廃した以上、異能《航海王》を持たないのだし、持っていても王族ほど強い異能ではなく下級貴族などになる。《魔王》が一人いれば十分だ。そしてこちらの軍の強みは陸での戦い。だが、ヨルムンガンドが上空にいる状態での戦いだと、最早人対人ではなく、人対竜の大混乱の戦場になり敵味方問わず焼き尽くされるだろう。それは勘弁願いたい。
「全く、ヨルムンガンドが動かなければ何も出来ないな…。かといってこちらから攻撃を仕掛けるわけにもいかない…」
前にも後ろにも進めない状況というのは厄介なものだ。一つ良い事があるとすれば、まだ四日ほどだというのに早速研究に成果が見えつつあるということだ。
異世界は随分と化学的かつ工学的に発展した世界のようで、武器だけでなく生活用品も含めあらゆる面でこちらとは比べようがない技術を有している。代わりにあちらには魔法や魔術、異能といったものがないらしいが。
『こっちの世界には銃火器が少ないんですね。良い事ですけど、代わりに剣や弓といった武器を誰もが持っていて驚きました。スタンガンや麻酔銃なんかがあれば殺傷能力を持たないまま相手を無力化出来るので、少しは平和的に戦争が出来ると思うんですけど。ということで、雷の力を持つ《聖女》の方の魔弾を加工してスタンガンに出来ないかと思いまして、今、ノアさんが開発しています。』
藤堂棗からの研究報告にはそう書かれていた。なるほど、そういった武器があればこの戦いが終わったあとも街の警備組織が有効に活用できるだろうし、上手くいけば魔獣相手にも使用できるかもしれない。そうなれば危険な目に遭わないまま、魔獣を捕らえて動物園や人のいない安全な地帯へ移動させられる。竜に効くかは分からないが…。
『それから、防弾チョッキを作ろうかと思っています。こちらの世界向けに開発すれば、もしかすると銃弾だけでなく、一撃くらいなら魔獣の牙に耐えられるかもしれないですし。一般市民の方が着用するには良いかと。まあ、この世界の素材で作るとなると難しいかもしれませんが、それもまた異能を上手く使えば何とかなる可能性ありますし。 藤堂』
彼女たちにはエレンを付けている。エレンを通して研究資金や素材、人手など必要なものを要求してくるように言ってある。《魔王》は炎と決まっているからあまり役に立てないが、《聖女》は人それぞれ種類が違う。アストレアの下級貴族たちに命じて魔弾を集めたので、ノアに渡してある。
「ふぅ、重要そうな資料は目を通せたか」
一時間ほどかけて爆速で資料を読み終えた。さすがに目が疲れたので一度立ち上がって窓の外を見る。時刻は十時過ぎ。太陽はすっかり昇りきっていて眩しい。
ちょうどその時、コンコンコンと扉がノックされた。ラムロスだ。
「青薔薇に異変があるとのことでして、至急来ていただきたいと軍部から要請です」
「分かった。……行こう」




