異邦人、開眼
リファーレン地区リファロンド都市、ロックフォード・クレイ卿の屋敷にて。
眠り姫だった異邦人の女性が、車椅子に座っていた。ずっと眠っているのも身体が疲れると無理を言って用意して貰ったものだ。市民にはあまり流通しておらず、現在、戦争によって怪我人が増えたことで改良を施すようになった新作の車椅子だ。荒地を行くには不安定だが、室内を巡るくらいは出来る。
全体的に茶色っぽい室内で、白いカーテンが靡く。窓が開いているからだ。彼女はその窓辺に車椅子を置き、座っていた。傍にあるテーブルには小さな花瓶が乗っており、ピンクコスモスが活けられている。彼女はそれがこの国アストレアの国花であることを知らないが、純粋に綺麗だと思った。
「…………」
外には庭園が広がっている。ロックフォード・クレイ卿が妻のために作った美しい庭園だ。冬のため咲いている花の種類は少ないが、それ故に哀愁漂う美しさがある。
「あれは、クリスマスローズ……あっちはスノードロップ、あれはアリッサム、クレマチス」
全体的に白が多い庭園の中央の方から水の音がする。噴水でもあるのだろう。
「外、行きたいな……」
洞窟で気絶してから最初の数日は、ずっと悪夢を見ていた。世話をしてくれるダグラスという執事曰く自分は大粒の冷や汗を流して日々うなされていたらしい。今も眠れば悪夢を見る始末。
「パンドラって、なんだっけ……」
悪夢の中でずっと響いていた言葉。それが何かは知らないが、悲し気な悲鳴だったことは覚えている。
「…………」
再び彼女が黙った時、扉がノックされた。聞きなれた声がして、「どうぞ」と返した。
「入りますよ」
入ってきたのはダグラスだった。手には盆を持っていて、紅茶が乗っている。それを差し出してくれた。庭園で採れた物を使ったハーブティーだそうだ。一口飲めば、温かい温度が身体中に広がった。
「ありがとう、ございます」
正直ここが何処なのか、彼が何者なのか。今も良く理解出来ていないし早く家へ帰りたくて仕方がないが、彼のことだけは信頼できる。だってあの真っ暗闇の洞窟で、守ってくれたから。嫌味ったらしい女とそれに従う騎士らしき男から。
「あの」
傍の丸椅子に座ったダグラスに、一つ、お願いをしてみる。
「外に、出てみたいんですけれど……」
うなされ続け衰弱した身体は、言う事を聞かない。車椅子は一人で何処かへ行けるほど高性能な造りをしていないし、この場所のことを何も知らないから迷子になってしまいもする。何より、彼女は勝手にうろつくことを禁じられている。
「外、か……」
ダグラスは彼女を見た。年齢は息子よりやや上だろうか。当初来ていた不思議な衣服ではなく、この世界の一般的なクリーム色の丈の長いワンピースを着た彼女は田舎娘のようで、アストレア王国の法の一つも知らない。箱入り娘どころではない。何より敵か味方かも判明していない。
けれど、一緒に洞窟に閉じ込められていたダグラスからすれば、娘のような年頃のか弱い少女でしかなかった。殺気の一つも込められない、状況に困惑するばかりの少女。こんな風に何十日間も部屋に閉じ込めるのは申し訳ない気がした。
「屋敷の外へは行けないが、庭園で良ければ私が車椅子を押して案内しましょう」
年を取っても、暗殺者であることに変わりはない。自分という監視役がいれば問題ないだろうと、ダグラスは了承した。
▢■▢■▢
庭園へ出れば、冷たい風が二人にぶち当たった。ダグラスはスーツのジャケットを羽織っただけだが、寒がる様子はない。気候は彼の敵ではなかった。けれど異邦人である彼女はこの地の寒さに慣れていないのか、身体を震わせた。その身にはメイドから借りたフワフワのポンチョが被さっている。
「…………」
何も言わない彼女にダグラスから声をかけることはない。彼は彼女を救った男性であると同時に、素性の知れない彼女を監視する人物であった。同じ屋敷に滞在している主ガラティスの傍にいられないことを嘆くと同時に、危険度の知れない敵を早期に排除できるポジションに付けたことは幸運だと思っていた。
「あの」
十五分ほどぼうっと花々を眺めたところで、控えめに彼女が声を出した。
「毎日、少しずつ、思い出してきているんです」
目覚めたばかりの彼女は自身の出身はおろか、名前すら言えなかった。洞窟で栄養失調になったためか、あるいはそれが異邦人の性質なのか。記憶が混沌としていた。
「今朝は、出身を思い出しました。細かくは分からないけれど、国の名前と文字を」
彼女はダグラス以外の人間、つまり屋敷にいるロックフォード卿が雇ったメイドたちとは打ち解けられないでいる。いきなり知らない土地に放り込まれた状況なのだから、このことで彼女を人見知りだというのはやや酷だろう。
故に思い出したことは、ダグラスに知らせている。これはダグラスが望んだわけでもロックフォード卿が命じたわけでもなく、彼女自身が望んでしている発言だった。相手を信用していいのか迷うところはあるし、ダグラスに伝えれば彼の主たちにも伝わるということは理解している。だがいつまでも口を閉ざしていては、何万年経っても故郷へ帰れないと感じていた。
情報を吐けば、案外簡単に帰れるかもしれない。
希望的観測だが、無力な彼女には希望を持つ事しか出来ない。
「わたしの、うまれた、そだった、くには」
強風で声がかき消されそうになる。凍てつくような寒さに震えながらも、彼女は声を出した。ダグラスが静かに耳を傾ける。
「日本、です」
聞きなれない単語にダグラスが首を傾げる。驚愕の表情も痛切な悲鳴もあげはしないが、さっぱり分からないというダグラスの心情は彼女に伝わった。
「やっぱり……知らない、ですよね」
わたしもアストレア王国だとかオーランド帝国だとか、聞いたことないですから。小さくそう零す姿に、ダグラスはほんの少し同情した。
「文字というのは?」
話題を変えようとダグラスが言った。その眼は目の前の花壇で花を開かせているスノードロップに注がれている。花言葉は、希望・慰め・逆境の中の希望、だったか。
「この世界の文字は、なんだか英語の筆記体みたいで……。日本語はもっとこう、カクカクした漢字と柔らかな平仮名と、ローマ字なんかもありますけど、基本はその二つがメインでしたね」
エイゴ。ニホンゴ。カンジ。ヒラガナ。ローマジ。
故郷を思って饒舌になる彼女とは逆で、ダグラスは暗殺者人生で最も混乱していた。彼女は本当に異邦人なのだと思わされる。
「ああ、なんだか、懐かしい気がします。わたしの故郷にも、花畑があったような……。こんな雪みたいな真白な花ではなくて、もっと鮮烈で赤いやつが……。ああ、駄目だ、思い出せないな」
駄目だと言ってくしゃりと顔を歪める表情を、この数日でダグラスは三十回以上見ている。無理に思い出そうとすると頭が痛むのか、いつも彼女は自然に思い出せるまで追憶を諦める。
「部屋へ戻りましょう」
「そうですね……。今日はすみません、我儘を言ってしまって」
手を膝の上において、姿勢を正す姿。やせ細った手足が痛々しかった。
ダグラスが車椅子の向きを変え、屋敷の方向へと押し始める。
「お庭を見せてくれて、ありがとうございました」
「いいえ。これくらいであれば何なりと」
数十メートル進んで、また声をかける。
「あの、ダグラスさん」
「何でしょうか」
「わたし、この世界のこと何も分からないし、正直言って誰かを信用する気にはならないんですけど、でも、でも、命を助けてくれたダグラスさんのことは信じています。というか、信じたいんです。命の恩人が裏切者だなんて思いたくなくって」
暗殺者として彼女を殺すことも視野に入れているダグラスは、彼女の無垢な言葉に何も返せない。
「よく分からないんですけど、恩を仇で返してはいけないっていう言葉が故郷にはあった気がして。だから、わたし、ダグラスさんには色々話します。信じているから。悪いようにはしないって」
「…………」
「ダグラスさんがガラティス様?に忠実なのは見ていて分かります。わたしが話したこと、きっとその人に報告している。でも良いんです。二人の秘密にして欲しい、なんて言った事ないですし。実際、あの洞窟にいたクレアとかいう人はわたしも嫌いなんで、ダグラスさん側につくことに文句はないですし」
「…………」
「約束してくれませんか」
深淵のように黒い瞳と髪がダグラスに圧をかけるようで。
「何を、でしょうか……?」
「わたしは思い出した記憶を、知識を、ダグラスさんにお知らせします。代わりに、ダグラスさんたちはその情報をもとに、わたしが元の世界に帰れるように手伝ってください。わたしにはこの国の文字はよく分からないし、お金もなければ地理も詳しくないですから」
「悪い話では、ないですね」
「そうでしょう? 助けてもらった恩に、報いたいんです。御恩と奉公です」
「分かりました。ガラティス様にお伝えしておきましょう。……ところで、御恩と奉公とは、一体?」
聞かれて彼女は曖昧に微笑み、首を小さく傾げた。
「……さあ? 頭にふっと湧いた言葉なんですけど、詳しくは分からないですね」
「思い出しました」
「何でしょうか」
「信長の苗字は織田です。奥さんの実家は斎藤です」
「……それは、国王か誰かでしょうか?」




