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五色の竜


 エーゲルは国境へと辿り着き、あと十歩も前へ出ればエンリケイド側の領土へ入るというギリギリラインで馬を下りた。傍にはもちろん、ウェールがいる。


 他にも、十三の部隊が武器を握って待機している。その数、千五百。相手の四倍はいるだろう。まだ、高台の方へ残してきた部隊もいる。背中は安全だ。


「……」


 相手側がこちらに辿り着くのを待った。やがて、その時が来る。馬上から相手が声を投げかけた。


「貴殿らはオーランド帝国軍か?」


 肯定を返す。相手のうち馬に乗った深紅の軍服の数名が、こちらと同じように馬をおりて近づいてくる。肩にある槍が三本交差した紋章に雪が乗る度に、彼らは名誉を守るかのように手でさっと雪を払った。


「我らはエンリケイド革命軍なり! 対話を所望する次第だ!」


 敵の大将らしき人物の隣にいる男がそう声を上げた。大将らしき者は大儀そうに頷く。エーゲルは緊張に震える心を押し殺し、肺に冷たい空気を吸い込んでは吐き出して、声を張り上げた。


「対話の提案、受け入れよう!」


 下馬した者が両軍合わせ十八名。国境ぎりぎりに立った。剣の間合いには入っているが、握手があるため仕方がない。何よりエーゲルは《魔王》を有しているのだから、相手も剣の間合いが意味を成さないことは理解しているだろう。


「提案を受けて頂き感謝する。おれはフィリップス・ロレンス、階級は中将である。貴君の名を聞いてもよろしいか?」


 筋張った細身の肉体は焼けており、彼が海の国の者であると分かる。ただエーゲルはそんなことよりも、ロレンスという姓に意識が向いていた。ロレンスといえば、革命軍のトップ、将軍を名乗るエルシオ・ロレンスではなかったか。確か彼は独り身で子供はいないはずだが。


「俺はエーゲル・グラード・フィルス、階級は大将だ。ところで、ロレンスという姓は貴君らの将軍と同じものだと認識しているが、フィリップス中将はその血縁の者だろうか?」


 相手は金髪を冬の風に靡かせ、自慢げに頷いた。


「うむ、その通りである。何を隠そうエルシオ・ロレンス将軍は我が叔父にあたる人物でおられる」


 高価な装備、実用性以上に装飾を重視した剣、ニコニコして表情を変えない家臣たち。それを見て、エーゲルは察した。彼には分かった。


 ──この人は、『お坊ちゃん』だ。


 代々続く名誉ある一族と、エルシオの努力によってようやく花咲いた一族。多少の違いはあるが、エーゲルもフィリップスも、どちらも誰かの栄光に乗っかっている事実は同じだ。


 同時に、エーゲルの肩の荷が少し降りる。


 油断してはならないということは分かるが、相手が歴戦の猛者というわけでも革命の功労者というわけでもないと知り、どうしてもホッとしてしまう。


 それが表に出ないように、貴族社会で培った内面を読み取らせない微笑を浮かべ、エーゲルがいくつかの質問を投げた後に交渉を始めようと決め口を開いた時だった。


『ぎええええええええええええええええええええッ!!!!!!』


 突然、白い大地に影が落ちる。鳴り響くのは落雷のような奇声。空気が震え、足が竦み、立っていられなくなる。両軍の誰もが耳を塞ぎ、しゃがみ込んだ。


 エーゲルもフィリップスも例外ではない。彼らもまた耳に手を当て、しゃがむ。多少は戦場での経験を積んでいるエーゲルは地位の重みもあり状況把握を優先しようとしたが、歩けない。びりびりと空気が震えているし、声を上げてもかき消されて隣人にすら届かない始末。馬たちは動揺のあまり駆け出そうとし、番をする者が必死に縄を引っ張ってはいるが、何頭かは脱走して森へ入ってしまった。


 十秒ほど経っても天空から鳴り響く声は止まず、エーゲルは必死に瞼を上げて首を動かした。


 晴天ではなかったが雨雲がかかっているわけでもなかったはずの大空は、見えなかった。


「赤、黒、白、青、緑……」


 最初は何が何だか分からず、ただ色の名を読み上げるように見えた色彩を見えたままに口にした。けれど、十五秒経って冷静になって、今しがた自分が述べた色に共通するモノを思い出した。


「竜……」


 竜種の色。それから次に思い出すのは、第三王子ラクレスからの手紙。『新型の五色の竜種が空より接近の可能性』とあったではないか。


 ──ああ、しまった。


「クソ、クソ、クソ」


 地響きのような音は鳴り止むことを知らない。エーゲルの漏らす愚痴、罵声、いや、いいや、あまりに巨大な敵に対する焦燥感と敵を見誤った自身の愚かしさが混ざりに混ざった単語は、やっぱり隣人にすら届かない。


 ──エンリケイド革命軍も問題だが、本当に警戒すべきは違った。


 彼ら両軍の立つ大地に影を落とすほどの、あまりに巨大な存在。ヒトという生命体の小ささが身に染みて情けなく思えてくるくらい。ヒトとヒトの戦争があまりにも小さくくだらない小競り合いに思えてくるくらい。


「五色の、竜……」


 敵が放つのは言葉に出来ない圧倒的な存在感。エンリケイドでの目撃情報では、ここまでのサイズではなかったはずなのに。飛行する中で捕食を繰り返し、あるいは成長し、巨大化したのだろうか。あるいはラクレス第三王子の想定通り、実験の影響から突然変異を起こし巨大化したのか。


 いずれにせよ、これは問題だ。


 両軍全てのヒトの心に、絶望が植え付けられる。嗚呼、これは何をどうしても勝てないと。


「何が、《魔王》だ……」


 赤竜に太刀打ち出来ない自分たちが、奴を相手に何が出来ると言うのだろう?


 ──この場を捨てて、撤退を。


 そう命じることが先決であり英断であると分かっていてもなお、指示を飛ばす声は通らず、足は大地に締め付けられ、空気が震えて立てない始末。


 一度、たった一度。奴が炎を吐けば、自分たちは全滅する。それは軍隊での意味ではない。『部隊として機能しなくなった状態』を指す全滅ではない。本当に、本当の意味で。


「俺の、部隊が……」


 ──跡形もなく、消し炭すら残らない。


『ぎえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッ!!!!』

 

 終わりを知らない咆哮に誰もが瞼を下ろす。同じように例外なく閉ざされたエーゲルの瞼の奥に、黒い世界が映る。それは、瞼が閉じているから黒いのではない。


 ──瞬間的な閃光で。奴の気まぐれな閃光で。


 何が起きたのかも分からないうちに死んでしまうのか。あるいは燃ゆる自身の身体に恐怖し踊るようにふらつきながら命を燃やしていくのか。


 ──雪に覆われた大地が、愛する母国の土地が。


 真っ黒になる。奴の炎が何色であろうといつかそれは消えて、真っ黒になる。燃えた跡だけが残る。


「だめだ、だめだ、だめだ」


 耳を塞いでいるはずなのに、頭を抱えているようなポーズ。


「だめだ、だめだ、だめだ」


 吠える竜が赤い瞳に雪とそこにいる小さな点のようなヒトを映し、黒い翼で旋回し、くるりと回転して一瞬だけ白い背を大地に向けまたくるりと回って腹を大地に向け直し、青い尾をまるで犬猫がする感情表現のようにぐらぐらと上下させ、緑の腕を振るい爪で雲を切った。


「だめだ、だめだ、あってはならない」


 エーゲルが瞼を上げる。深い青の双眸がいつになく充血している。


「守らなくては……国を、人を……そうだ、俺は《魔王》だ、グラード・フィルスだ、守る義務があるだろう……」


 そうは言っても、竜の咆哮は終わらない。動くことを許してくれない。隊員のうち何名かはあまりの恐怖で気絶してしまっている。また何名かは鼓膜が破れたのか血を流している。互いの声は聞こえないが、誰もが口を開けて何か言っている。恐らくそれは懺悔。気の強い者であればエーゲル同様クソくらいは言っているかもしれない。


「たすけ、なくては」


 そうすべきことは分かっているが、何にせよ恐ろしくて仕方がない。どうすべきかも分からない。エーゲルが延々と耳を塞いでしゃがんで──先に動いたのは、相手の方だった。


『────────────』


 咆哮が止んだと誰もが口角を引き攣らせながら空を見上げて、束の間、安堵して。


 時計の秒針が一つ動いた次の時、彼らが見たのは。


 五色全ての色彩を纏った、角度や光の当たり方次第で見える色の違う、透明のような、陽炎のような、高熱の息吹。


「……ぁ」


 思わず声を漏らしたエーゲルは、その一瞬だけ。


 恐怖も絶望も忘れて、下向きな思考も意識を外れて、耳を塞ぐ手を外し。


「…………」


 オーロラのような炎に、言葉を失うほどに魅入ってしまった。


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