接触のファンファーレ
エーゲルがウェールに叩き起こされたのは、それから三十五分後のことだった。予想以上にぐっすりと眠っていたエーゲルだったが、場所が場所なだけあってさすがに緊張感を持っている。テントの外から大声で名を呼ばれ、すぐに意識を覚醒させた。
「どうしましたか、ウェール中将」
置いていた剣を帯剣し直して何事かとテントを出れば、何やら兵たちが騒がしい。訓練や剣の手入れをやめて全員忙しなく動き、自分の隊へ集まっている。
「エンリケイド革命軍を目視しましたぞ。地上ではまだ見えないですが、高台から目をよく凝らせば見えます。これを、エーゲル大将」
高台の先端へ歩きながらウェールが差し出したのは望遠鏡だ。小型で持ち運びができるもの。高価なため一部の者しか所有出来ないのが残念だ。全部隊に持たせることが出来れば敵との距離が測りやすいのだが。
「ありがとうございます…………」
受け取って、見る。倍率を細かく調整していく。
緑の樹、枯れた樹、僅かに積もった雪、枯草。
オーランド帝国の前線拠点から五十キロほど先に、見慣れない軍服の集団がいる。戦闘を馬で行く者は深紅の軍服だが、付いて行く歩兵は深緑の軍服だ。服装がバラバラなことに対し、肩に槍が三本交差した紋章が付いているのは一緒だった。
「エンリケイド革命軍の紋章……」
「従来の軍服は深緑。恐らく、急な革命のためまだ全員分の軍服を用意できていないのでしょうな。おかげで深紅の軍服が上官クラスであると分かりますがの」
「距離は」
「あと四十キロほどでオーランド帝国との国境に辿り着きます」
「全軍の配置は」
「今、行っておりますぞ」
「そうか。ありがとう、ウェール中将。貴方がいてくれて良かった」
指示だけではない。ここから数時間、あるいは数日はまた忙しくなる。さっき三十分でも仮眠を取ったのは正しい判断だったのだ。
エーゲルは望遠鏡を手放すことなく相手を見続けた。
最も手前で騎士たちに守られるようにして移動している深紅の軍服を着こんだ男は細身で若い。革命軍を先導したとの噂の男ではないようだ。
──ならば、交渉の余地はある。
主君である王族を裏切った男が相手ならば自分のような若造ではどうしようもなかったかもしれないし、交渉したところでそれを守ってくれる相手とも思えないが、相手が若手の将ならばいける。こちらがいくら強気に出ようと、トップの判断を仰がずに戦争を吹っ掛けるような真似はしないはずだ。
──俺は、この国と王族を守るために此処に居るのだ。
寝起きの気怠さなどとっくに吹き飛んでいる。エーゲルは本当の自分を、怖がりな自分を押し殺して、心に火を灯した。結ばれた赤みがかった金髪が、より一層赤に染まったように見える。
「全軍、配置にて待機。決して攻撃はしかけないように。まず俺が前に出ます。あちらの指揮官と、国境を挟んで対話したい」
ウェールは一瞬、止めようかと思った。大将になってまだ数日。知識はあれど経験は少ない。でも。
「誠、クラウスのようですのぉ。ふぉっふぉ、実に良いことですぞ。この老いぼれ、たまには本気を出しましょうぞ」
ウェールは嬉しそうににんまりしながらその場を離れ、厳しい口調で部下に指示を飛ばし始めた。
エーゲルはその場に残り、望遠鏡をまだ手放さない。
考える。付け入る隙はどこにあるのか。
「相手は革命軍だ。年齢からしても恐らく、革命が成功してようやく将になった者。王侯貴族ではないなら、代々の軍事家系ではないかもしれない。今世代限りの、文武どちらかの才をエルシオ・ロレンスに認められた者」
ならば、エーゲルは何で太刀打ちできるか。
──当然、グラード・フィルスとしての歴史だろう。
一族の名誉、誇り、歴史、経験。どれ一つとっても一級品だ。
グラード・フィルス家足るもの、生まれた時から主君のために死ぬ覚悟を叩きこまれる。エルシオ・ロレンスたち革命軍とは違う。脅されようと拷問にかけられようと金や地位をチラつかされようと、グラード・フィルスは揺るがない。そんなものに興味はない。グラード・フィルスは地位を持っているし、金を持っている。素晴らしい主君に仕えるという天職すら得ている。これ以上の物はない。グラード・フィルスを相手に交渉の余地はない。
──叩き込まれた知識を思い出せ。
──生まれ持った誇りを忘れるな。
「いける。俺は出来る。何故ならグラード・フィルスだから。エーゲル・グラード・フィルスだから」
呪いをかけるように、そう繰り返す。
望遠鏡を下ろし、目を閉じる。守るべき者たちの顔を思い浮かべた。主君と、民と、仲間と。
──あの男は、どうなのだろうか。
不意に、自分と似た赤混じりの金髪を、自分と同じように一つ結びにした男がよぎった。
──あの男は、守りたい者を守れなかったわけで。
信じていた家臣が裏切っただけでなく、父と母を殺した。味方の兵も王侯貴族も民も捨て置いて、妹を連れて逃げるしかなかった。
──復讐を、考えるだろうか。
すぐ傍までエンリケイド革命軍が来ていると知らせたら、噂に聞く不思議な水の異能で飛んでくるのだろうか。
──あの、男は。
「…………駄目だ。俺たちは戦争を回避すべきなのだ。大体、あの兄妹は地獄を逃れて幸福に生き始めている。ローレライの姓など、忘れた方がいい……」
──ならば。
──ならば、エンリケイドに捨て置かれた、兵たちは。
ローレライを、エンリケイドを、それこそを守るために兵士となり。
ローレライが、エンリケイドが、いつの日か帰ってくることを信じて。
今もエンリケイド革命軍を相手に戦っている者たちは。
何処へ行くのだろうか。
如何すれば良いのだろうか。
何のために生まれたのだろうか。
彼らの存在意義は、消失してしまうのだろうか。
──もし、ヴィルヘイム陛下がオーランドの姓と国を捨てたら。
──グラード・フィルスは、どうすればいい……?
「………………」
目を開けて、暗闇を抜けた。白い世界を見つめる。
「あー」
小さく声を出して、雑念をかき消した。今の敵は、目の前に見えている深緑と真紅だ。こんなことを考えている場合ではないし、何時いかなる時も主君に疑念を向けるべきではない。
「馬に乗って、国境へ向かわねば」




