波乱の運命が齎す罪という名の贈り物
長くなってすんません。でも一気に読んで欲しかったんす。
それから、特に何もないまま時間だけが過ぎていった。一時間ほどが経っただろうか。平穏すぎてむしろ怖いくらいだ。両国王も両王妃も至って平和な様子。これまで大した行き来もなく互いを野蛮だと、あるいは平和ボケした人間だと思っていた割には不思議なくらいの落ち着きだ。言い争い一つない。
「あと三十分ほどでこのパーティも終わりね」
「ああ、そうだな」
結婚式が近い時に夜遅くまでの夜会はできない。そろそろお開きだろう。
そう、思った時だった。
会場をうろついていろんな人に声をかけられて楽しそうにニコニコしていたグレアム国王とその後ろを人々を観察するように歩いていたリアム国王が立ち止まって口を開いた。ちなみに私たちも先ほど挨拶を済ませてある。とはいってもやはりレオハルト殿下の元婚約者であり別れ方が微妙ということもあってそう話はしなかった。主にリアム国王とフレア王妃と旅の疲れは言えたかなどと話したくらいだ。
「そろそろお開きにしようかと思う」
グレアム国王がそう言った。相変わらず手にはワインを持っている。それ一本だけで中流階級の市民が三年働いてようやく稼げる値段の代物だ。さぞ美味かろう。
「最後に、リアム国王より頂いたオーランド帝国の高級ワインを皆で乾杯しようではないか」
その言葉を合図に室内にいた執事たちがワイン、グラス、タオルなどが丁寧に入れられた銀製のワゴンを押して動き出した。貴族や王族一人一人にワインを注いだ新しいグラスを渡し、それまで使っていたグラスを回収していく。種類が違うワインのため、味が混ざらないようにだ。私とヴィルヘイム王子もグラスを受け取る。
部屋の中央で、最後にグレアム国王とリアム国王がグラスを受け取った。オーランド帝国の王族でも普段から飲むわけではないくらい最高級なワインだ。美しい色を放つ液体からはほんのりと控えめで上品な良い匂いが漂ってくる。
「では、よい式を迎えられることを祈って、そしてこれからの両国の平和を祈って」
その瞬間、国王たちの背後にひっそりと控えていたレオハルト殿下の表情が緊張に歪んだ気がした。と共に、クレアの顔は獲物を前にした笑みになる。
その顔に一種の不気味さを感じた次の瞬間。
「乾杯!」
早く飲みたかったのだろう。やや急ぐようにグレアム国王はそう言った。私たちもまたワイングラスに口をつけ、ゆっくりと味わうように飲んでいく。すでに数杯目のワインではあるが、もともとそう度数の高い飲み物ではない。特にパーティ用のものだから味は優しめだ。私やヴィルヘイム王子はお酒に弱くはないので、これくらいならば耐えられる。
しかし。耐えられない者がそこにいた。
「………うッ、うぅ……!」
美味しさを堪能するように飲んでいたグレアム国王は突如そう呻くと喉元を抑えて苦しみ出した。
「あなた!」
驚いたように妻のマリアナ王妃が近づいていく。夫の太った体を支えて、近くにいた執事を呼ぶ。誰もが酒の飲み過ぎで倒れたのだろうと思った。お酒は飲みすぎると倒れたり意識を失ったりする時があると聞く。私はそこまで飲んだことがないし、パーティでは誰もが酔って口を滑らせないようにと飲む量を調整しているからそうなった人を見たことはないけれど、街中ではよくあることらしい。
「こ、これは……」
しかし、助けに向かった執事長らしき男は国王の体躯を仰向けにさせて顔が見えるようにするとすぐに己の顔色を驚愕に染めた。口から泡を吹いていたのだ。
「毒だ」
誰かがそう呟いた。診察も何もしていない、根拠のない言葉。しかしこんな状況を目の当たりにしたからには誰もが信じてしまった。
「きゃあっ」
「嘘でしょ!?」
そして、一つのことに辿り着く。
「このお酒って……」
人々の視線が一箇所に集まった。
「オーランド帝国から贈られた酒、よね」
そう、グレアム国王の容態を心配するように隣でしゃがんでいたリアム国王の元に。
頭の回転が速いリアム国王は、こんなイレギュラーな事態でもすぐに対応へ当たろうとした。
「皆さん驚いているのは分かりますが、それは私には不可能です。このワインは毒味のためにすでに開封済みでしたし、もちろん毒味役の方は生きています。さらには最初にグレアム国王にお渡ししてから私は触っていませんし、どのワインボトルが誰に渡されるなど我々には分からないのです」
グレアム国王の呻き声は徐々に小さくなっていった。距離のあるここからでも顔色が青白く見える。隣に立ってヴィルヘイム王子が私、セイラ、ラムロスだけに聞こえるように小さく告げた。
「父上ならばこんな疑いの目が向けられるようなことはしない。利益もない」
普段はリアム国王と言っているのに父上と言うのは彼自身も驚いてしまって素が出ているからだろう。無理もない。
「疑ってないわ。でも、そうなると他に犯人がいることに……ぁ」
動揺する夫を安心させようとして、最後に小さく声が漏れた。思い当たる節があったのだ。
「しかし、遅効性の毒ならば毒味役には分からない。それに、事件を起こすことが狙いだったならば、誰でもいいからと無差別に狙った可能性がないとは言えない。アストレアの者には国王を狙う理由がないのも事実」
事前に覚えてきたことを間違えないように話すかのような棒読みの声でレオハルト殿下が言った。しかし、間違えないようにと緊張しているのがこの場では父のことで動揺して声が震えているかのようになっている。
「嫌だわ、この場にいるみんながワインを飲んでいてよ」
クレアがここぞとばかりに甲高い声で人々の不安を煽るようなことを口にした。そのせいで、誰もがワイングラスをテーブルに置いて距離をとった。自分の口元を押さえて、顔を恐怖に染めている。自らもまた毒を飲んだのではないか、と。中にはグラスを落としてしまって割る者もいた。
「しかし、ワインを配ったのはアストレア王国の執事。誰に配られるか分からない以上、この場にいる全員が無差別の犯行は出来ませんな、レオハルト王子?」
「え」
「なぜならば自分に毒入りのワインが配られる可能性があるのですから」
淡々と静かに、決して怒り狂って反論することなく冷静に対処するリアム国王にやや面食らったのか、レオハルト殿下が口をぽかんと開ける。しかしそれをクレアが怯えたような表情をしながらさりげなく助太刀してみせる。
「でも、自分だけ、解毒剤を飲んでおくことも、できます、よね?」
「もちろん。しかしそうなると疑われるのはこの場にいる全員と執事たちです。オーランド帝国の者であるかどうかは関係がなくなってしまう」
「だがッ、しかしッ、アストレアの者は我が父を殺しはしない! 絶対にだ!」
急に興奮し感情的になったレオハルト殿下が叫んだ。その調子はややおかしかったが、誰もが父をあんなにされて嘆いているのだろうと疑問にすら思わなかった。
オーランドの者は、圧倒的に不利だ。たとえ今リアム国王が捕えられてもそれをおかしいという者はいない。見守るみんながアストレアの者なのだから。
「それに、持病である可能性もないとは言えない。昼からあれだけお酒を飲まれていたのだから、年齢も考慮すれば」
「しかしッ、同じように飲んでいたはずの貴方はそうならないではありませんか!」
勢い任せの言葉だが、あれほどまでに大声で言われると一種の緊迫した、言葉の重みを持つものだ。実際は自分たちの愚行がバレないようにという焦りだが、この状況ではまるで犯人を、親の敵を取り逃さないようにするための時間のよう。
「それは私がお酒に強いからです。レオハルト王子、今はグレアム国王の容態が先です。どうかここは一度感情を落ち着けて────」
リアム国王がなんとかしてその場を落ち着けようとした、その時。救助に当たって簡単ではあるものの医療道具のないこの部屋においては重要な行動となる心臓マッサージをしていた執事長が、悲痛な声を上げた。
「その必要は、なさそうです」
しょぼくれた声だった。が、その言葉は大きな意味を持っている。
「グレアム国王陛下の心臓が、止まられてしまった」
「嘘! 嘘よ! 貴方!」
王妃の声と貴族たちの息を呑む音が空間に良く響く。それから、王妃の涙声がやってきて、この状況に呼応するように窓の向こうでカラスが鳴いた。冬ということもあってすっかり暗くなった空が冷たく沈んでいる。
そこにはただ、外と同じくらい温度を失ってしまったグレアム国王の体躯とそれに滴り落ちる妻の涙だけがあった。けれどすぐに妻の瞳は涙を堪えてキッと鋭くなった。
「王妃の命令です、国王を殺した者を捕えるのです!」
王妃としては後先考えずに口から漏れた感情的な言葉だったのだろう。けれどもそれが国王のいない今最も重要な人物からの命令である以上、リアム国王も頭を抱えざるを得ない。
──嵌められた。
私はそう感じた。ようやく全てが理解できた。この会に招待されたのは、クレアの入れ知恵だろう。レオハルト殿下が国王となるために、グレアム国王は邪魔だった。かといってあと二十年は亡くならないであろう国王の崩御を待つほど気が長くもなかったのだろう。だから急いだ。私とヴィルヘイム王子がより権力を持つ前に。あるいは、私たちの幸福を早くも崩したいがために。このタイミングで賭けに出た。
「はッ!」
廊下から話を聞きつけてやってきた兵士たちがリアム国王を拘束する。それから、フレア王妃も捕えられていく。次に私たちにも視線が向いた。
「これがリアム国王による独断か、あるいはヴィルヘイム王子たち息子とも話し合った結果なのかは分からん。だが、今この瞬間、オーランド帝国は敵となった。容赦は要らんだろう」
レオハルト殿下がさぞかしがっかりしたような大根演技をしてみせた。いや、もはや殿下という敬称も要らないだろう。彼は親殺しをしてみせるほどの外道に成り下がったのだから。
「アグリア、残念だよ。君はようやく幸福を手に入れたのかもと思ったが、人間性格は変わらないようだ」
レオハルトとクレアが悲しげな表情の奥で何処か勝ち誇った笑みを浮かべていた。そんな感情も隠し通せないくらいならば、鼻から演技などするなと言ってやりたい。
アストレア王国への旅路についてきていた二十人のオーランド帝国の軍人。そのうち五名は馬小屋の見張りをしているが、残りの者はここにいる。しかし彼らはリアム国王が戦闘体制に入らないために、剣を抜くことが出来ないでいる。
「レオハルト王子。落ち着くんです。私は最後まで貴方がたに異能を使わない。貴方の父を殺した犯人ではないからです。だからどうか、今少し冷静に」
リアム国王が必死にそう訴えるが、意味がないことは彼自身分かっているのだろう。分かった上で訴えている。いつか、オーランド帝国の仕業ではないのではと思う者が現れた時、あるいは、そう思うきっかけに、最後までオーランド帝国は武器を出さなかったと、戦いを起こさず真実を訴えたとするために。
「黙れ、お前は父の仇だ。もう貴方には尊敬も何もない」
レオハルトが、その腰に衣装として携えていた細い剣に手をかけた。ゆっくりと刀身を抜く。キラリと光ってシャンデリアの灯りを反射したそれは衣装でありながらも使用できる鋭さを誇っていた。軍人でないレオハルトでも扱えるような、軽い刀身。それが捕えられて膝をつくリアム国王の後ろ首の上に向けられる。
「見ていてください、母上。今、父上の仇を取りますので」
人どころか動物も滅多に殺したことのないレオハルトが、緊張した面持ちで剣に視線を向ける。
「ヴィルヘイム」
名を呼ぶ声で、固まっていた私の夫が目玉を動かし始めた。今にも死にそうな父をその目玉に映しながらも、かといってこちらから相手を殺せばアストレア王国に戦争の大義名分を与えることになると理解しているから異能を出せないでいる。拳を固く握りしめているせいで、爪が食い込んでいた。
「国を任せた」
死を決意したリアム国王の言葉だけが空間を貫通するようにまっすぐと鼓膜に届く。
「お前ならば、炎帝すらも救えるだろう」
──炎帝。
その言葉に引っかかったけれど、問いかける前にリアム国王の視線は私へと移った。
「アグリア嬢、息子を頼む。そして、その異能を、己が信じるもののためだけに使うのだ」
──異能。
「ラムロス、セイラ、主人を守り導け」
「「御意」」
「国に残った我が娘と息子たちにも、誇り高く生きろと伝えてくれ」
「……遺言はそれで終わりか?」
言い終わるまで殺すのを待ってくれるのは、リアム国王が無実だと知っているからだろうか。
「まだだ。我が妻に謝らねばならん」
並ぶようにして捕えられている王妃フレアの顔には冷や汗が浮かんでいて、せっかく整えていた髪も崩れてしまっている。
「すまんな、フレア。こんな結末とは」
フレアは夫の謝罪に、泣き笑いを返した。
「いいえ。いいえ。謝らないで。貴方がいるのならば地獄すらも私にとっては天国へと変わるのですから」
「……私は良き妻を持ったものだな」
「ふふ」
場違いな笑みを漏らす二人を、貴族たちが静かに見つめている。捕えられたオーランド兵士たちが国王を助けたいと悔しそうに瞳をぎらつかせている。
「レオハルト王子。最後に一つ、これだけは言っておこう」
「なんだ」
妻に向けた朗らかな笑みを終わらせて、代わりに勝利を確信した不敵な笑みを浮かべたリアム国王は言って見せた。
「貴方は一つ、この場において、致命的なミスを犯している」
何のことかは分からないが不気味さを覚えたのだろう。次の瞬間、レオハルトは剣を振り下ろした。ぐわん、と空間が歪んだような気がした。頭が一つ、血飛沫を上げてその場に落ちた。放り出された頭が床にぶつかったり衝撃で、綺麗にはめられていた国王の証、王冠がカランと金属音を立てて落ちる。
──致命的なミスとは?
私は最後の言葉を考えていた。レオハルトは何を間違えたのだろう。
兵士たちが無惨な叫びを上げて拘束から逃れようと暴れている。しかし「殺せ」というレオハルトの言葉で彼らもまたアストレア王国の兵士によって剣を突き立てられていく。
「夫の後を追うのだな、王妃フレア」
彼女は夫が死んでなお、相手に命乞いをするような真似はしなかった。唇を噛み締めて、気丈にも涙を堪える。
「ヴィルヘイム、アグリア様。貴方たちは、国に戻り生きなさい。そして全ての敵を撃ち倒すのです。私たちの死を、陛下の死を無駄にしてはならない。オーランド帝国の未来は、その強さにかかっているのですから」
言い終えると共に、美しき王妃フレアもまた、レオハルトによって首を断たれてしまった。ドレスに赤いシミが広がっていく。
──私の異能ならば、死して数秒ならば間に合うかも……。
青薔薇による蘇生。あるいは驚異的な回復。それを使えば死を覆せるやもしれぬ……と、思ったのだが。ゆらゆらとお化けのように立ち上がった王妃マリアナの炎の異能によって、二人の遺体は焼き尽くされ始めた。いくら私の異能が強くとも焼かれた者は取り戻せない。ほぼ全ての味方が死んでしまった。当然、次に狙われるのは私たち。
「もう、いいわよね」
「……ああ」
私の言葉にヴィルヘイム王子は小さく頷いた。
この後私たちが彼らを襲おうと殺そうと戦争になろうと、私たちからすれば一方的に疑われて断罪されたから仕返したのだという大義名分がある。今は国王殺しの犯人たちが反撃に出たと言われるかもしれないが、いつの日か真実が明るみになればいいのだ。そうすればアストレア王国の大義名分は崩れ去り私たちが正義として語られる。
この場に残ったのは、レオハルトとクレアによってデザートとして最後に残された私たち四人だけ。味方の兵士とは距離が離れていて、助けには行けないしどのみち絶命してしまっている。青薔薇でももう、無理だろう。
「レオハルト、そしてクレア。二人には失望したわ」
宣戦布告を兼ねてそう吐き出した私の横を、膨大な熱量の何かが通る。その熱さに触れて、私たちを捕らえていたアストレアの兵士が離れて行った。熱の正体はヴィルヘイム王子だ。感情を抑え込んでいたから、一気に爆発したのだ。
「戦だ、かつての再演だ。しかし、その結末は和平には終わらず。未来には俺たちの勝利しか、待っていないのだ」
言いながら歩き出して、ヴィルヘイム王子は父の骸が溢した王冠を手に取った。金の王冠につけられた大きな赤い宝石、ルビーの宝石言葉は勝利。
「今は国へ帰るが、それは逃げるためではない」
父の血に塗れた王冠をそのワインレッドの頭に乗せた。
「全面戦争を望むからだ。最大戦力で来い。今日死した者の仇として、アストレアを滅ぼそう」
まずは国へ帰り、全てを知らせ、戦の準備を。
そこで気がついた。最後の言葉の示すこと。レオハルトとクレアはこの場において何を間違えたのか。
「ここから逃げるなど不可能だ。ここには大量の貴族がいる。異能を持つ者は圧倒的に多いのだ」
なるほど、これだけの人を集めたのは証人の数を稼ぐためだけでなく令嬢たちの異能をアテとする戦力のためか。しかし意味がない。
ヴィルヘイム王子が嗤った。
「いいや、容易く出られるぞ」
──彼らのミスは、私の異能《魔女》を知らないことに他ならないのだった。
戦争における大義名分ってむずいですよね。別にこの世界、アストレアとオーランド以外にも存在するんでそっちからの目もあるし。オーランドは義理や信じるモノ、仲間や絆に重きを置くので……。




