王と寵姫と猫
ソルイエと寵姫の出会いのお話です。
時間軸としては過去のお話ですが、本編読後をお勧めします。
※『転生王子と黄昏の騎士』とリンクしています。
「はじめまして。こんな格好でごめんなさいね?」
それがグレイシス王国国王ソルイエと『後宮の太陽』と呼ばれる金色の寵姫の出会いだった。
季節は春。時間は昼前。暖かな陽射しが執務室に差し込むなか、国王の筆頭執事であるルーク・フェーヴルは、主の顔色を見て、書類を取りあげた。
「ソルイエ、あまり無理するな」
「ルーク?」
そう言うとルークの主、グレイシス王国の国王は首を傾げてみせ、そして苦笑を漏らす。それさえも絵になるような、誰もが溜息を漏らす美しさだが、執事兼幼馴染のルークには見慣れたもの。
それに顔色がかなり悪い。
もちろん執事であるルークは、主の体調管理も完璧だ。朝の時点で体調が悪いわけではなく、朝食もしっかり取っていた。だがそれでも心労とは溜まるものである。
(特にここ最近は、疲れている気がするな……)
ソルイエが即位して二十年近く経った。成人してからも十年以上たち、彼の国王業は年季が入っているといえるだろう。
だがソルイエは国王という肩書だけの、大臣ヴォルフ・バルバッセの傀儡だった。
王家の悲劇により先王である父と兄二人を亡くし、残る王族として国王の座につかなければなかったのは、十のとき。成人するまではバルバッセが摂政となり、国政を取り仕切っていた。
その間に、王城内の貴族やや高官のほとんどが、バルバッセの一派の者となった。ソルイエが成人し、バルバッセが摂政の位を返上し大臣となったときは既に遅く、王城内は大臣の手中に落ちていた。
私利私欲に走る大臣一派を止めようと、ソルイエもはじめのうちは反抗した。しかし最後は屈した。
それでも万事大臣の言う通りにはならないよう、日々心労を重ねながらも執務に励んでいる。
「私は大丈夫だよ、ルーク」
「大丈夫に見えないから言っているんだ」
微笑む幼馴染に、ルークは首を横に振った。
「だいたい、休みはとっているのか? いつ休んだ?」
つい詰問口調になってしまうのは、ルークが心底心配をしているからだ。ルーク自身もソルイエの補佐をしているため休みをとっていないが、それでも彼にかかる重圧と比べれば、身体の疲労など軽い。
バツが悪くなって無言になるソルイエに、ルークはため息を漏らす。そして机の上の書類を片付け始めた。
「今日は終わりだ。午後は謁見もないし、公務も調整する。申請関係も緊急のものはない」
「だが……」
「だいたいお前は無理しすぎだ。これで倒れられて、長く休まれたほうが下の迷惑になる」
だからつべこべ言わず休め、と言う幼馴染に、ソルイエは苦笑を漏らしながら頷いてみせた。
そうと決まれば、とルークは書類を片付け終え、各所に連絡を飛ばす。そしてソルイエを促して、後宮へと向かった。
執務室に残っていると、駆け込みで仕事を持ってこられそうだからだ。後宮まで来るものはいないだろうが、それでも安心はできない。
「久しぶりにでかけないか?」
そうルークはソルイエに提案する。
城下町に出てしまえば、誰も追ってこれはしないだろうし、半日なら問題ない。それに本当に至急なら、自分の配下がどこにいようと連絡がつく。
「精霊祭が近くて、今はどこも慌ただしいから、おまえが町に出ても、そう気づかれないさ」
な? と有無を言わさない幼馴染に、ソルイエは頷くしかなかった。
城下町はルークの言う通り、慌ただしく、騒がしく、賑やかだった。
ソルイエは城下町に溶け込むような服に着替え、さらにフードで頭を隠した姿で、周りを見回す。
「賑やかだね」
「そうだな」
ソルイエの言葉にルークが相槌を打つ。フードは被ってないが、彼も服装を着替えていた。とはいっても護身用に服の内側には暗器が仕込まれているが。
「花の香りがするね」
「精霊祭は花を飾るからな」
精霊祭は春に行われる祭典だ。春の訪れに感謝し、実り多い一年になるよう精霊に祈る。精霊は楽しく賑やかな明るい雰囲気を好むと言われ、精霊祭はおのずと華やかなものになるのだ。そのため、城下町のいたる所に花が飾られる。街頭や店先にはもちろん、一般の店の玄関先や、窓にも。おかげで城下町は花の香りがところどころから漂ってきた。
「皆も楽しそうだ」
「お祭りだからな」
「……そうだね」
不自然な間が開き、ルークが視線を向けると、ソルイエは悲しそうな表情を浮かべていた。それは祭りに対してではなく、祭りでないと笑顔が見られないということに対してだ。
特別な日でなくとも、民には笑っていてほしいというソルイエの願い。
だがそれは今の王国では難しい。奴らのせいによって。
「……そろそろ昼にするか? なにが食べたい物あるか?」
ソルイエの表情には触れず、ルークは努めて明るく言う。城で出るような豪華な食事ではないが、城下町には城下町の美味しい物がるのだ。
丁度場所は噴水のある広場。昼のため屋台が何件か並んでいた。
「あれ、美味しそうだね。すごくいい匂いがするな」
ソルイエの視線の先は屋台だった。パンに焼いて味付けされ焼かれた鶏肉と葉物野菜が挟まれている代物で、値段も手頃である。
「じゃあ買ってくるから、その辺りで待っていてくれ」
「わかったよ」
ソルイエが返事をして噴水の縁に腰かけるのを見届け、ルークは屋台へと近づいた。店先では屋台の主人が客を呼び込み、後ろでは奥方が仕込みをしている。
「いらっしゃい兄さん、どうだい?」
ルークに気がついた主人が、威勢よく声をかけ、にかりと笑った。
「特製のタレに漬け込んだ鶏肉が絶品だ。一度食べたら忘れられないよ!」
「じゃあそれと茶を、二つずつくれ」
「毎度あり!おーい、茶ぁ二つー」
ルークが金を差し出すと、主人は背後で作業していた奥方にお茶の指示をし、自分も準備を始める。切れ目を入れたパンを開くと野菜をおく。焼きたての肉をのせ、タレをかけたら紙でくるんだ。芳ばしい香りが、ルークの鼻をくすぐる。
「お兄さん、おっとこまえだねぇ! 結婚はしているのかい?」
もともと陽気な主人なのであろう。調理をしつつも、ルークに話しかける。
「ああ」
「おお、一緒に歩いていた人が奥さんか! 美人で羨ましい!」
その言葉にルークは目を点にしたあと、ああと思い出す。
自分の主兼幼馴染は、傍から見えれば中性的で美しい顔立ちだったと。長いプラチナブロンドは三つ編みにしてフードを着ているが、面を被っているわけではないから、すべて隠せるわけではない。ここにくるまでもすれ違う通行人の視線を感じていたが、敵意はなかったため放置してなかったのだ。
「友人だよ」
ルークがそう言うと、主人は眉間に皺を寄せる。
「おいおい、じゃあ浮気かよ? 奥さんを泣かせるなよ! いくら男前だからてなぁ……」
「浮気もなにも、男だぞ?」
陽気な主人のお節介な説教が始まりそうな直前、ルークが言う。すると今度は主人が目を点にした。
「…………嘘だろ」
何度も瞬きをする主人に、ルークは苦笑を漏らす。確かに、パッと見だと間違えてしまうような顔立ちだし、身長も自分と比べれば低い。ただ女性と比べれば十分高いが。
「あんた、いつまでも馬鹿なこと言ってんじゃないよ! お客さん、ごめんなさいね。おまたせしました!」
お茶の用意をしてきた奥方が旦那に怒る。主人ははっと我に返り、用意した商品を差し出した。
「ありがとう」
パンとお茶を受け取ったルークは礼を言って背中を向ける。
「本当にいい男だねぇ」
そんな背中に、奥方はうっとりするように呟き、主人がむっと眉を顰めたのだった。
一組の夫婦に小さな波を起こしたルークは、急ぎ主の許へと戻る。
「またせたな、ソルイ……ソール」
さすがに本名はまずいだろう、と愛称で呼ぶ。だが返事はない。
「ソール?」
ルークが周りを見回しても、求める人物はいなかった。
時間は少し戻り、ソルイエは異変を感じた。
意識しなければ、気のせいだと片づけられるような違和感だ。集中するとそれが何かの魔力だと気がつく。ルークに視線を向けると、どうやら主人と話しこんでいる。
普段ならルークを待つが、なぜかソルイエは立ち上がり、その魔力に誘われるがまま、歩き出した。
通りを抜け、建物の間を通る。不思議と誰ともすれ違わなかった。
やや薄暗い道を進むと、開けた場所に出た。周りを建物に囲まれた、中央に大きな木がある広場だ。
(このあたりか?)
ソルイエは木に歩み寄りつつ、首を傾げる。
「呼ばれた気がしたんだが……」
誰に、とはわからない。だが精神操作系の魔法とも違う気がした。もともとソルイエは上級魔法士並みに魔力を保有しているし、そういった類の魔法にかからぬよう護身の魔法具を装備している。
それに身を守る程度の魔法を使うことはできる。
「気のせいか?」
ソルイエはそう言って一人ごちると、その場を後にしようとする。
ふと頭上で音がした。
「ん?」
視線を上げれば、薄緑色の布と白いレースのスカート、そこから伸びる白い足。視線を動かせば、波打つ金色の髪に、ほっそりとした腰つき、豊かな胸。さらに動かせば、愛らしい顔立ちに嵌った髪と同じ金色の瞳とぶつかった。
「ばれちゃった」
腕を伸ばしても届きそうのない高さで、悪戯がばれた子どものように、彼女は笑った。
「はじめまして。こんな格好でごめんなさいね?」
彼女がそう木の太い枝に身体を乗せたまま言う。
年は成人するかしないかだろう女性が、枝に胴を乗せ、手と足で枝に掴まっていて、さらに普通に挨拶されたこの状態に、ソルイエの思考は停止した。
「君は……?」
ソルイエの呆けた口から声が漏れる。
「私は……あ」
彼女が自己紹介をしようとした瞬間、体勢を崩す。
「あぶないッ」
ソルイエは反射的に落ちる彼女に手を伸ばし、彼女を抱きとめた。だが体勢を崩し、彼女を抱きかかえたまま、尻もちをついてしまい、反動でフードが脱げる。
尻を強かぶつけ、目をつぶり、呻くソルイエ。
「ご、ごめんなさい……その、ありがとう」
そうすぐ傍で聞こえて、ソルイエが目を開けると、頬を染めた彼女の顔がすぐ傍にあった。
そこでソルイエは、彼女を強く抱きしめていることに気がつき、彼女を解放する。
「なぜ、君は……」
誤魔化すようにソルイエが言うと、彼女は座ったまま木の上を指さした。
「猫がね、蹲っているのをみつけたの。どうも降りられなくなったみたいで……」
ソルイエが指さされた方をみれば、確かに猫がいた。金と緋色のオッドアイで、胴は薄い紫にも見える灰色。靴下のように足と尻尾だけは黒い毛並の猫だった。飼い猫だろうか、耳には金のカフスをつけている。
猫は彼女が登っていた枝の、さらにさきのほうでじっとしていた。
「……だからといって、落ちたら怪我だけではすまなかったかもしれない」
「ふふ、でもあなたがきてくれて、なにもなかったわ」
ソルイエが咎めると、彼女は嬉しそうに言う。その言葉に、ソルイエは胸が鳴った気がした。
「でも、猫はどうしようかしら……あ」
そんなソルイエに気がつかず、彼女は頬に手を当て悩む。
と次の瞬間、猫が枝から飛び降りて、宙で身体を捻り、音もなく着地した。
そして「みゃー」と一言鳴くと、彼女の膝の上に乗り、そのまま昼寝を始めた。
「大丈夫、みたいだね」
「……そうね……ふ、ふふふ」
お互いに笑いがこみあげてきて、笑い声が響いた。
ソルイエが久々に笑ったと気がついたのは、かなり立ってのことだった。
そのあと、ソルイエは彼女と話して過ごした。ソルイエは気がつかなかったが、彼女の荷物や登るために脱いだ靴は、木の陰にあった。彼女は荷物からお茶や自作のクッキーを取り出し、ソルイエに振舞ってくれ、お喋りに花を咲かせた。
その間も猫は大人しく、彼女膝の上で昼寝をしたり、起きると今度はソルイエの膝で寝たりと、気ままに過ごしていた。
日が傾き、空がほんのり夕焼けに染まる頃、彼女が戻らねばといい帰り支度を始める。ソルイエは名残惜しく思いつつも、別れの時を待った。
「お祭りにくる?」
荷物を持った彼女が問う。
「助けてくれたお礼をしたいの」
「……うん」
そう言う彼女に、ソールは首を横に振ることができず、嬉しそうに笑う彼女と日と時間を打ち合わせする。
「じゃあ約束ね、ソール」
そう言って去る彼女を、ソールと猫は見送った。
沈黙が支配し、夜の気配が忍び寄る。
ソルイエは、猫と向かい合った。
「私を呼んだのは、君かい?」
猫に対して、まるで人に話しかけるようにソルイエは言う。他人が目撃すれば、ソルイエがおかしな行動をしているようにしか見えない。
しかし猫は、尻尾を一振りして、ソルイエの問いに答えた。
「さすがグレイシス王国二十三代国王、ソルイエ・グレイシス。魔力はピカイチね」
ソルイエは驚かなかなかった。猫から異常な魔力を感じ取っていたからだ。しかし敵意はなく、彼女が傍にいたため、下手に行動を起こすことは控えた。
「なぜ私を呼んだ? 君は何者だ?」
「なぜあなたを呼んだかは、偶然。このあたりで私の魔力に反応できる人間が、あなたしかいなかったから」
クワッと欠伸をしながら、猫は言葉を続ける。
「理由はあの娘。この姿で散歩をして木に登って昼寝をしていたら、降りられなくなったと勘違いして助けに登ってきたの。下手に動いてあの善良そうな娘が落ちたら、さすがに良心が咎めるわ。だからと言って、猫の姿で大丈夫―なんて声かけられないし」
それこそ驚いて飛びあがって真っ逆さまよ、と猫は言いつつ、手を舐めて毛繕いをする。姿も行動も猫にしか見えない。
「あとは、私が何者か。それは……」
それを言おうとした瞬間、猫が宙を舞う。猫のいた場所に、小ぶりなナイフが刺さっていた。
「陛下ッ」
「師匠!? なぜここに?」
ソルイエが声がした方を見れば、赤髪の男が抜身の剣を握り、走り寄ってくるところだった。
彼はローランド・オルディス。王国の将軍であり、有数の侯爵でもある。
ローランドはソルイエと猫の間に体を滑り込ませ、白刃を猫に向ける。
「ルーク殿に頼まれまして……おさがりください、陛下。これは人ではない」
ソルイエを背後に庇いながら、ローランドは言う。
そんな彼に、猫はふて腐れたように、ぷいっと視線を逸らした。
「あらあら、まるで私が化け物みたいに言ってくれるのね。ひどいわひどいわぁ」
「ふざけるなッ」
誰が聞いてもふざけているととれる口調に、ローランドは再度剣を一閃する。だが、それも猫はひらりと躱してみせた。
「私は『情報屋』、と呼ばれる者よ。あなたのことも知っているわ、ローランド」
猫は尻尾を揺らしながら言葉を続けた。
「ローランド・オルディス。グレイシス王国将軍。『烈火の将軍』と呼ばれ、先王の筆頭騎士。妻は『閃光』のアンヌ。かなり年下の奥さんで、貴族では晩婚で恋愛婚。子は五人で上からミレイユ、ジョルジュ、クレール、オクタヴィアン、リリアーヌ。遅い結婚の割には子沢山ねぇ」
すらすらとローランドの情報を言い当てる猫。ローランドの柄を握る手に力が入り、殺気だった。
「君は……」
ソルイエが問おうとする。だが次の瞬間、鈴の転がる音が響くと、目の前には猫ではなく女性が立っていた。
肌浅黒く、衣服は下着のように面積が少ない。たわわに実った胸に、くびれた腰、魅惑な曲線を描く臀部、紫水晶のような長い髪に、金と緋色の二色の瞳に泣きボクロ。口元は薄絹で隠されているが、顔立ちは美しい。妖艶を体現しているかような女性だった。
「私は『情報屋』と呼ばれている者。そして将軍のいうとおり、私は人ではない者……あなたたちのいうところの『魔神』という存在よ。知る人は『常世の魔女』とも呼ぶわね。初めまして、国王陛下」
彼女の自己紹介に二人は息を呑む。
『魔神』とは、人間を遥かに凌ぐ魔力を有し、老いと死の観念の外に生きる者、と言われている。だがそれは空想上の生き物だと思われていた。二人にとってこの時までは。
「魔神……」
ソルイエが反芻する。猫から人の身に変わったことを目のあたりにしなければ、信じられなかっただろう。それにソルイエは彼女の人外の魔力を感じ取っていたため、彼女の言を疑う余地などなかった。
「なにが目的だ」
ローランドは剣を下ろさずに言う。
警戒を解かない彼に、魔女は肩を竦めてみせた。
「目的もなにも。もう終わったわ」
「では本当に彼女を?」
疑いの視線を向けるソルイエに、魔女は髪を掻き上げながら言った。
「言ったでしょう? あの娘はいい娘だから。それに今回は私の落ち度だったし」
「落ち度、だと?」
「ええ。いつもは誰もこないようにしているのに、あの子には効かなくて。魔力がないせいか、それとも別の要因か……」
いつもは自分の住処に引き籠っているが、外に出たくなることもある。そんなときは周囲を少しだけ操作して、人と会わないようにしているのだ。もちろん、猫ではなく人の姿で出歩くときもあるが、そのときは人の印象に残らないように操作をしている。
ソルイエやローランドのように招き入れたなら別だが。
魔女はそこが疑問だったが、いくつもの可能性から確定することができず、首を横に振って思考を中断した。
「それは置いといて、ソルイエ、私はあなたに借りができたわ」
「え?」
「あなたは私の失敗を補填してくれた。ならそれに対して、私は対価を払わねばならない。世の中は等価交換よ」
そう言って魔女は、唇のあるであろう場所に人差し指を持っていく。
「情報をあげるわ。どんな情報でも一つだけ。あなたを救える情報かも?」
首を傾げてみせる魔女。どことなくあどけなく思え、ソルイエは思わず笑みが零れた。
「……いえ、いりません」
「えー?」
魔女がわざとらしく声を上げてみせた。
「なんでもよ? 今なら白金貨百枚の価値がある情報も、タダよ?」
「ええ、だって一つだけでは、私は自分が助かるとは思えない。それに、私は自分だけ救われても、意味はない」
ソルイエにとって、自分は守るべきものにはいっていない。
守るべきは家族。そして国と民。もし自分だけが助かって、ほかが傷つけられたら、後悔してもしたりない。それに自分は罪人だ。許されるべきではない。
(それに……)
「対価を受け取ったら、彼女との出会いが意味のないものになってしまいそうだから」
「あらまあ」
ソルイエの言葉に、魔女はにやにやと薄絹の下でにやにやと笑う。
「わかったわ。でもそれじゃあ私の気がおさまらないから、この借りは必要になったときに使って? 期限はあなたが死ぬまで、よ」
魔女の言葉と同時に、鈴の転がる音が響いた。
目の前に魔女の姿はなく、猫が一匹。
「それじゃあね、ソルイエ、ローランド」
そう言って、尻尾を振りながら去っていく。
「さて、この出会いが偶然か、必然か……」
そう呟いた魔女の声は、猫の鳴き声に変換され、二人に届くことはなかった。
「彼女と会ったあと、ルークにすごく怒られたよ」
ローランドに護衛され城に戻ると、心配しすぎて立腹したルークに出迎えられた。そのときのことを思い出し、ソルイエは苦笑を漏らす。
どうやら魔女は、あの場所に自分を呼び出すとき、ルークが用意していた影の護衛も煙に巻いたらしくルークはかなり焦ったらしい。
しかしすぐに大々的に捜すわけにもいかず、運よく通りがかったローランドを頼ったということだった。もちろん自分の手も駆使したが。
時はあれから十年近く経っていた。
私室で暖炉側のソファに座り、目の前には絨毯の上でクッションに座った末息子のハーシェリクがいる。
夜、私室に訪れたハーシェリクとお喋りに興じ、なぜか母親の出会いの話に発展したのだった。
魔女のことは伏せて、当時のことを思い出しながら語ると、ハーシェリクは嬉しそうに話を聞いていた。
「それで父様……父上、母上とはその後どうなったんですか?」
もうすぐ学院に入学するため、ハーシェリクは父や兄たちの呼び方を直そうとしている。癖で呼びそうになり、その都度照れながら修正する姿は愛らしいが、少しだけ寂しく感じるソルイエだった。
「時間を作って一緒に精霊祭を周った。広場でダンスも踊って楽しかったよ」
そのことに関しては、拗ねているルークが「俺が必死に探している間に、女性とお喋りか。いいご身分で羨ましいですね。あ、王様でしたっけ」と、文句を言いながらも快く手伝ってくれた。
「それでそれで?」
身を乗り出して聞くハーシェリクに、ソルイエは微笑みながら続ける。
「祭りが終わったあとも会って、一年くらい経ってから、彼女から告白されたんだ」
月に数度会えればいいほうだった。彼女はいつも変わらぬ笑顔で迎えてくれた。
当時それに、どれだけ救われたことか。
「おー!」
まるで乙女のように胸の前で両手を握り、盛り上がるハーシェリク。
父は見ての通り美形な国王。母は平民だが美しき女性。貴族と平民の格差恋愛に、前世のオタク女子の萌えが刺激されまくりで、ニヤニヤが止まらない。
ソルイエには、母の話を聞いて喜んでいる子どもにしか見えないが。
「一度は断ったけど、ね……」
そこでソルイエは言葉を止める。
本当に結婚して、彼女を後宮に向えてよかったのだろうか、と思うことがある。
彼女は平民で苦労もしただろう。それに大臣のこともあった。彼は、平民の彼女を嫌っていたように見えた。それが彼の一派に伝染して、彼女のことを陰で悪くいう輩も絶えなかった。
それでも彼女が弱音を吐くことも、泣くこともなく、いつも変わらない微笑みで、太陽の如く後宮を照らしていた。
「……彼女は、幸せだったかな」
ぽつりの零れた呟き。
その言葉にハーシェリクがいち早く反応した。
「何を言ってるんですか、父様!」
つい呼び方が戻ってしまったが、ハーシェリクは気づかず続ける。
「絶対幸せです!だってメリアも城の人たちも、誰一人も母様の泣いた顔みたことないんですよ? 母様と母様の笑顔が好きだったって、皆が言ってました! だから幸せだったに決まってます!」
自信持って力強く言うハーシェリクに、ソルイエは破顔し、手招きをした。
「こっちおいで、ハーシェ」
「とう……父上?」
首を傾げながら、立って歩み寄るハーシェリク。
ソルイエは、末息子が傍にくると抱き上げ、膝に乗せる。
重くなった体重に、彼の成長を実感することができ、嬉しくて泣きそうになった。
「私と彼女の許にきてくれて、ありがとう……ハーシェリク」
ソルイエはそう言って、ハーシェリクを抱きしめたのだった。
ということで、ソルイエと寵姫と魔女さん(あとルークとローランド)の話でした。
本編書いてたら「(自分で書いておいて)欝展開すぎて気分が滅入るわ」とかなって、気分転換でハーシェのパパとママのいちゃいちゃ話を書こうとしてました。
しかし書くにつれて、『リア充実見て(自分が)欝。爆発しろ』『なんだかんだでシリアスぶっこんで欝』『将来的にはママ死ぬから欝』と欝な展開抜け出せてなかったです。ナンデコウナッター
といいつつも結局は楽しんで書いたので、もうしょうがないね!と開き直りました。
楽しんで頂けたたでしょうか。楽しんでもらえたらいいな!って思います。
さてこのネタは、憂いの大国からあったんですが、いつもの如く「どこにぶっこめばいいかわからない」という理由で本編にはいれなかった話です。
さりげなく新しい情報を仕込みましたので、わかった方はニヤニヤしてもらえたらと思います。
ちなみに魔女の言う等価交換というのは、彼女にとっての価値なので、傍から見れば首を傾げる人もいると思います。人によって価値は変わるのです。
ではでは
2017/5/7 楠 のびる