第93話
「勢いは良いよ。でも少し不用意にフック貰いすぎかな。」
第四ラウンドが終わり、俺の顔には多少の痣が出来ている。
しかし一応は急所を外しており、足に来るようなダメージではない。
それでもひりひりと焼けるように熱い傷跡が、彼の異名を物語っている様だ。
「ボディ効いてるよ。剥きになって打ち合ってたからね彼。この先ちょっと動きも鈍りそうなものだけど。」
会長の言葉通り、傷ついた見返りに相応しい収穫があった。
彼は根っからのヘッドハンター。
プロになってからボディで倒した事は一度もなく、切れのあるパンチで急所を打ち抜くのがスタイルだ。
その技術は確かに見事だが、多少の奢りも見え隠れするのが偶に傷。
今回もまた、綺麗に倒してやろうという意思をひしひしと感じる。
もしかしたら、誰かへの対抗心なども絡んでいるのかも。
「次も積極的にボディ狙って行こう。でもあの左、近い距離でも打てるから要注意ね。」
頷き立ち上がった所でゴング、第五ラウンドの開始。
対角線を見やり動きを確認すると、まだ目に見えての衰えは無さそう。
だがこれは恐らく我慢しているだけ。
俺だってそうするから分かるんだ。
なので先ずは左から入り、二度三度互いの触角をぶつけ合ってから右。
「…シュッ!」
(一瞬反応が遅れたな。これは入る。)
そう思ったのだが、首でいなされた。
だがこれは足で捌けなくなってきたという証明。
ある程度の距離で向かい合っていると分からないが、近い距離のやり取りで反射的に動く時、僅かなれど差が見える。
「…っ!?」
(攻撃が激しくなった…後手を踏むと不味いと思ったか?)
危険を察してからの切り替えが早い。
これまでの様にサークリングするのではなく、切れのあるパンチを正面切って打つようになってきた。
今まではどちらかと言えば、こちらに合わせて動いていた印象。
だが今は、自分から打って出る形で俺からの攻勢を凌いでいる。
少々ボディを効かされた程度で鈍る様なパンチではないらしく、ガードしている腕にミミズ腫れが出来そうなほど鋭い痛みが走った。
このまま打たれ続ける展開は不味い。
こちらから手を出さなければ。
とは言え回転が速く、上を狙うのは少々リスクがありそう。
恐らく向こうもその一瞬を待っているだろう。
「…っ…シィッ!
そして意を決し放ったのは、感覚任せの右ボディストレート。
手応え自体はあったが、打ち初めに下から掬いあげられ一瞬顎が跳ね上がってしまう。
なれば追撃が来るのも当然。
右フックは瞬間的な反応でガードに成功。
だが途切れない、続いて襲い来るのは左のショートストレート。
これは回避が間に合わず覚悟を決めた。
こちらだけが貰う形ではなく、せめて相打ちにしてやろうと。
「…シッ!」
放ったのはいつも通り最短距離を走るジャブ。
一瞬俺の左が先んじ向こうの鼻先を捉え、相手の左は軌道が逸れこちらの鼻先を掠めただけ。
切り崩すならここしかない。
間髪入れず左の弾幕で襲い掛かる。
「…シッ!……シッ!」
下がって距離を作ろうとした所を、追いかけてのジャブ。
完全に鼻先を捉えた感触が拳に伝わった。
そして染みついた習性で反時計回りに動こうとした所を、初動を見極め先んじ更にジャブ。
これも捉えた。
左が綺麗に刺されば気分は乗って来る。
こうなればもう止まらない。
「…シッシッシッシッシッ……シッシッシッ!」
右は動物的な感覚に委ねたまま、絶え間なく左の雨を降り注ぐ。
相手は既にロープ際、右か左かそれともフックを引っ掛けるか。
とにかく立ち位置を入れ替えたいはずだ。
そんな焦りを本能が見抜いたか、俺の右が自然と伸びる。
「…シィッ!!」
(…左フック…これに合わせるっ!)
相手がここぞと放った鋭いフック。
だがその内側を走り、こちらの右ストレートが先に顔面を捉えた。
(くそっ…クリーンヒットじゃない。ロープのしなりで空間を作られたな。)
相手は貰う直前に体重を後ろにかけ、ロープをしならせ直撃を避けたようだ。
瞬間的な判断としては見事。
そして打ち終わりの隙を逃してはくれず、ロープ際を脱出されてしまう。
丁度拍子木の音も響き、ロングレンジから飛んで来る右を捌いた所でゴングとなった。
▽
「上出来だよ。向こうは常に下を警戒してるから、上のパンチに反応が遅れるんだ。次のラウンドも…」
なるほど、確かにこちらが追いかけて打つ時、ガードが少し下を意識した形になっていた。
つまり腹を叩かれるのが嫌なんだ。
カァ~ンッ!
第六ラウンドが始まると、俺から勢いよく距離を詰めていく。
すると相手は迎え撃つ体勢を装い、強めの左で動きを制してからクリンチ。
この試合で向こうから仕切り直しを求めてきたのは初めてだ。
こういうのは少し自信になる。
「…っ…ちっ…」
再開直後、右のフェイントから仕掛けられ、無様に反応してしまいレバーブローを貰ってしまう。
こちらも上下に打ち分けろと指示を受けたが、先にやられてしまった形。
こういう所の緩さが、俺というボクサーの弱さに繋がっている気もする。
一度意識を引き締めるべく、距離を取り構えを解き深呼吸。
だが集中は切らしていない。
踏み込んできたらタイミングを合わせ打ち込むつもりだった。
しかしそんな腹積もりは承知の上か、相手は反時計回りに動きながら眺めるのみ。
「…シッシッ!」
(こっからだ…行くぞっ!)
踏み込んで左。
タイミングを合わせ放ってきた相手の右が頬を擦り、痛みを覚えながらもジャブを上下に打ち分けていく。
そこから一度右のフェイントを挟み、再度左ボディストレート。
しかし距離が遠く届かない。
だが引かず上にフェイントを見せてからもう一度踏み込んで、更にみぞおち目掛け左ボディストレート。
手に伝わるのは硬い腹筋の感触。
直後、腕が伸び切った所に鋭い打ち下ろしの左が迫る。
「…っ!!」
際どいタイミングだったが僅かの差でこちらに軍配、素早く上体を仰け反らすと鋭い一撃は眼前を通り過ぎるだけにとどまった。
その直後、俺は間髪入れず動く。
選択したのは、再度踏み込んでの左ボディストレート。
向こうもこれには虚を突かれたらしく、拳が深々と腹にめり込む感触を覚えた。
表情から見ても間違いなく効いただろう。
ここは攻め時、更にしつこく左のフェイントを見せると、嫌がり下がったのを確認。
逃がさない、ここは追い詰めるべきだ。
相手もここで迎え撃つ判断は下せないらしく、鋭い目つきでこちらを捉えながら華麗なステップで幻惑してくる。
まだまだその足は健在であり、右か左か、どちらに動くか見極めの瞬間。
「…シィッ!」
思考というより感覚で右を伸ばした。
その一撃は両者のキュッというシューズの音と重なり、グローブが肌を打つ乾いた音を会場に響かせた。
捉えたのは時計回りに動いた瞬間、余りにも綺麗に捉えられたので俺自身が一番びっくりしている。
いや、そんな暇はない。
相手は完全に腰砕けとなっており、仰け反る体勢のままロープに背を預けている。
ここは何が何でも攻め抜くべき瞬間だ。
「…シッシィッ!…シュッ!…シィッ!」
(クリンチを許すなっ!仕留められるときに仕留めるんだっ!)
ここまでやってきて分かったが、この人と俺に地力の差は殆どない。
後は流れの中でチャンスを逃さないか否か、そう言う勝負。
俺はここで決められなければ負けるぞと自分に言い聞かせ、雨の如き連打を降らせる。
見やれば相手の右腕はロープに絡まっており、反撃もクリンチも出来ない体勢。
不運なところ悪いが、これも真剣勝負の綾。
絶対に手は緩めない。
右、左、右、左、右、左、右、左。
躊躇いなく、殆ど横殴りに近い状態で拳を突き出し続けるのみ。
「…ストップ!ストップだっ!」
「はぁはぁはぁ…はぁはぁっ…はぁ…」
レフェリーが間に割って入った所で周囲を見やると、どうやらタオルが投入されていたらしい。
会場の歓声が今更耳に届き、勝利の実感がわいてくる。
それはそれとして中村選手に駆け寄ると、まだ出来たのにと言った感じで不完全燃焼な雰囲気を醸し出していた。
俺から見ても只の強がりではなく、本当にまだ余力を残しているように見える。
まあそれでも互いの健闘を称え合い、肩を抱き合い一言二言。
「はぁ…はぁ…負けました。」
「いえ…はぁはぁ…強かったです…本当に。」
彼はそれからすぐにガウンを羽織り陣営と共にリングを降りていったのだが、王拳ジムの浜口会長が俺にチラリと視線を向け、無表情で頷いてきたのはどういう感情か。
それからレフェリーに手を掲げてもらっていると、牛山さんがベルトを巻いてくれた。
試合前はあまり気にしていなかったが、不思議なもので守り切った今は色々な感情が溢れ出している。
「「「おめでとうございます。」」」
拍手と共に控えめな祝福をくれるのは、リングを華やかに彩ってくれた三人。
会場からも温かい声援が降り注ぎ、チャンピオンとしての初勝利を祝ってくれている。
俺はそれに感謝を示しながらインタビューにも精一杯応え、更なる飛躍を誓うのだった。




