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父子鷹の拳  作者: 遠野大和
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第92話

「中間距離は君の持ち味だけど、拘り過ぎる必要はないよ。ああまで半身(はんみ)の体勢で横に激しく動かれるとね。」


確かに事前に映像で確認した立ち回りとは異なり、この試合では横の動きに重点を置いている様だ。

ではそれを踏まえどの辺りが穴になるだろうか、こればかりは臨機応変に組み立てていくしかあるまい。

彼、中村レナードの唯一の敗戦を思い返せば、確かボディで倒されていた。

相手は松田選手で、左ストレートに相打ちを狙い踏み込んでの博打だったはず。

際どい交差の結果前王者に軍配が上がるも、失敗すれば大きなダメージを追っていただろう。

いや、もしかすると最初から勝算があったのかもしれない。

そしてそこからタフネスと並外れた精神力で、松田選手が試合を優勢に進めていく。

一方中村選手は相当に疲れており、後手に回る事も多かった。

判定まで行けば勝てるかもという、逃げの心も透けて見えていたように思う。


カァ~ンッ!


彼も俺と同じなのかもしれない。

負けを知って強くなって這い上がってきた。

向き合う俺には分かる。

その瞳には弱々しい精神など微塵も見えない事実が。


「…シッ!」

(もう敗北など許されない…そう思っている目だ。)


俺が左を伸ばせば相手も右を伸ばし、やはり軌道が重なり乾いた音を響かせる。

いつもなら回転の差で押し切れるのだが、相手のポジショニングが上手く中々難しい。

常に俺から見て左に動き続けているので、思わず追いかけ右を伸ばしたくなるのが人情。

俺も無意識にそれをやってしまっていた。

不味いと思った時には既に手が伸びており手遅れ。

相手は一瞬で切り替え逆方向にステップ、俺の右側面を取った。

そこから、


「…っ!?」

(…ガードっ!?…は、間に合わないっ!)


鋭い左ストレートを間一髪ショルダーブロック。

伸ばした右腕に顔を隠すような体勢で回避した。

余り格好の良い姿ではないが、これはもらうと不味いので仕方ない。

いや、不味いのはここからか。

当然の如く、流れるようなコンビネーションで追撃してくるのだ。

右フック、顔をねじる様に沈ませ躱す。

再度襲い来る左ストレート、これは肩からぶつかる勢いで密着し躱す。

こちらはそこから流れる様にクリンチへ移行。

一応クリンチの練習というのもやってきており、それが実を結んだ形だ。


「…ボックス!」


取り敢えず中間距離から再開。


(ステップワークが上手いな…目で追っちゃ駄目だ。)


今までみんな、これでやられてきたのだと実感し始める。

あの切り返しは一瞬目の前から消えたかと思う程鋭い。


(世界なんてまだ知らないけど、やけにレベル高いんじゃないか?国内ライト級。)


そう思いながらジャブ二発、これを囮に踏み込む動作を見せた。

相手はキュッと鋭く左右にステップ、そして若干の距離を取る。

近づかれるのは嫌らしい。

だがここまで神経質になられては、下手に踏み込めば返り討ちに合いそうだ。

結局リードブローの差し合いに終始。

そしてゴング、恐らくこのラウンドは取られてしまっただろう。



「問題ない。あそこまで警戒するってことは、踏み込まれたら分が悪いと思ってる証拠だよ。」


あのタイトルマッチしか知らない人などは、俺が近い距離で打ち合う選手だと思っているかもしれない。

まあ対戦相手となれば研究するだろうしそんな事を思っている訳もないが、それでも近い距離も結構やれると見せられたのは大きかった。

確かにこの試合は今の所ペースを握れていないが、精神的優位という意味では寧ろこちらにあるのでは?

そんな事を思ってしまう。


カァ~ンッ!


第三ラウンドのゴング。

本当に会長の言葉通りなら、ガンガン脅してやろう。

俺が彼らにやられたことを、そのままこの男にしてやろうじゃないか。


「…シッシッシッ!」


まずは先制として左の連撃、ジャブ三発。

続き強打を放ちたい所だが、やはり位置取りが上手く打たせてはくれない。

だが、


ダンッ!


思い切り気持ちを乗せた踏み込みのフェイント。

直後相手は過剰な反応を示す、俺が大道選手にやられた時と同じように。

なるほどこれが嫌か、ならば追い掛けてやろう。

彼は確かにステップワークも上手く、位置取りもしっかり考えられている。

だが心の奥底には苦手意識があるんだ。

だから俺ごときに踏み込まれる事にも、ここまで警戒心を覗かせる。


(追いかけて追いかけて…感覚頼り。大丈夫。何故か分かる。相手がサウスポーだからか?)


俺は重心を落とし、マットを擦る様な足取りでガードの隙間から相手を覗き込む。

だが本当に踏み込むわけじゃない。

圧力を掛け続け、言ってしまえば嫌がらせをしているのだ。

何度も何度も、そら行くぞと脅しをかける。

強引に踏み込んでから相打ち覚悟で振り回してやるぞと。


(ジャブは丁寧に捌く、フックはガード、アッパーはウィービングで躱す。)


合間合間で踏み込みのフェイントを挟み嫌がらせ、決して良い様にリズムは作らせない。

おかしいのはこうして小さな積み重ねをしておきながら、最後は感覚頼りという一点。

だがこの感覚は結構信用できる気がするのだ。

そう、いつもは光らない俺の右が、サウスポー相手の時だけ光り輝く。

丁寧に丁寧に圧力をかけ続け、もうすぐ相手はロープを背負う位置。

ポジショニングをとても気にする彼の事、ロープが背中に当たる感触はさぞ嫌な事だろう。

ならばどうする?

空間がほしいと願う筈だ。

予想通り、相手はステップを切り替え反時計回りから時計回りへ。

広い空間の方へ行こうとするのはアウトボクサーの性、俺も良く分かる。


「…シィッ!シィッ!」

(ドンピシャっ!)


右ストレートから右ストレート、一発目は手応え十分二発目はいなされたか。

だが二発目を躱す為、相手は苦し紛れのスイッチ。

いや、一応は様になっているので出来る事は出来るのか。

それでもロープを背負う体勢、ここは逃せない。


「シッシッシッシッシッ!」

(それじゃ、差し合いで勝負にならないよなっ!)


相手からクリンチの初動を感知した瞬間、軽くバックステップと同時に左の弾幕。

相手も応戦し左を伸ばすが、やはり右構えでは本来の速さも切れも不十分。

結果こちらの左だけが数発顔面を弾き、危機感からか一瞬顔を歪ませたのを確認。

なればさらに勢いに乗り、相手はどうにか逃れようと試みるもその心理を利用しコーナーへ誘導、更に追い詰める。

そして相手の背中がコーナーポストに当たった瞬間、心底意外そうな表情を覗かせた。

眼前に意識が行きすぎて周りが見えていなかったのだろう。

この気持ちも理解出来る。

この人と俺は、本当によく似てるんだなと思ってしまった。

更に追撃をと思った所でゴング、決定的なダメージを与える事は出来なかったが、精神的には大きく流れを掴んだように思う。



「気を付けてね。彼プライド高いタイプっぽいから、相当頭に来てるよ。激しく来るかも。」


表情からは分からないが、そう言う一面もあるのだろうか。

一応注意はしておこう。


カァ~ンッ!


第四ラウンド、先の流れを掴んで離さないようこのラウンドをしっかり立ち回らなければ。

そして相手を注視すると、意外にも一直線に距離を詰めて来る。

その顔は如何にも怒気に満ちており、冷静な判断からの行動とは思えない。


(初撃を狙い打つっ!)


見切るため集中し、少しガードに意識を向けたままカウンターを狙う。

だが相手は中間距離で立ち止まると、細かいフェイントで牽制するだけ。

これはもしかしたら狙いが被ったか。

つまりこの一瞬、どちらもがカウンターを狙っていたという事。

俺は彼が一気に攻めてくると思い、向こうは俺が反射的に手を出すと踏んだ。

結果どちらもが手を出さず、現在の様な睨み合いになってしまった。

しかし睨み合っていても埒が明かず、両者が同時に動き出す。

俺はいつも通りリードブローから、向こうもそうだと思いきや踏み込んで右を被せてきた。

それを反射的に肘で跳ね上げてからこちらも右を返すと、向こうも反応し左を返す。


「…ちっ!!」

(なるほど気が強いっ!やられたらやり返すってかっ!?)


際どい交差だが、深く貰ったのは多分こちらの方。

カミソリの異名は伊達ではなく、一瞬目の前がチカチカした。

それでも俺はさらに踏み込んでいく。


(どうやら頭に来てるのは本当みたいだな。)


証拠に足を使って距離を取るのではなく、真正面から俺を迎え撃ってくれた。

何故この様な真似をしたのか。

そんな事は分かり切っている。

俺が近い距離を得意とする選手ではないと知っているからに他ならない。

そんな相手に何度もふざけた真似をされたのだから、彼の怒りも分かろうというものだ。


「…シュッ!」

(…俺がやられて嫌だった事、それはこれだっ!)


あの苦しみを思い出しながら、ボディ目掛けて真っ直ぐ右を伸ばすと同時、側頭部に鋭い衝撃が走る。

どうやらガードが空いた瞬間を狙い打たれたらしい。

だがこちらにも手応えはあり、しっかり鍛え込んだ腹筋に当たる硬い感触が拳に残った。

そこから相手は体勢の低い俺をかちあげるべくアッパー、俺は仰け反り躱しざま置き土産のジャブを鼻先に置いていく。


「…シッ!」

(よしっ!鼻っ柱捉えたぜ!)


この試合初めてかもしれない、芯を捉えたジャブ。

やはりこれが当たると気持ちにエンジンが掛かる。

この在りようは安定しないので駄目だと分かっていても、性分なのだから仕方がない。

それに俺はこの左あってのボクサー、これが当たらなければ何もかも始まらないのだ。

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