第91話
少し高めの位置にあるモニターの中では、今まさに明君が奮闘していた。
動きから感じる印象として、いつもより切れがない。
でも佐藤さんとの練習が活きているのか、距離を取ろうとする相手を上手くロープ際に追い詰めている。
「遠宮君、アップしなくて大丈夫?」
「はい。もう少ししたら動こうかなって。」
陣営のセコンドには清水トレーナーが加わり、及川さんは俺の専属として付いてくれている。
基本的に俺は、一人よりも気心の知れた誰かにいてほしいと思う質なので、これは有難い。
そんな中アップするよりまずは集中するのが先と、ガウンを深めに被ったまま寝台に座り呼吸を整えていた。
初防衛戦のプレッシャーとかは元からそこまで感じていなかったが、ドタバタで完全に消え去ってしまっている。
正直これは不味い。
プレッシャーというのは、感じすぎるのも駄目だし全く感じないのも駄目。
程よく背負い力に変えていかなければ。
今はそれを取り戻している最中。
「あ、菊池君勝ったね。調子よくないみたいだったけど、誤魔化し方上手かった。誰に習ったんだろ。」
「はは、多分佐藤さんですね。彼はいつでも淡々とこなしますから。」
二対一の判定、僅差だろうが勝ちは勝ち。
そして勝てば次に繋がるのがボクシングでもある。
その結果を受けてという訳でもないが、俺も徐々に始動。
軽いシャドーから入る。
どうやら心はある程度定まり、いつも通り切り替える事が出来てきた。
体の切れも悪く無い、特に左はいつも通りの感触。
そうしてゆっくり体を解してから暫く、佐藤さんの試合が始まった。
俺はモニターに集中、彼の試合を生で見るのは初めてだ。
「ちょっとミスマッチな感じしませんか?」
「う~ん、どうだろ。今日の佐藤君が出来良すぎるってのもあるかな~。」
試合は一方的だった。
一見して下がっているのは佐藤さんだが、これはいつもの事。
相手は前に出ているだけで、クリーンヒットは一発も無い。
それ所か、手を出せば出すほどスウェーからのカウンターをもらう有様。
そして第三ラウンド、一度目のダウン。
「慎重、でも攻撃の手は緩めない。この辺りは流石って感じですね。」
「うん。こういうのは本当に持ち味だよね~。」
選手の性格として、頭では分かっていてもがむしゃらに突っ込んでしまう人も多い。
続いて二度目のダウンを奪った所でレフェリーストップ。
相手が無名の選手とは言え、何もさせずに勝つのは存外難しい。
だからこそ、それが出来るのは力の証明。
そして会場のざわめきが冷めやらぬまま、セミファイナルへと入っていく。
こちらはミニマム級の東洋ランカー同士の試合。
一方は古巣でもある成瀬ボクシングジムの選手だ。
「遠宮君、グローブ嵌めて軽くミットやろ。」
及川さんは係の人を呼ぶと素早く準備、そのあと俺は胸の前で両拳を合わせ感触を確かめる。
流石にここまで来れば自分だけに集中だ。
パンパンと小気味いい音が響く中、会長たちもやってきてその様子を眺める。
皆ホッとした様子。
無理もあるまい、浮ついていたらどうしようと内心思っていたに違いないのだ。
モニターから響く何ラウンド目かのゴング、それを合図としアップは終了。
もう一度寝台に座り瞑想に耽った。
▽
「統一郎君、行くよ。」
俺は頷き三人の後に続く。
そしてセコンドから外れる清水トレーナーに激励をもらいつつ通路へ。
そこにはやはり後援会や陣営、友人知人などからなる花道が。
「統一郎、頑張って!」
「統一郎ちゃん、応援してるからね!」
中には渡瀬夫婦の姿もあり、いつの間に交流を深めたのか如月一家と並んでいる。
見れば店長夫妻の姿もあり、猶更気合も入ろうというもの。
プレッシャーも声援も、果ては不安さえも力に変え俺はリングへと歩む。
チャンピオンベルトを掲げるのは牛山さん。
背中が誇らしげに見えるのは気のせいではなかろう。
ワァッ!!
通路を抜けた先は長い花道だった。
飛翔の旋律とオジロワシを背に、いつも通り会長に誘われリングイン。
一旦の静寂のち挑戦者の入場。
彼はこちらとは違い、ロープの上を飛び越える派手なパフォーマンスを見せた。
金色を基調としたガウンが、当人の雰囲気と調和し良く似合っている。
『只今より、本日のメインイベント、ライト級十回戦……』
ざわざわとする会場にリングアナの声が響き渡る。
俺は挑戦者の一挙手一投足を眺めていた。
足運びからは身体能力の高さが伺える。
『赤コーナ~公式計量百三十四ポンド四分の三、十八戦十七勝一敗八つのKО勝ちがあります………日本ライト級チャンピオン~森平ボクシングジム所属、地方の星!とおみや~とういちろう~~っ!』
『青コーナ~………十三戦十一勝一敗一引き分け七つのKО勝ちがあります…………日本ライト級第二位~王拳ジム所属、レイザー!なかむらぁ~レナァ~ドォ~っ!』
レイザー、剃刀と言う意味らしい。
スパっと切れるカミソリパンチ。
それが彼、中村レナードの武器だ。
そしてリング中央顔を突き合わせる。
彼は視線を外さない。
こちらも応じてその瞳の奥を覗き見る。
獰猛さと自信、若干の気負いと焦りが見て取れた。
両者が背を向け自陣へ戻りいざ試合開始を待つ。
「反時計回りでグイグイリードブロー打ち込んでくるからね。慌てずしっかり見て。」
相手の試合は全部見た。
へその辺りまで下げた右を器用に打ち分け翻弄し、切れのある左ストレートを打ち込んでくるのだ。
カァ~ンッ!
第一ラウンドのゴング。
始まりはいつも通り、油断なくグローブを差し出し挨拶の構えから。
するとあちらからは、強めに叩く荒々しい挨拶が返ってきた。
だがいきなりプレッシャーをかけて来たりはしない。
彼なりの挨拶、この試合における意気込みと言った方が近いか。
「…シッ!」
(まずは小手調べ。)
左と右のリードブローがぶつかり合い、何度も小気味良い音を響かせる。
相手の構えはデータよりも幾分か半身。
しかし右を放ちながら耐えず反時計回りなのは変わらない。
基本的にこの人は真正面に立つ事はしないのだ。
ステップのリズムも時折変えてくるので、見切ったと思った時が一番危なかったりもする。
「…シッシッシッ…」
(一ラウンド目はこの人の呼吸を覚えたい。)
このラウンドは相手に付き合い、若干下がりながら左を突く。
何度か踏み込むフェイントを交えてくるが、何となく真偽を判別出来ていた。
近い嫌がらせを散々やられたからだろうか。
前王者らの圧力に比べれば、この人のはそこまでではない。
「…シィッ!!」
(ここっ!!)
自分でも驚くようなタイミングで放たれた右ストレート。
以前もそうだったのだが、サウスポーを相手にした時だけ右から入るタイミングが掴みやすい。
だが今回は相手のレベルが違い、鼻先を掠めるにとどまった。
見切られたわけでないのは、その表情を見やればわかる。
プライドが高いタイプなのか、やり返すべく向こうも直ぐ左を伸ばしてきた。
これは鋭い。
初動を見切っていても危うく躱し損ねる所だ。
見た目より伸びるという事はないが、とにかく速い。
同じく体勢の戻しも早いので、打ち終わりを狙う際には注意が必要だろう。
「…シッシッシッ!」
ジャブ三発、相手も同じく右三発。
タイミングが噛み合うのだろうか、拳同士が当たって乾いた音を響かせた。
瞬間ピクリと互いの利き手が動くも、タイミングが合わず一旦バックステップ、仕切り直し。
相手は相変わらずの反時計回り、だがそれを追いかけようとするのは悪手。
鋭いステップの切り返しで振り切られてしまう。
そこからすれ違う様にして、カミソリと名付けられた拳で斬り裂くのだ。
「…シッ…シッシッ…シィッ!」
(目で追うのではなく、俯瞰で見る。あとは感覚を信じろ。)
際どい主導権争い。
何度も何度も左と右がぶつかり合い、この距離は自分だと主張し続ける。
それでも俺は自信を持っていた。
サウスポーに対して打ち抜く感覚が自分にはあると。
こういう速い選手は特に、一点を見ては駄目なんだ。
全体の流れで動きを把握しなければ捌きが間に合わない。
パシンッ!パァンッ!パシッパァンッ!
その時、グローブを打ち付け合う音と拍子木の音が重なった。
直後、優勢を誇示しようというのだろう、相手は鋭いステップインから左ストレート。
何となく来るような気がしていたが、やはり鋭くカウンター狙いの博打は避け回避に専念、そして追撃も躱した所でゴング。
王者として迎える初めてのラウンドが終わりを告げた。




