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父子鷹の拳  作者: 遠野大和
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第74話

六月十九日土曜日、泉岡県営体育館で前日計量が行われた。

本日は最高気温が三十五度という猛暑、減量には役立つが体には優しくない。

調整にもその影響は出てしまい、リミットから四百グラムほど下回ってしまった。

情けない話だが、少し前に夏風邪もひいてしまい体調は万全とは言えない。

一方相手の篠原選手はリミット丁度ときっちり仕上げてきた様子。

しかし表情は硬く、怪我から復帰しての初戦なので色々思う事もあるのだろう。


「遠宮君、篠原選手と並んで一枚良い?」


声を掛けてきたのは、久しぶりな気がする陸中テレビの山崎さん。

最近はジムの取材にも同行していないので、少し疎遠になっていた。

昇進でもしたのかと思っていたが、そういう訳でもないらしい。

そしてパシャパシャと焚かれるシャッター、俺達とは別にもう一組も念入りに撮っているようだ。

その一組が誰かと言えば佐藤さんとマーク選手。

この注目度、流石はメダルを期待されていただけの事はある。

逆を言えば佐藤さんにとってはチャンス、彼に勝つ事で能力の証明となるのだから。



六月二十日試合当日、今日も嫌になるほどの快晴と猛暑。

昨日は計量後にウナギをご馳走になったが、それでも少し体が重い。

減量中に風邪をひくとどうしても長引きがちであり、当然試合にも差し障る。

仕事も二日間休みを頂いてしまい、心配した春子が大学を休んでまで看病してくれたのは本当に有難かった。


「じゃあ遠宮君はマットの上で休んでてね。最初に佐藤君の方やっちゃうから。」


実は今回から佐藤さんもガウンを纏っている。

俺と同じく後援会からのプレゼントであり、デザインは白を基調としたシンプルなもの。

何となくイメージに合っている気がする。

そんな彼を横目で見ながら思う、この広い控室にも少し慣れてきたなと。

それから横になり、ガウンで顔半分隠しながら少し目を瞑る。

すると、


「どうも遠宮君。もしかして調子あんまりよくない?」


誰かと思えば鈴木ボクシングジムの相沢光一選手。

先月もあちらに向かい一度手を合わせてもらっており、もう顔馴染みと言ってもいい仲だ。

彼は現在フェザー級の日本タイトルを保持しているれっきとした王者。

だがそれも今年のチャンピオンカーニバルを終えたら返上し、更に上を目指すという方針を打ち出している。

そんな彼が何故ここにと思ったが、どうやら今日は同門の付き添いとしてやってきた様だ。


「いえ、そこまで悪い訳じゃないですよ。」

「そっか~。でもまあ悪い時は悪いなりに勝つボクシング出来ねえとな。どんな状態でも言い訳出来ねえし。」


強がってはみたがバレバレ。

だが語る感じから、彼にもそう言う経験があったのだと推測出来る。

幸いと言っては何だが今日は八ラウンド制の契約、長丁場でないのは正直助かった。


「んじゃ、同じ地方選手として期待してっから。こんなとこで躓くなよ。」


その言葉に俺は手を挙げ応えてから、今一度体を休める。

そして少しの時を経て及川さんの声が掛かり上体を持ち上げると、大人しくバンテージを巻いてもらった。


「満足な練習できなかったから不安かもしれないけど、普通にやれば負ける相手じゃないよ。遠宮君は本当に強いんだから。」


そうだ、俺は強い。

少し体調を崩したくらいでどうにかなる訳がないんだ。

何度も何度も自分にそう言い聞かせ深呼吸を繰り返す。

横を見やれば佐藤さんの表情も少し固め、その雰囲気に引き摺られ付き添いの練習生たちも緊張している様だ。

それでも彼の場合は何とかしてしまう気もするが。


「おっす統一郎、体調どうだ?」


数分後控室に入ってきたのは叔父、実は来月の始めに籍を入れる事が決まっているらしい。

相手の女性と一度顔を合わせたが、とてもほんわかとした雰囲気の素敵な女性だった。


「ん…ちょっと怠いくらいか。まあ問題なさそうだな。踏ん張れよ。」


手を挙げ応えると丁度十五時、第一試合が始まる頃合い。

メインの第八試合は十八時過ぎを予定している。

佐藤さんがその一つ前なので、陣営は少し慌ただしくなるだろう。

この会場は医務室が反対側にあるので、彼の試合後は明君が付き添う予定だ。



先ほどセミファイナルが始まった。

佐藤さんには珍しく、牛山さんと一緒に気合を入れてからの入場。

この一戦がどれほど重要なものか分かっているのだろう。

勝てば実力が認められ、いきなりのランキング入りだって夢じゃない。


「明君、軽くミットやるから持ってもらっていい?」


現在控室にいるのは、先ほど試合を終えた鈴木ボクシングジムの陣営だけ。

彼らの俺を見る目は真剣そのもの、何か盗めるものでもあるのだろうか。

だがやはりと言うべきか、些か体が重い。

こういう時はいつも以上に動きの確認が必要だ。

出来ると思って動き出した後で、体がついて来ないなんてのは最悪のパターン。


「OK、明君ありがとね。」


明君は一つ言葉を返し、時間を確認してから控室を後にする。

試合後の佐藤さんに付き添う為、早めにスタンバイしておこうというのだ。

一方俺は、確認を終えたら軽いシャドーをこなし試合の流れをイメージ。

パンチ自体は悪く無い、不思議だがそれなりに切れてもいる。

問題は足、何となく程度だが軽めの重りを付けられている様な感覚だ。

そんな事を考えていると、股間を守るファールカップまで重く感じて来る。



不意に通路から足音と聞き慣れた声が聞こえる。


「準備出来てるね。少ししたら係の人が呼びに来るから。」

「坊主、自分の事に集中…って言いてえ所だが気持ちも分かる…結果はドローだ。」

「良い試合だったよね。私的には佐藤君が勝ってたと思うんだけどな~。」


あの佐藤さんが勝ちきれなかったとは、そこまでの実力者か。

もしかしたらこの両者、ライバルとして長く付き合う事になるのかも。

だがそんな事より今は自分だ。

直ぐあと係員の呼び声に従い通路に出ると、後援会の人達に混ざり春子たちも道を作ってくれていた。

だがその目は少し不安そう。

そんな感情を払拭するべく、俺は皆とハイタッチしながら通路の先へ。

花道に出ると、クラシック音楽『飛翔』を聞きながらリングへと歩む。

そして会長が上下に広げるロープを潜り上を見上げれば、今日は少しだけライトの光量が強い気がした。



『只今より本日のメインイベント、ライト級八回戦を行います。』


客入りは上々、間違いなく期待されている。

この期待をプレッシャーだけではなく力にも変えていきたい。


『赤コーナ~公式計量は百三十四ポンド~十五戦十四勝一敗七つがナックアウト~………日本ライト級四位、森平ボクシングジム所属~地方の星!とおみやぁ~とういちろう~っ!』

『青コーナ~……二十九戦十九勝八敗二引き分け、十九勝のうち十一のナックアウトがあります………しのはら~たけ~ひこぉ~っ!』


拍手に拳を掲げて応える相手の姿に気合を感じる。

確か故障した個所は肩。

見た感じウエイト調整は上手くいっていたが、動きの方は果たしてどうか。

向き合い瞳を覗き込んでも良く分からなかった。


「一ラウンド目はちょっと様子見ようか。気合が空回りする事もあるからね。」


俺もそうしようと思っていた。

会長と考えが被ると、間違っていないんだと思えホッとする。


カァ~ンッ!


ゴングと共に前へ。

挨拶を交わしたらバックステップで距離を作る。

すると相手は意外にも慎重な立ち回りを見せた。

距離を測る左を何度も伸ばし、こちらを牽制してくる。

以前はもっと強気なスタイルだったはずだが、痛めた肩に不安が残っているのかもしれない。


「…シッ…シッシッ!」

(うん。左はいつも通りの感触。)


相手の伸ばした左に被せ一発、そこから距離を潰し更にジャブ二発。

仰け反り躱されたが、そこまで反応が良くない事は確認出来た。

どうやら向こうも俺と同じく本調子ではない模様。


「…シィッ!」

(なら後手を引く必要もない。)


上にフェイントをかけてから左のボディストレート。

一応当たったが浅い、ダメージにはなっていないだろう。

そして返って来るのは力み過ぎの右アッパー。

モーションが大きすぎて、避けてくださいと言っているかの様である。


「…シッシィッ!」

(何か動きがちぐはぐだな。)


調子を取り戻す前にポイントを稼ぐべくワンツー。

ガードの上だが、取り敢えず下がらせる事は出来た。

今日は追い足に自信がない為、こうして距離を作り向こうに追わせる形を取りたい。

そんな思惑で踏み込みを誘いまんまと強振してきたそれを、下がりながら捌いていく。


「…シッ!」

(…ここっ!)


少々無理な体勢で追いかけながら放ってきた一発、それを確実に仰け反り躱すと相手の体が泳いだ。

その一瞬を狙い、間髪入れず右のショートストレート。

クリーンヒットとは言えないが、一応こめかみ付近に当たった。

しかしダメージは浅いらしく強振で反撃してくる。

その返しは先ほどまでより鋭く、実戦の空気を感じながら少しずつ復調している事を悟らせた。

それでも相性自体は悪く無いと感じており、このまま落ち着いた組み立てを心掛けるべきだろう。

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