第64話
第四ラウンド、相変わらずの展開だが多少の変化は見え始める。
正確に言えば、こちらが強引に変化せざるを得ない状況に追い込んでいるのだ。
強く踏み込めば当然の如くクリンチが増える。
だがそれでは、俺が一番懸念している塩試合になりかねない。
それを避ける為、相手と同じように横の動きを多用し、しがみ付かれる事を拒否。
「…シッシィッ!…シュッ!」
レバーブローから左アッパー、更に左フックのトリプル。
打ち終わりも動きを止めず、フェイントを交えつつ時計回り。
その時大体向こうも同じように動くので、睨み合い円を描く形になる。
(段々この人のリズムが掴めてきた。左から…踏み込みに合わせて右を突き上げてくる。)
どんな選手にも、個々人それぞれの呼吸やリズムがある。
当然俺にもあるだろうが、今は意図してタイミングをずらしているので恐らく分からない。
対して向こうのリズムは分かってきた。
特に右のショートアッパー、何度も練習したものほどそのリズムは確立されているものだ。
そして動きを止めるのもこの一瞬、だからこそ狙うのもこの一瞬である。
「…ヂィッ!!」
(…ここっ!)
相手の右アッパーに合わせ俺が被せたのは、右のオーバーハンド。
余り実戦で使う事のないパンチだが、今はこれがベストと判断した。
「…っ!?」
(やべ…ちょっと遅かったっ!?)
不利を察しても時すでに遅し、せめてこちらだけが貰う形は避けたいと強引に振り切る。
直後、カツンと顎の先端を弾かれる感触。
ほぼ同時に、こちらの右拳にも相手の側頭部を打つ確かな手応えが響いた。
「…ダウンッ!!」
尻に感じるこれは、間違いなくマットの感触。
つまり、俺はダウンしたのだ。
だが揺れる視界が戻り眼前を見やると、相手もその場で膝をついている。
恐らく同時ではない。
倒れたのは俺が先で、数秒後に向こうも倒れたのだろう。
レフェリーはどうしていいのか一瞬困惑した様だが、プロの意地で今はしっかりした対応を見せている。
「問題ありません。やれます。」
「…大丈夫です。」
立ったのは俺が先、それを見てという訳ではないだろうが、向こうも立ち上がりファイティングポーズを取る。
それからほぼ同時に拍子木が響き、再開後すぐにラウンド終了のゴング。
会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。
▽
「…ダメージは向こうが上だよ。多分次のラウンドに入っても引き摺ってる筈。攻勢に出よう。」
水を口に含みながら頷き、リングに視線を向ける。
そこには戦いの場を練り歩くラウンドガール達の姿があった。
ビキニなどの露出の多いものではなく、アイドルがコンサートで身に着ける様な衣装を纏っている。
これは彼女達のマネージャーの意向でありそれに会長も同意、結果この様な形に収まったようだ。
もしかしたら一部の男性はガッカリしたのではなかろうか。
まあ、試合には関係ないが。
そんなこんなで第五ラウンドのリングへ。
(向こうの出足が鈍い、三半規管戻ってないな…)
チャンスと思い一気呵成に進み出ようとするも、一瞬こちらも足が縺れてしまう。
自覚は無かったが、俺も完全には回復していなかったらしい。
それでもこの機は逃せない。
チャンスを逃さない事、それは一流になるため絶対に必要な資質だ。
無茶だろうが何だろうが、今行くべき。
「…シッシッシッシッ!シッシッシィッ!!」
(やっぱり向こうの方が深刻だ。回復する前に叩き潰してやるっ!)
ガードの上から強打を叩きつけると、衝撃を吸収できず相手はロープにもたれ掛かった。
しかしその目は死んでいない。
不用意な一発を放とうものなら、確実にカウンターを決めてくるだろう。
故に大振りは不要、ガードに打ち付け押さえつける様なパンチで動きを封じていく。
「シュッ!…フッ!」
(上下の打ち分け、クリンチに来る瞬間を見逃すな。)
ロープを背中でこすりながら移動する村松選手、それを正面に捉える形で俺も追い続ける。
手は殆ど出してこないが、目が血走っており一発を狙っている事は明白。
そして存外ガードも硬く、正直攻めあぐねている。
加え単調なリズムになってきた自覚もあり、俺はこの辺りでタイミングをずらしてみる事にした。
トントントン、開けてくださいとノックする様な軽い左右の連打。
(一発…一発でこじ開けてやる。)
細かい連打、これは布石だ。
堅牢なガードを一発で吹き飛ばすための。
数発軽く叩き続けたのち、右をガードに押し付け相手の視界を一瞬塞ぐ。
その隙に、大きな一撃を放つ準備態勢を完了させた。
「…ヂィッ!!」
(腰の捻り…腕は後から付いて来るイメージ…軌道は視界の外っ!)
この選手はストレート系のパンチに対し、とても反応がいい。
だが反面、大きなフック系のパンチは苦手としている様だ。
だからこそ俺が選択したのは、実戦初投入のトルネードフック。
全身の力を籠め二を考えず叩きつける、コークスクリューに並ぶ威力の必殺ブローである。
バァンッ!!
恐らく見えていなかったのだろう。
横殴りに叩きつけられた相手は、ふらふらと背中でロープを擦りながら彷徨い、コーナーポストに行き当たった所で膝をついた。
ふらついてる隙に追い打ちを掛けたかったが、レフェリーが早めに割って入りならず。
一瞬TKOかと思い喜びそうになるも、どうやら違うようで普通にカウントを数え始めた。
「…ファイブッ!シックスッ!…」
村松選手はカウントセブンで立ち上がった。
その瞳にはまだ闘志の炎が揺らめいており焦りは禁物。
ここで冷静になれない奴は、必ず痛い目を見るだろう。
俺はその事を良く知っているのだ。
「…っ!」
(そっちから来るのかっ!)
慎重に距離を詰めようと前に出た瞬間、歯を食いしばり全力で右を振り抜いてくる村松選手。
そこまでスピードもパワーも感じないが、拳に纏わり付く執念は感じる。
慌てず急がず、俺はそれを丁寧に捌いた。
そこから、
「…シッ!」
隙を見極めジャブを当てていく。
クリーンヒット、仰け反った所を踏み込んでワンツー。
パパァンッと、肌を打つ乾いた音が会場にこだました。
「…ダウンッ!」
頭部を打ち抜いた重厚な手応えが拳に伝わると、村松選手はガクリと腰からマットに落ちた。
だがそれでもカウントファイブで立ち上がり、続行の意思を見せる。
もう止めてもいい頃合い、しかし選手がそんな希望を抱いては駄目だ。
最後まで冷徹に為すべき事を為さねば。
そんな俺の心情を悟った様に、青コーナー側からタオル投入。
レフェリーがふらつく選手の肩を抱きながら、駆け寄る陣営と合流させている。
「有り難うございました!」
「ありがとね…いや本当…強かったよ。」
椅子に腰かけ力なく項垂れる村松選手と、健闘を称え肩を抱き合う。
こうする度に、またひとつ誰かの夢を背負うのだ。
それはこちらが勝手に思っているだけかもしれないが、その一つ一つは確実に俺を強くしてくれる。
▽
『それでは勝利者インタビューです。遠宮選手、見事なTKO勝利でした。』
『有難う御座います。』
マイクを向けられ歓声に応える。
そういえば、勝利者インタビューなんて初めての経験だ。
ある程度場数を踏んだからか、若しくは試合後だからだろうか、不思議と緊張はしない。
『…日本タイトルも見えてきましたね。』
『そうですね。このまま勝ち続けて、ベルトを巻いた姿を皆さんにお見せしたいです。』
▽
リングから降り漸く解放されたかと思えば、今度は他の記者から質問攻め。
後援会の人達との交流もあり、医務室にたどり着くまで思ったより時間がかかってしまった。
そして検診も無事に終わった後は、シャワーを浴びてから控室で一息。
一室には見知った人達がおり、皆が口々に労ってくれる。
「統一郎、お前の成長しかと見せてもらったぞ。」
叔父はうんうんと頷きながら、どこか遠い目をしていた。
「…兄さん、おめでとうございます。」
亜香里からも労ってもらえたが、誰かに言わされた感が強い。
「…感動したよ。プロの本気をまざまざと見せつけられた格好だね。次もこっちでやるのかい?」
南さんから問われ、数秒考えたのち室内を見回すが会長の姿が見当たらない。
牛山さんもおらず、恐らく局の関係者などと話をしているのだろう。
代わりに答えてくれたのは及川さん。
「えっとね、確か…目標としては秋頃までにランキングを上げて挑戦者決定戦に臨みたいらしいよ。だから…取り敢えずあと二戦くらいはここでやるのかな。」
そうして話していて気付く、春子が大人しい事に。
見ればその瞳は潤んでおり、そういえばダウンしてしまった事実を思い出した。
俺は苦笑気味に彼女を見やると、同じく微妙な笑顔が返ってきて皆で笑い合う。
その時控室の扉が開き、中を覗き込む三人娘の姿を確認。
「「「今日は、どうも有難う御座いました。」」」
全ての控室を回ってきたのだろうか。
表情に少し疲れが見える。
だがそれでも、女の子が三人増えれば更に賑やかになり、同時に華やかにもなる。
「今日はらしくないスタイルを見せましたね。まあそうせざるを得ない事情もあったのでしょうが、悪くはありませんでしたよ。」
相変わらずの花さんには苦笑で返し、それぞれが初対面でも楽しそうに語り合っている。
今まではあり得なかった光景、だが偶にはこういうのも悪く無い、そんな事を思った。




