第63話
いよいよメインイベント、後援会により作られる花道を通りいざリングへ。
入場テーマはクラシック曲の『飛翔』
トレードマークのオジロワシと合わせ、更なる飛躍の誓いを込めている。
今日はいつもと違いこちらが先に入場し相手を待つ形であり、対角線に誰もいない光景には僅かな新鮮味を感じた。
少しリングを見回してみると、リングアナの後ろに澄ました顔で立つ三人娘の姿。
三千人余りの観客が見つめる会場からは大きな歓声が沸き上がり、更に俺の気分を乗せてくれる。
そして多少の静寂を挟み入場してくるのが、相手の村松選手。
こちらも大きな拍手で迎えられた。
『只今より本日のメインイベント、ライト級十回戦を始めます。』
ざわざわと喧騒鳴りやまぬ会場に渦巻くは、期待かそれとも不安か。
『赤コーナ~公式計量は百三十四ポンド二分の一、十三戦十二勝一敗、勝ち星には五つのKО勝ちが含まれます。』
トントンとステップを刻みながら己の調子を確認。
可もなく不可もなく、本来の能力を十二分に発揮できそうな出来。
だが一つ前の様な大きな期待感は湧き上がってこない。
『…初の地元凱旋、更なる飛躍を誓う地方の星。日本ライト級第七位~とおみや~とういちろう~っ!』
ワッと会場が湧く。
のぼりが揺れ、百五十人もの応援団から一斉に俺の名がコールされた。
『続きまして青コーナー公式計量は百三十五ポンド、二十一戦十六勝四敗一引き分け、十六勝の内十勝がナックアウト。』
一つ一つ動きを確認する様にシャドーをしている村松選手。
何気ないその仕草に切れを感じ、今日の試合に対する強い意気込みが感じられる。
戦績は現在二連敗中だが相手はどちらも強豪、一人は世界十三位の選手もう一人は現在国内二位の選手。
しかもそのどちらもが僅差の判定であり、彼の能力を証明するには充分だ。
『…名門北野ボクシングジムからの刺客、日本ライト級八位…むらまつ~まさぁ~としぃ~っ!』
思いのほか大きな拍手が鳴り響き、どこか安心した。
試合とは一人では成り立たない、だからこそ相手にも同等の敬意を払うべき。
この会場に足を運んでくれた人たちは、その事を分かっているのかもしれない。
「両者共バッティング、ローブローなど十分気を付ける様に。」
レフェリーがいつもの忠言を告げる。
それらを一応聞きながら向き合うと、静かな闘志を秘めた村松選手の瞳が俺を射抜いた。
余程調整も上手く行ったのだろう、佇まいから自信を感じる。
▽
「彼、多分今までで一番早いからね。相手の土俵に乗らない方がいいかもしれない。」
「分かりました。しっかり動き見て対処します。」
村松選手は左右のステップを多用する非常に軽快な足捌きが特徴。
それで相手を撹乱し、一撃必殺のカウンターを狙い澄ます。
今までのKОは殆どこの流れ、分かっていても封じるのは難しい。
カァ~~ンッ!!
ゴングを聞き、まずは開始を宣言する挨拶を交わした後、睨み合いながらフェイントの掛け合い。
まだ軽快な足捌きは鳴りを潜めている。
相手の構えは、左を中段まで下げたデトロイトスタイル。
その位置からスッと伸ばしてくるリードブロー、中々軌道も変則的且つハンドスピードは想定以上。
「…シッシッ…シッ!」
(やはり待ちのボクシングか。強引に行くと不味い…が、今日だけは塩試合にする訳に行かない。)
今までは勝つ事だけを考えれば良かったが、これからは違う。
ある程度は、お客さんに喜んでもらえる試合展開にしなければ。
例え退屈でも勝ち続ければ人が集まる、そんな確証などどこにもないのだ。
そしてうちの様な小さなジムは、一度でもこければ命取りになりかねない。
つまり玄人だけが唸る試合をしていても立ち行かないという訳であり、中々に厳しい現状である。
「…フッ!…シュッ!」
(糸口が欲しいな…どこか切り崩せる糸口が。)
そう考えてはいるのだが、中々に反応も距離感もしっかりしているので、そう簡単に崩せるビジョンが浮かばない。
寧ろ強引に追って踏み込めば、手痛い一発をもらう未来がありありと浮かぶ。
「…ちっ!?」
前のめりになった一瞬を狙い澄ました左が、俺の頬を綺麗に捉えた。
しかし続く右は冷静にガードで対処、そのまま踏み込んで来いと誘う。
(やっぱり来てくれないか…冷静だな。勝ちに拘っている。)
恐らく向こうは、こちらの心情まで悟っていると思われる。
そう言った取り巻く環境までも利用した駆け引き、今まで相対した選手にはいなかったタイプだ。
このまま焦らして焦らして、こちらが痺れを切らすのを待つつもりだろう。
「…シッシッシッシッ…」
(差し合いにも乗ってこない…足で捌かれる。)
彼の真骨頂である華麗なフットワークを使ったディフェンス。
基本パンチは叩き落とすか距離を使って捌くのが、彼の立ち回り。
ポイント的には手数の差でこちらに付けるジャッジもいそうだが、この展開が続けば会場は白ける筈。
そして色々な葛藤を抱えたままゴング、第一ラウンドが終了した。
▽
「やっぱりこういう展開になったね。うん…腹括ろうか統一郎君。大丈夫、君は踏み込んでいける。」
そう、踏み込んでは行ける。
問題はその先だ。
今か今かと待ち構えている相手の罠に、自ら嵌るのだから。
「多分ショートアッパーだよ。それだけに注意って訳じゃないけど、優先順位は一番。」
彼の一番の武器は右のショートアッパー。
上手く顎の先端を捉え、最小の動きで効かせる熟練の一発。
だがそれに意識を向け過ぎれば、逆側から左フックで側頭部を狙ってくる。
本当に厄介な選手、実力的には間違いなく国内上位に位置するだろう。
少し厳しめな表情をする牛山さんからマウスピースをもらい、今一度対角線を見やる。
そしてゴング、第二ラウンドの開始だ。
「…シィッ!シィッ!シィッ!」
開始直後、左ストレート三連発。
捨てパンチなど一切打たず、当たれば相当なダメージを負うぞと圧力をかけていく。
このままロープ際に追い込められれば話も早いのだが、流石にそう上手くはいかない。
相手は切れのあるステップワークを駆使し右へ左へ、乾いた音を響かせこちらを翻弄する。
「…っ!?」
(くそっ!不用意に追い過ぎたっ!)
追いすがり右を伸ばした瞬間、左ショートフックの置き土産。
ヒットポイントはずらしたが、一瞬クラリと視界が揺れた。
ここでラッシュを仕掛けてくるなら迎え撃つつもりだったのだが、相手は大きく距離を取ってこちらを眺めるだけ。
何と言う冷静さ、リスクは負わず得るものは得る。
だがボクシングとは、そう上手くいくものではない。
(…腹括ったぞ。追っかけまわしてやるっ!)
この試合は十ラウンド制、追いかけ回しどこかで必ず捕まえてやる。
それを為すには強い意志が必要だ。
間違いなく、何発かは強烈なパンチをもらうだろう。
だが只では貰ってやらない、向こうの心に焦りの種を残してやる。
このままの戦術では勝てない、いつか事故が起こるのではと、そんな疑心を生む様に。
「…シッ…シィッ!…っ!」
ジャブを放ち、相手が下がった所を追い右ボディストレート。
直後相手は、待ってましたと得意のショートアッパーで迎え撃つ。
しかしこちらとしてもそれは読んでおりガードの上。
「…フッ!……ちぃっ!」
すかさず返しの左フックを放つも、相手は鼻先に触れるだけの軽いパンチを置き距離を取った。
だが止まらない。
それがどうしたと言わんばかりに追いすがり、強引に力を込めた右を放っていく。
瞬間、相手の表情に迷いが見えた。
相打ちの危険を感じたのだろう。
直後彼はカウンターチャンスを放棄し回避に専念、内心俺はほくそ笑む。
少しずつでいい、こうして焦りの種を植え付けていけばいいんだ。
そして第二ラウンド終了のゴングが響く。
▽
「悪く無い展開だよ。向こうに迷いが生まれてきた。ガードだけはしっかりして、このまま圧力をかけていこう。」
意外だが、俺はこういうスタイルも嫌いではないのかもしれない。
その証拠に、体のうちから沸々と闘争心が沸き上がって来るのだ。
そしてインターバルはあっという間に終わり対角線の相手を見据えると、少し表情が曇っているように見えたのは気のせいか。
いや、気のせいではあるまい。
(さあ、また追っかけっこしようか。)
ゴング直後、迷わず駆け出した。
理想はコーナーから出さず釘付けにする事。
だがその辺りも中々小器用で、強振の左を絡めとるとがっちり俺の体を抱え込みクリンチへ移行。
直ぐあとレフェリーが引き離し再開、直後俺は中間距離から左を放っていくが、やはり差し合いには乗ってこず距離を取られる。
(別にいいさ。ほら踏み込むぞ。ちゃんと狙えよ。)
左を見せてから、大きなストライドで一気に踏み込み右ボディブローを叩きつける。
しかしその瞬間、無駄のないコンパクトな右アッパーがガードの隙間から滑り込み、一瞬視界が揺れた。
「…っ!?」
(よく見てやがんなぁっ!)
相手は打つ直前に小さな左のフェイントを挟み、加え視線によるフェイントも交えていた。
これらを見る限り、どうやらまだまだ冷静。
長丁場を覚悟する必要があるらしい。




